第19話 百聞は一見に如かず
朝日が瞳に突き刺さってとても痛いし、なにも食べていないのに胃が重たい。
疲労が抜け切れていないのか、体もどんよりとだるい。
家を出てから学校に到着するまでに何度あくびをしただろう。
「おはよう。彰」
「おはよう。藤二」
下駄箱で上履きに履き替えていると、藤二がやってきた。
いつも通り、彼はとても爽やかな笑顔を浮かべている。
「なんだよ。朝から元気ないなぁ。瀬能となんかあったのか?」
「ど、どうして瀬能さんがでてくるんだよ?」
脱いだスニーカーを下駄箱に入れながら、藤二はにやりと右の口角をつり上げた。
「ははーん。さては図星か? 顔にびっちり書いてんだよ」
「だから違うって」
「なるほど。つまり瀬能のことなんだな」
「否定したよねさっき。俺たちって同じ言語しゃべってるよね?」
「イエスオフコース」
「アイキャンノットスピークイングリッシュ。ってかほんとになにもないよ」
誤魔化しつつ昨日のことを考える。
瀬能さんが父親を恨む気持ちは本物で、森本さんが娘を思う気持ちもおそらく本物。
本物と本物ぶつかり合いに見えるけれど、どちらかがまがい物。
もうなにがなんだかさっぱりだ。
「そっか。だったらまぁ、教室行こうぜ。レッツゴークラスルーム」
頭の後ろで手を組んで歩き出した藤二についていく。
彼の陽気さに、少しだけ救われた。
「それにしてもさー、今日朝から物理だぜ?
「子守唄は同意するけど……あのさ」
俺は藤二の会話を前触れなくぶった切る。
自分の中だけで考えてもこれ以上の進展はない。
だったら、信用できる他の人の意見も取り入れるべきだと思ったのだ。
「ん? やっぱ悩んでたんじゃん。どした?」
藤二は、ちらりと目だけをこちらに向ける。
「例えばなんだけどさ、とある出来事に対して、二人の人間が正反対のことを言っていたとするじゃん」
瀬能さんの秘密は、いくら藤二であっても俺からばらすことはできないため、具体名は出さないでおく。
「でさ、その双方の意見を聞いて、どちらともが正しいんじゃないかって思ってしまったらどうする? 藤二だったら、どっちが本当に正しいのかをどうやって決める?」
「正反対なのにどちらも正しいと思う、かぁ」
「ああ」
藤二はガムを噛んでいるかのように、あごをもにょもにょと上下に動かし始める。
考えるときの癖みたいなものだと、この前自分で言っていた。
急かしても意味はないので、隣を黙って歩きつづける。
「ん-、なんつーかさ」
階段にさしかかるところで、ようやく藤二は口を開いた。
「じゃあやっぱり、それはどっちも正しいってことじゃねぇの?」
「……え?」
想定外の答えが返ってきた。
どっちも正しいって、そんなのあるはずがない。
ほら、真実はいつもひとつって、有名な探偵が言ってるし。
「正確には、現時点でどちらも正しいってことな。あくまでも」
「質問しといてごめん。言ってる意味がよくわかんないんだけど」
「だってよ、現時点での意見が正反対なのって、物事をどこから見たかによるんじゃねぇの? 一方から見たらそれは善だけど、もう一方から見たらそれは悪、みたいな。大体そうなってるじゃん。物事って」
「……なるほど」
物事をどこから見たかによるか……か。
それは、目からうろこの考え方だった。
そういや、花火もどこから見るかで感じ方が変わる、みたいな映画もやってたなぁ。知らんけど。
「たしかにそうかも。それでよくSNSでバトルしてバカ晒してる人たちいるもんね」
「そうそう。つまり二人の意見が正反対なのは、二人ともが物事を別の方向から見て判断しているからってことだよ」
藤二の言っていることはもっとものように思えた。
見ている方向が違うだけで、実はどちらも正しい。
「それに、そのことについて彰が深く考える必要はないんじゃねぇの? ってかそもそも、どっちが正しいかを彰が判断する必要もなくね?」
「どういう意味?」
「だって相談受けてるったって、彰は部外者なんだろ? だったらなにを信じるかを選ぶのは、その正反対の意見を言い合っている当人たちなわけで、ぶっちゃけ言えば、そこに彰の正しさの基準なんていらないわけさ」
藤二の言葉がすとんと、胸の中に落ちていく。
……そっか。
なにが正しいか選ぶのは、俺じゃない。
どちらが正解かを俺が選んで、それを誰かに強制させるのは、正しくない。
その考えは、俺一人で考えていては絶対に出てこないと思った。
「彰がすべきなのは、どれが正しいかを決めることじゃなくて、どれが正しいかを当人たちが決められるように動くこと、なんじゃねぇの?」
「なるほど」
「で、正しいを選ばせるために取る方法を、俺の言葉に惑わされずに瀬能を信じられた彰は、もう知っている」
藤二が白い歯を見せて笑う。
俺もそれに笑顔で答えた。
「自分で見て、自分で経験して、感じたことに従う」
「そ。彰の必殺技、百聞は一見に如かずビームの出番だよ」
「語呂悪すぎだな。そのビーム」
「必殺技ってのはな、ちょっとダサいくらいがちょうどよくて、案外プチバズりするもんなんだよ」
「あくまでプチなのかよ」
二人でケラケラと笑いながら教室に入る。
今日もクラスメイトからの「おはよう」が耳に届き、楽しい一日がまた幕を開ける。
そうだ。
俺は父と娘の問題に、あたかも俺自身が当事者かのように入り込み過ぎていた。
俺が二人の主張の正しさや善悪を決める、裁判官になったのだと思いこんでいた。
でも、それは間違いで。
なにを信じるのかを決めるのは、当事者である瀬能さんであり、森本さんであるべきなのだ。
そして、そのために俺が取る行動はもう決まっている。
格好悪い必殺技の出番だな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます