受肉

@hitsuji

第1話

 ヤバい、今日のマリカちゃんのワンピースめっちゃ可愛い! という丸ゴシックの声援を、川のように流れていくコメント欄の中から私はちゃんと見逃さなかった。それもそのはず、今日の配信で一番見てほしいのは何と言ってもこのカジュロリ、セーラーカラーのワンピースなのだから。

『ワンピース可愛い? ありがとう~。良いでしょ、コレ~』

 と言って私は立ち上がって全身をカメラに写し、身体を左右に振ってみる。画面の中では私の動きに合わせてマリカの小さな身体を包んだワンピースがひらひらと揺れていた。するとコメント欄は火をつけたようにワンピースの感想一色になる。やっぱマリカちゃんカラーのセンス良いな~! マリカめっちゃ似合ってる! ワンピース可愛い~マジ結婚したい! なんてコメントが流れていく。嬉しい。一方で、もっと褒めてくれとも思った。なんせ、この衣装を作るのにはかなりの時間を使った。スカートに付いたレースの揺れが気に食わなくて、何度も何度も修正に修正を重ねてやり直した。お陰で今週はかなり寝不足だった。授業にもダンスの練習にも身が入らなかった。でも何とか今日の配信に間に合って良かった。

 しかしあまりワンピースばかりを強調するとそれはそれでいやらしくなってしまう。こういうものは、さりげなく気付いてもらうくらいが一番なのだ。本人的には何気なく着ている服がめちゃくちゃ可愛い。これこそがアイドルではないか。だから『今日も集まってくれてありがとう~。みんな、夜ご飯は何食べた~?』とあえて話題を変えてみる。するとコメント欄には、ハンバーグ! コンビニのお弁当だよ~。私はカップ麺! とみんなの今夜の夕飯のメニューがざざっと流れた。

『カップ麺、良いね~。たまには手抜きも大事。許す~。ちなみに私はノーマルのカップヌードルめっちゃ好きだよ。カレーとかシーフードも好きだけど、やっぱりノーマルが一番だよね~』とマリカが言うと、今度はコメント欄がカップヌードルの話で染まる。

 ノーマルはシンプルで良いよね~。塩も忘れないで! 今、期間限定のトマトのやつめっちゃ美味しいよ~。

『へぇ~。トマトのやつ今度試してみるよ』とちょっとここで微笑んでみる。

 それにしてもマリカは本当に上手に喋る。私とは比べ物にならないくらい上手に喋る。

 マリカちゃんは何食べたの~? 

『え、私? 私はね~、実は今日は夕飯食べてないんだ~。何だかんだバタバタしててね』と言って栗色の綺麗なショートヘアをかく。

 だめだよ、ちゃんと食べないと! 小食なんだね~、イメージ通り。ちゃんと食べないと大きくなれないよ~。『大きくなれないって? うっさいわ! 食べても全然大きくなれないわ! でもありがとう~」と笑う。マリカは自分が小さなことを少しコンプレックスに思っている。可愛いのに。まぁ、本当は私はお母さんの作ったカツ丼をしっかり食べたんだけどね。でもそんな嘘に心が痛むことはない。厳密に言うとそれは嘘ですらないと思っている。

 配信は一回四十五分と決めている。そのうち四十分はフリートークをして、最後の五分は歌を歌う時間にしていた。そろそろ今日のフリートークも終わりの時間が近づいてきた。

『みんな、今日もきてくれて本当にありがとう~』

 マリカがそう言うと、え~? もうそんな時間~? 寂しいよマリカ~、と別れを惜しむコメントが続いた。『ありがとう。また近いうちに配信やるから来てね~。さて、お別れの時間が近づいてきました。今日はねぇ、早坂あかねちゃんのロマンスブルーという曲を歌います。最後までよろしく~。本当に今日はありがとう! またね~!』

 それで私はカメラを切り、あらかじめ用意しておいた歌の動画を流す。頭、両腕、腰、両足から感知センサーを外し、さっきまで一つだった私とマリカを切り離した。画面の中ではマリカが歌って踊っている。私は改めてワンピースのレースの揺れを確認する。うん、良い。ほぼ理想通りの感じになっている。

『ロマンスブルー、あなたに会えた喜びと悲しみ……』

 スピーカーの音量を上げ、マリカの透き通った高音ボイスを聴いてみる。コメントの川は止めどなく流れ、マリカ~、マジ可愛い! 選曲絶妙~、と良い感じのコメントで溢れていた。無意識のうちに笑みがこぼれる。

 マリカのパフォーマンス。踊りはプログラミングで作ったものだが、歌ったのは私だ。そしてそれをボイスチェンジャーで編集してマリカの声に変えた。さっきまでフリートークをしていたマリカも私だ。声は同じくボイスチェンジャーで変えて、動きは身体に付けた感知センサーで自分の動きを画面上にマリカとして再現していた。マリカは私のアバターなのだ。

 歌って踊るマリカは本当に可愛かった。可愛いく作ったのだから可愛いのは当たり前なのかもしれないが、それにしても可愛い。そしてその可愛さはいつか見たヒカリちゃんの可愛さとダブる。

 ヒカリちゃんというのは私が小学生の頃に憧れてやまなかったアイドルのことだ。当時のヒカリちゃんは神だった。有名アイドルグループ、マラカス少女隊のセンターを張っていて、まさに人気絶頂。様々なメディアでヒカリちゃんを見ない日はなかった。上品なショートケーキを連想させる小柄で華奢な身体つき、屈託の無い笑顔。これぞザ・アイドルという感じで、小学生の私は両親が呆れるくらいテレビの前で彼女に合わせて歌って踊った。髪型もヒカリちゃんを真似た。卵のような内巻きのまん丸ショートヘアは当時の彼女を主張するものだった。ヒカリちゃんカットだなんて呼ばれて、当時はけっこう流行った。もう六年くらい前の話だが、私は未だにそのヒカリちゃんカットを続けている。もちろんマリカもヒカリちゃんカットだ。マリカを作るにあたって、ヒカリちゃんの影響はかなり大きい。今日のワンピースだって昔ヒカリちゃんが着ていた衣装を参考にして作ったものだった。

 画面に映るマリカに合わせて私も踊ってみる。しかし私はマリカのようには上手く踊れない。要所要所でダメなところが自分でも分かる。ふと横を見ると、部屋の隅に立て掛けられた全身鏡に踊る私の姿が映っていた。それは、畠田美由紀に間違いなかった。昔話なんかでよくある、美女に化けた醜い魔女の本当の姿が鏡に映ってしまうシーンを連想した。鏡の中の私は、魔女っぽくはないが背が高く、かと言って決してスタイルが良いわけでもなく胸もペタンコで、三十センチ定規のようにただ細長いだけという感じ。髪型はヒカリちゃんカットだが顔は薄っぺらく、それぞれのパーツも小さく地味で、高校生になってもコンタクトは目を触るのが怖くてどうしても入れられないものだから、未だにガチの丸眼鏡。ちびまる子ちゃんのたまちゃんがヒカリちゃんカットをしてデカいという感じだな、と自分でも思う。そんな私の姿は、どう見てもアイドルには見えない。でも私はアイドルなのだ。視線を画面に戻すと、そこではマリカが歌っている。私だが私ではない声で。マリカはどこからどう見ても立派なアイドルだ。そしてマリカは、私だ。

 曲が終わり、手を振るマリカの映像で今日の配信が終わる。配信した動画は全てアーカイブされており、動画投稿サイト上のマリカちゃんネル★のページでいつでも見られる状態になっていた。

 動画配信をしようと思ったのは今からちょうど一年前、中三の冬だった。何気ない平日の夜、ふと鏡を見た時に私は自分がこれからどんなに頑張ってもヒカリちゃんにはなれないことに気付いた。気付いてしまった。気付くのが遅い、と言われるとそれまでなのだが、本当はもうずっと前から気付いていて、認めたくなかっただけなのかもしれない。私はデカいし、声も低い。その時点でヒカリちゃんとの間には埋めがたい生物的乖離がある。それでも顔が可愛いのならばまだ一縷の可能性があるのだが、私は自分の顔をお世話にも可愛い顔だとは思えなかった。同じクラスの男子が私のことを裏では有名オバサン眼鏡芸人の名前で呼んでいることも知っていた。じゃあもうダメじゃん、と思ったが、私はそれでもヒカリちゃんという理想を捨てきれなかった。

 自分の理想が自らのキャパを大きく超えてしまっていたら、人は普通どうするのだろうか。現実を見て諦める? それでも諦められない場合は? 身の丈に合うところで妥協する? 私の選択は「作る」だった。

 同時期に、テレビで美少女のアバターを作って、それを纏い配信を行うのが最近流行っているという特集を見た。いわゆるバ美肉。バーチャル美少女受肉と呼ばれているものだった。最近は男性がバーチャルの美少女として立ち振る舞うことを指すケースが多いらしいが、これを使えば男だろうが女だろうが、デカかろうが可愛くなかろうが、なりたい自分になれる。素晴らしい、と思った。これしかないと思った。自分が理想の自分になれないのであれば、理想を作ってそれを私としてしまえばいいのだ。

 とは言え当時の私は普通の中三の女子で、自由に使える機材も無ければ、それを扱う技術も無かった。しかしこればかりは無いからと言ってそこで諦めるわけにはいかなかった。私にとっての活路はもはやここしかないという、まさに背水の陣の気持ちだった。まずはとにかく機材が必要だった。調べてみると様々なものがあったが、いろいろ見ていく中で、だんだんと自分が買うべきものが何なのかが見えてきた。パソコン、3Dアバター作成ソフト、VRライブ・コミュニケーションソフト、感知センサー、ボイスチェンジャーなどなど、バ美肉をするにはいろいろなものが必要だった。もちろんお金もかかる。それは、中三女子の手持ちではまったく話にならないくらいの金額だった。

 バ美肉なんて、親世代からしたらまったく得体の知れないことをやりたいだなんて言ったら、おそらく両親ともに激しく反対するだろうと思い、私は「プログラミングの勉強をしたいからパソコン周りを一式買ってほしい」と両親にお願いした。もちろん答えはノーだった。「パソコンなんて家にあるじゃない」とお母さんはもう十年近く家族共用で使っているノートパソコンを指差した。このパソコンはいつもリビングの定位置に置かれていて、既に容量も上限ギリギリまで使っているから絶望的なくらいに動きも遅く、各々スマホを持っていることもあり、最近は誰も触れてすらいなかった。とても私のやりたいことに耐えうる機材ではない。

 しかし私も簡単には諦められない。「一生お小遣いもお年玉もいらないから」とまで言い、かなりしつこく交渉を続けた。近所に住むお爺ちゃんお婆ちゃんも巻き込んでお願いした。私の熱意があまりにも強かったので両親も困った。一応、勉強をしたいと言っているわけだから無下にもできない(プログラミングの勉強をしたいというのはあながち嘘でもないので罪悪感はあまりなかった)。後から聞いた話では、当時はお爺ちゃんお婆ちゃんも交えて家族会議が開かれていたくらいだったらしい。

 状況を打破してくれたのはお父さんの兄、私から見ると叔父さんにあたる渡叔父さんだった。この人は国立大学を出て大手システム会社に勤めた後、今は起業してフリーのシステム屋さんをしている人で、一族の中では有識者というイメージが強く、この人の発言は割と力を持っていた。その渡叔父さんにお父さんが私の事を相談したらしいのだが、そこで叔父さんが「これからの時代はプログラミングの技術が必須になるんだから、若いうちに勉強させてあげたらいいじゃない」と背中を押してくれたらしい。けっきょくこの一言が決め手になり、高校の入学祝いも兼ねて私はバ美肉をするための機材一式を手に入れることができた。叔父さんには感謝してもしきれない。

 そこからの数ヶ月はとにかく勉強の日々だった。アバターの作り方、配信の方法などなど、バ美肉に必要な知識をとにかく蓄えた。私は中高一貫の学校に通っていたので高校受験が無く、ありがたいことに時間はあった。その冬から中学卒業までの間は、ほとんどバ美肉の勉強のイメージしかない。卒業前なのに、友達ともあまり遊ばなかったし、春休みも家にこもり切りだった。

 バ美肉のことは家族にも友達にも、誰にも言わなかった(未だに誰にも言っていない)。その時期に何が世間で流行っていたのかも全然記憶が無い。そんな時期を経て、マリカが生まれたのは私が高一になった四月だった。

 私が腕を上げるとマリカも腕を上げる。私が頭を傾けるとマリカも頭を傾ける。栗色のヒカリちゃんヘアーが揺れる。微笑みとピースサインはそれぞれボタンで指示できるようプログラムを組んだ。「はじめまして。マリカです~」とマイクに言ってみると、『はじめまして。マリカです~』と、スピーカーから透き通ったマリカの声が聞こえた。この世の物ではないくらい美しいと思った。この声に辿り着くまで、幾度となく調整を重ねた。マリカは、やはり少しヒカリちゃんに似ていた。仕方がない。私の理想はやはりヒカリちゃんにある。でもマリカはただのヒカリちゃんのコピーではなく、他の要素もたくさん含んだ完全なオリジナルだった。画面の中で微笑むマリカを、他の何よりも、誰よりも愛おしく思った。あなたは、私だ。畠田美由紀だ。



 ダンスが好きならばダンス部に入るのは当たり前といえば当たり前なのだが、しかし、一口にダンスと言ってもいろいろなものがある。それは別にジャンルの話だけではない。年代とか、表現方法とか、スタイルとかもそう。しかし、どんな視点から見ても私達のチームのダンスが世に認められることなど、過去も、今後来る未来も一切ないのだろうなぁ、なんてことを思いながら夕暮れ時の冷たい風の中踊る。

「あ、ちょっと待って。ストップ、ストップ」

 センターに立つ茜ちゃんが手をパンパンと打ってその両サイドを固める私と優子ちゃんの踊りを止める。集中できていなかった自覚があったので、多分私だろうな、と思ったのだが注意をされたのは優子ちゃんの方だった。

「腕、もっとピーンと伸ばしてよ。ピーンと」

「えっ、こう?」

 と言って優子ちゃんは腕を伸ばす。私の感覚ではちゃんとピーンとなっているように見えるのだが、茜ちゃんは納得がいっていないようで「違う、こう」と優子ちゃんの腕を強引に引っ張る。痛そうだったが、さっきまでとほとんど差はなかった。

 いや、それ何が違うの? と思いつつも、やる気満々で、額にはしっかりと汗をかき、どういうチョイスなのか今日は黒のブラジャーが小太りの体操服に透ける茜ちゃんに対して何も言えなかった。

「ちょっと、もう本当にエンジンかけていかないと時間無いよ。校内選考会まで二ヶ月切ったんだからね」

 と、茜ちゃんはまた手をパンパンと打って私達に言う。なんだ、けっきょく私も注意されるのか。避けきれなかったという感覚はある意味直撃するよりも気持ちが悪い。そして私は茜ちゃんが私達に注意する時の手をパンパンと打つ仕草が嫌いだった。「ごめんね。ほんとごめん」と気の弱い優子ちゃんはペコペコと謝る。何に対して謝っているのだか私にはよく分からなかった。私達は別に茜ちゃんのためにダンスをしているわけではないのに。そうやってすぐに謝るからどんどん茜ちゃんが付け上がるのだ、と思いつつも、何となく場の空気を悪くしたくないから私も「ごめん」と謝る。この、沢田茜ちゃん、江島優子ちゃん、そして私の三人でダンスチームを組んでいた。

