第21話 決意したのに

「お母さん、あのね」


 私は、お風呂から出てきたばかりで髪の毛が濡れたままのお母さんの背中に話しかけた。


 心臓が、どく、どくと音を立てている。


 日曜日、お父さんに会いに行くことを伝えておいた方がいいと思ったから、こうして意を決して話しかけてみたのだ。


 お父さんのことを、極度に嫌っているお母さん。


 お母さんに言わないままお父さんに会いに行くことは、これまで育ててくれたお母さんに対する裏切りの様な気がしたのだ。


 ……まあ、お母さんは私に隠れて男の人と会っていたけど。


 それを思い出すだけで、心がちくりとする。


 勝手に裏切られたと思うことほどおこがましいことはないから、ちくりとする痛みをお母さんに向けることはしないけれど。


「なに? 響子」


 お母さんがバスタオルで髪を拭きながら返事をする。


 顔はこちらに向けないまま。


 助かった。


 逆にその方が言えそうだ。


 お父さんに、会いに行ってみる、と。


「うん。えっと……ね」


 しかし、私の思いとは裏腹、『お父さん』という言葉がのどに詰まってしまう。


 胸が上下するだけ。


 声は出ない。


「ううん。なんでもない」


 その声なら、出るのに。


 悔しい。


 けれど、どこかほっとしてもいた。


 だって、もし反対されたら、私はお父さんに会いに行けないから。


「そう」


 ようやく視線をよこしたお母さんは、不思議そうに首を傾げたが、それ以上追及してくることはなかった。


「うん。……あ、私もお風呂入ってくる」


 その言葉を残して、私は脱衣所に逃げ込んだ。


 小さく息を吐いて、壁に背中を預ける。


「……伝えられなかったな」


 服を脱いで、シャワーを浴び、湯船につかる。


「あ、そっか」


 その時、ふと思った。


 日曜日、私は初めて辻星くんと学校の外で会うのだ。


 彼の制服以外の格好を見せるのだ。


 彼に制服以外の姿を見せるのだ。


「……はわぁぁあああ」


 顔が熱くなって、その火照りをごまかすように湯船に顔まで浸かって、ぷくぷく、ぷくぷく、吸い込んだ空気を吐く。


 胸の高鳴りが止まらない。


 息が苦しくなると、ぷはっと飛び出した。


「なにやってんの、私」


 今度は口まで湯船に開けて、また、ぷくぷく、ぷくぷく。


 ……いや、よく考えれば塾のバイト終わりに、初めてちゃんと話した時に見せているのか。


 でも、あの時とは、彼に抱いている感情が違う。


 彼に抱いてほしい感情も違う。


 そんな私は、日曜日、どんな服を着て行けばいいのだろう。


 ちょっとは可愛く見える服を着たい……ってそっか。


 ぷくぷく、ぷくぷく、ぷく、ぷく…………。


 可愛いとか綺麗とか女を連想させるものは、お母さんと一緒に全部捨てたんだった。


 強くなるためにそれを選んだのは自分なのに、いまだけは、可愛く見える洋服を持っていないことをひどく後悔した。


 …………ぷく、ぷく、ぷくぷくぷく。


 でも、じゃあ、お弁当くらいは、作ろうかな。


 辻星くんにも、お父さんにも。


「よしっ」


 勢いよく立ち上がりながらガッツポーズをして、また湯船に肩までつかる。


「食べてくれると、いいんだけどな」


 それでも、不安は尽きない。


 けれど、楽しさを伴った不安があることを、私は辻星くんと出会ったおかげで知ることができたから。


 ドキドキと不安が同じ分だけ存在しているいまこの瞬間が、嫌いじゃない。

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