第4話 男はやっぱり最低だ
俺という世にも珍しい男装女子が、松園学院高等学校に入学してから、もう二週間が経つ。
そんな人が入学したらどうなるかは……まあ、皆様のご想像通りです。
俺は、完全に完璧に浮いていた。
もはや浮き輪だ。
海で誰かが溺れていたら、俺を船から投げるといいぞ!
……とまあ冗談は空しくなるだけなのでこれくらいにして。
クラスメイトは、誰も俺に話しかけてこない。
陰で呼ばれているあだ名はオトコオンナ。
もっと捻れよ! とつっこんでやりたかったが、高校生の大喜利センスなんてこんなもんだろう。
ただ単に俺への興味が、工夫を凝らしてやろうと思わせるほど高くなかっただけか。
先生たちも諦めたのか、俺がセーラー服を着ていることに対して、もうなにも言わなくなった。
……ってか、同じ中学の人がいない県外の高校を選んで、ほんとよかったなぁ。
もし同中のやつがいたら、中学時代の黒歴史まで暴露されかねなかった。
他県の公立高校に入学するための制限が昨年度から緩和されていたので、それをありがたく使わせてもらったのだ。
もちろん、そんな遠くの高校に家から通えるはずもなく、俺は高校生にして一人暮らしをするために、祖父母の家から現在のワンルームマンションに引っ越しをした。
「
「ああ、彰の好きなようにしなさい」
祖父母は俺の言うことをなんでも聞いてくれるから、一人暮らしをしたいという要望もすんなり通った。
その甘やかされ方は、その状況下にいない人にとっては羨ましいものなのだろうが、俺からしたら苦しい以外のなにものでもないのだけど。
だって、俺が「高校の制服はセーラー服にする」と言った時も、特に注意されることはなかったんだよ。
そんなの、なんか悲しいじゃん。
興味がないんだなって。
俺と祖父母は、血のつながった家族にもかかわらず互いに気を遣い合っているみたいな、ずっと初対面がつづいているみたいな、ぎこちない関係性のまま同じ家で暮らしていた。
あの家にいる間は、真の意味で心が休まることはなかった。
きっと祖父母は俺を恨んでいるのだろう。
俺だって、祖父母のことを心のどこかで恨んでいる。
だから、その溝が現実としてはっきりと浮かび上がる前に、俺の方から距離を取ったというわけだ。
「ねぇ、今度の日曜日だけどさ」
「ああ、クラスラインで回ってきたやつ?」
「それ。楽しみだよね。カラオケ」
「私、歌下手だからどうしよう」
さて、今日も朝からクラスメイトたちは俺という存在を完璧に無視して、高校生活を謳歌している。
俺のすぐ近くにいる女子たちですら、こんなに目立つやつがいるのに、俺とは全く関係ない話題で盛り上がっていた。
ははは、ついに俺は全男子の夢、透明人間になることができたようだな。
この能力さえあれば、いつでも女子更衣室のぞき放題だぁ……ッテ、クラスラインッテナンデスカ。
聞いたことないんですけど、ネッシーみたいな幻の存在だと思っていいんですよね。
「ほらー、席につけー。ホームルームだぞー」
担任が教室に入ってきて、ざわつく生徒たちを気怠げに注意する。
俺の方をチラリと見たが、特になにか反応するわけでもなく教壇に立って話を始めた。
とまあ、こんな感じで一日が始まる。
今日の一限はなんだったか……なんて思いながら廊下に面した窓に目を向けると、他のクラスの生徒がぞろぞろと歩いていた。
化学の教科書を持っているので、実験をするために理科室へ移動しているのだろう。
「…………あ」
その集団の中に、一人でさっそうと歩く男装女子、瀬能さんの姿を見つける。
ああよかった、俺には味方がいるんだ。
勝手にそう思うと、体の中にある隙間という隙間に、暖かい液体が満ちていくような感覚に浸れる。
この優しい感覚を安堵というのだろう。
ちなみに彼女の本名は、瀬能
彼女がなぜ男装しているのかはわからないけれど、俺と同じような人間がいるという安心感が、ひとりぼっちの俺の心を少しだけ楽にしてくれる。
***
学校を終え、誰もいない家に帰ってくると心が軽くなったように感じる。