 私達の学校のダンス部は部内でそれぞれ三~四人のチームを組み、各々で練習を行う体制を取っていた。それで大会前にチーム対抗の校内選考会を行い、結果上位三組に入ったチームのメンバーのみが校外試合に出る権利を得ることができるのだ。つまり、校内選考会で上位に入らない限りは校外大会にも出られない。この厳しいルールは部に昔から伝わるしきたりだった。なんせうちの学校のダンス部は都内でも有数の名門で、実際、過去の先輩達は全国大会でも輝かしい成績を残していた。そんな名門校だから、中途半端な人間を大会に出場させて醜態を晒すことは許されず、事前に厳しい校内選考会を行い出場できる人間を絞っているのだ。今、部内には全部で十三組のチームがある。三年の先輩が引退する夏前までは二十組あった。おそらく来年の春にはまた一年生が入ってきて、今年の夏前と同じくらいまでチーム数が増えるだろう。そう考えると今が一番ライバルが少ない時期なのだ。だから茜ちゃんも気合いが入っているのだ。

 それにしても風が冷たい。日もだんだんと暮れて暗くなってきた。思えばもう十二月なのだ。

 ダンス部の練習スタジオはもちろん室内にちゃんとあるのだが、そこは二年生の先輩達が使っているので、一年生は基本的には使えない。仕方がないから一年生の部員は外に出て校内にいくつかある大きな窓を鏡にして練習をするのだが、それにもランクがあり、例えば、視聴覚教室の窓なんかは大きいし、放課後は誰もいないから使いやすいのだが、そこは一年生の中でも選考会で上位に入ったチームが使うことになっており(明確にそんなルールは無いのだが暗黙の了解でそうなっていた)、私達のような一年生の中でも順位の低いチームは食堂の窓など、ぎりぎり何とか鏡として成り立つような場所で練習することを余儀なくされていた。カースト制度なんてものは歴史の授業で習う遠い昔の話だと思っていたが、現代にもしっかりと残っている。

 食堂には放課後でも人がいて、たまに室内から窓の外で踊る私達を見て笑っている人もいた。そういう時、私はすごく惨めな気持ちになる。何をやっているのだろうと思う。でも笑ってしまう気持ちも分かる。何か面白いもんね。センターに立つ茜ちゃんは小太りで汗っかきだけどいつも全力で、必死だ。優子ちゃんは、それはすごく可愛い子か小学生しか許されないだろという感じのロングのツインテールなのだが、特別可愛い顔ってわけでもないから何だか痛い感じになってるし、とにかく運動神経が悪くて動きがいつもぎこちない。そして私はデカくて丸眼鏡ときている。こんな三人が窓の外で馬鹿みたいに踊っているのだ。私なら笑う。

「優子ちゃん、ピーンとして! ピーンと!」

 もうピーンとはいいだろ、と思いながらも怒られるのは嫌なので私もピーンとを意識する。鏡(に見立てた食堂の窓)に映る私達はやっぱりどこか滑稽だった。それはビジュアル面だけの問題だけでなく、ダンス自体も今一つパリっとしない。音で表すなら、ベチャっという感じで、今回の校内選考会も上位三組に入るのはどう考えても厳しいと思った。

 ダンスが好きだった。だからダンス部に入った。中学にはダンス部は無かったが、高校に入ったらあの名門ダンス部に入ろうという思いは、中学受験の時からすでにあった。踊ることは小学生の頃から好きで、ヒカリちゃんの踊りなら中学の時点でどの曲も完璧に踊れるようになっていた。だからそれなりに自分のダンスには自信を持っていた。そしてそれは高校入学からひと月も経たないうちに粉々に砕け散った。呆気ないくらいにあっさりだった。さすがは名門校、上にはちゃんと上がいる。先輩はもちろんのこと、同級生も上手な子ばかりで、何よりみんな踊りに華があった。私だって別に、まるっきりの下手くそではないとは思う。でもその華、他人を惹きつける何かというようなものは残念ながら私には無かった。それを他の周りの部員達はみんな当然のように持っていた。