セーラー服から部屋着のふわふわもこもこパジャマに着替えた後、ベッドの上でユーチューブのメイク動画を見ながら一時間ほどごろごろ。
夜ご飯のカップ麺を食べて――食器洗うのが面倒になったから自炊やめたんです――宿題と予習やって、またごろごろ。
ああ、将来の夢、猫にしようかな。
もくもくの雲の上で寝られる雷様でもいいな……ってかお腹すいた。
にゃーにゃー鳴いてもゴロゴロ鳴いてもご飯は用意されないので、コンビニに行くしかない。
「あっ、そっか」
財布とスマホを持ってそのまま出かけようとして、玄関で立ち止まる。
そういえばいまの格好は……。
部屋に戻って鏡で自分の姿を確認すると、ふわふわもこもこパジャマを着た変態男がいた。
「俺は……」
別に、この格好のまま出かけたってちっとも恥ずかしくないよ。
俺は俺だし。
他人にどう見られているかなんて関係ない。
瀬能さんみたいに、他人の視線なんて気にせず、堂々と振舞えばいいんだ。
「……でも」
さすがにこの格好はないよな。
うん。着替えよう。
これは戦略的撤退だ。
セーラー服はギリ許せて、ふわふわもこもこパジャマが無理な理由はよくわからないけど。
向かう先に瀬能さんがいるかいないかの違いかもしれない。
俺は結局、グレーのスウェットに着替えてから部屋を出た。
住宅街の隅にぽつんとある、深夜になるとヤンキーの溜まり場になっていそうなコンビニで肉まんとコーラを買って、入口横の駐輪スペースではむっと肉まんをかじる。
あふっ、あふっ、うまっ、と口の中が忙しい。
なんで熱いとわかっているのに、肉まんってすぐにかぶりつきたくなるんだろう……と思いながら道路の向かい側を見ると、個別指導塾から小学校高学年らしき生徒がぞろぞろと出てきていた。
もう夜八時だし、今日の授業は終了なのだろう。
「…………ん?」
コーラでのどを冷やし潤していると、青のジーンズに黒のTシャツという味気ない格好の女性が塾から出てきた。
「瀬能さん?」
あの中性的な顔立ちは、間違いなく、俺と同じ高校に通う男装女子の瀬能さんだ。
彼女もあの塾に通っているのだろうか。
でも、彼女以外の生徒は見るからに幼い。
「講師のバイト、か?」
高校に入ったばかりの人が?
瀬能さんって実はめちゃくちゃ頭いいとか?
そんなことを考えながら、少しだけ冷めて食べごろになった肉まんをはむりとかじった時、コンビニからスーツ姿の男性が早歩きで出てきた。
さっきまで雑誌を立ち読みしていた、四十代後半くらいの男だ。
そいつは、そのまま立ち止まることなく道路を横断し、瀬能さんの前に立ちはだかる。
知り合いなのかなぁ。
無性に気になって、空になったペットボトルと肉まんの包み紙をゴミ箱に放り込む間も、俺は二人から目を離さずにいた。
スーツ姿の男性は身振り手振りを交えつつ瀬能さんに話しかけつづけている。
瀬能さんが困ったような顔をしても、わずかに後ずさりしても、完全無視だ。
……あの野郎。
やがて、瀬能さんは次第に足や肩をがくがくと振るわせ始めた。
蛇に睨まれた蛙のように、恐怖で動けないといった感じに見える。
……ふざけんなよ。
頭の中でブチリと音がして、脳が熱を帯びていく。
これだから男は嫌いなんだ。
いつもいつもいつもいつも自分勝手で……。
気がつけば、俺は瀬能さんのもとへ走り出していた。
「おい、行くぞ!」
瀬能さんの手首を掴む。
「え?」
目を見開いた彼女彼女を引っ張ってスーツ姿の男から逃げる。
俺の体を突き動かす原動力は、【男が嫌い】という思いだけ。
日本は男女平等社会を目指しているし、実現に向けていろいろな制度も運用されているが、女性の立場はまだまだ圧倒的に弱い。
痴漢や強姦という、男の身勝手な性欲や好奇心のために無理やりトラウマを植えつけられるし、女だからという理由で出世できないこともある。
それと比べて男はどうだ?
社会の甘い蜜を吸うのは、全て男だ。
俺は、この世の誰よりも男を嫌悪している。
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