 入部早々、夏の校内選考会へ向けてゴールデンウィーク前にはもうさっそくチームを組むことになった。薄々分かってはいたが、華の無い私とチームを組みたがる人は誰もいなかった。当たり前だ。華は集まって彩りを増す。そこに空白の入る余地などあるはずが無い。だから同級生の中で華の無い私達三人が集まってチームを組んだことは偶然ではなく必然だったと言える。選考会は全部員がそれぞれ自分達以外のチームの演技に点数を付けて投票し、その点数の合計で総合的な順位を決める。初めての選考会は二十組中十八位だった。十九、二十位はメンバーの怪我等を理由に参加を見送った二組だったので、これは実質最下位だった。

「茜ちゃん、もう暗くて見えなくなってきたよ」

 優子ちゃんが恐る恐る言う。確かにもう日はほとんど暮れていて、鏡に映るお互いの輪郭もぼやけつつあった。それで仕方なく茜ちゃんも「今日はここまでにしようか」と言った。その後舌打ちをしたような音が聞こえたのだが、それが本当に舌打ちだったのかは分からない。更衣室はまだ開いているはずなので着替えて帰ろうと思ったのだが、茜ちゃんは「私はいい」と断った。「風邪ひいちゃうよ」と優子ちゃんが気を遣うも、「いいって言ってんじゃん」と隠すことなく苛立った声を出した。それで何となくこのまま別れるのは微妙な空気になり、私と優子ちゃんも更衣室へ行くのを止めて、三人とも体操服の上に学校指定のコートを羽織って帰った。

「美由紀ちゃんは優子ちゃんのことどう思う?」

 帰りの電車は茜ちゃんと私が同じ方向で、優子ちゃんだけが反対方向だった。帰宅のラッシュに巻き込まれ、二人で並んで吊り革を握っていた時にポツリと聞かれた。

「えっ、どうって?」

「いや、もちろんダンスの話。だってさ、めちゃくちゃ動き悪くない? ほんといつまで経ってもぎこちないままじゃん」

「まぁ、確かにね」

「正直言ってうちのチーム、優子ちゃんに足引っ張られてるところはあると思うよ」

 別にうちのチームが評価されないのは優子ちゃんだけのせいじゃないと思うけど、ややこしい話に発展していくのも嫌だったので「かなぁ」と曖昧な返事をする。

 そもそも「誰かのせい」なんて話が出てくること自体良くないことだ。チームの雰囲気が悪い。

 正直、こんな雰囲気の悪いチームでダンスをしていてもあまり楽しくなかった。部活を辞めることも考えたことがないわけではない。聞いたことはないが、おそらく優子ちゃんだってそう思っているだろう。それでも何とか続けているのは誰か一人が抜けたらチーム自体が崩壊してしまうという連帯感と、あとはやはり純粋にダンス自体は好きだからなのだろう。

「とにかく、今回の校内選考会は何としても上位に入らないとダメなんだからね」

 ダメだからね、と言われても無理なものは無理なのだからどうしようもないと思う。悪い未来の想像しかできず、溜息が出そうになる。

 しかし、茜ちゃんだって子供の頃からジュニアダンスチームに入って、ダンス一筋の人生を歩んできた人で、決して踊りが下手なわけではなかった。ただ、私と同じで華が無い。だから華やかな人達とはチームを組むことができなかった。茜ちゃんはチームを組む時、ほとんどの同級生達に声を掛けて全滅していた。そして仕方なく余っていた私と優子ちゃんと組んだのだ。今、茜ちゃんの誘いを断った同級生達はみんな私達よりも上位にいる。視聴覚教室の前で練習したり、運良く先輩のチームに入れてもらえた子なんかはもうスタジオで練習していたりもする。茜ちゃんはそれがたまらなく悔しいのだ。だから取り憑かれたように校内選考会に執着をする。これはある種の復讐だとも言える。

 前回の校内選考会の結果が出た時、茜ちゃんは泣いていた。優子ちゃんも。でも私は泣けなかった。正直言って、そこまで悔しいとは思わなかった。それは多分マリカの存在があったからだと思う。マリカはアイドルで、ダンスも上手くて可愛くて、そしてマリカは私なのだ。だから別に校内選考会の結果がどうだろうと私はもう理想の私なのだから、何も泣くほどのことだとは思えなかった。

「美由紀ちゃん、私は水町先輩にも勝ちたいと思ってるよ」

 茜ちゃんの言葉に私は驚いた。水町先輩というのは二年生の先輩で、昨年一年生ながら校外試合のメンバーに選ばれ、全国大会で準優勝という快挙を成し遂げ、前回の校内選考会でも彼女の属するチームはダントツで一位だった名実ともにうちのダンス部のナンバーワンに立つ絶対的エースだった。その水町先輩に勝とうだなんて、実力のある二年生の先輩達だって言わない。「本気だからね」と強い目で言われて、「うん」と頷くしかなかった。水町先輩はダンスも上手いうえに女優さんのように綺麗な顔をしていた。少し鋭めの目元、短いシャープなあごと、ぷりっとした小さめな唇、茶色かかった髪を後ろに束ねたその姿は凛々しく、踊る姿にいたってはもはや映画のワンシーンのようだった。私はヒカリちゃんのような「可愛らしい」タイプの顔が好みなのでそこまで強い憧れは抱いてはいなかったのだが、ダンス部の一年の中では密かにファンクラブがあるくらい人気があった。

 その水町先輩に茜ちゃんが勝つ? 本気で言っているのだろうか? しかし少なくとも冗談を言っているようには見えなかった。私が降りる駅の一つ前の駅で茜ちゃんが降りていく。走り出す電車の中からエスカレーターに向かって人混みの中を歩く茜ちゃんが見える。客観的に見ると、体操服の上にコートはやっぱり変だ。自分が今同じ格好をしていると思うと恥ずかしくなる。茜ちゃんは一人になったというのにまだ怖い顔をしていた。その顔と水町先輩の綺麗な顔を重ねてしまい、溜息をついて目を伏せる。



 夕飯を早めに済ませてお風呂にも入り、十九時五分前にパソコンの前に着席する。ユリコチャンネルに行くと配信前からもうすでにたくさんのユーザーが参加待ち状態になっていた。今日の私は配信者ではなく、ただの一ユーザーだった。

 ユリコというのはこの界隈では有名なバ美肉の配信者で、一方的にだが私はユリコのことをバ美肉の師匠だと思っていた。というのも、今のようにマリカの配信に人が集まるようになったのは何を隠そうこのユリコのおかげなのだ。

 配信を始めた当初は本当に何をやっても配信参加者もチャンネル登録数も伸びなかった。そんな時期が二ヶ月ちょっと続いたのだが、ある日、ユリコが自身の配信でマリカの名前を出してくれたのだ。

『ほんと、めっちゃ可愛いよ~。マジでオススメ。マリカちゃんネル★、みんな見てみなよ~』

 と画面の中のユリコが言った時は耳を疑った。これは、まさか私のことを言っているのか? と、誰に見られているわけでもないのに部屋の中で一人オロオロしていた。翌日からマリカちゃんネル★に変化が見られた。アーカイブしてある動画の閲覧数が明らかに増えていたのだ。これは確実にユリコ効果だった。ユリコチャンネルの登録者は二万人いる。そのうちどれだけの人があの日の配信を見ていたかは分からない(もちろん登録していない人でも見れる)が、アーカイブ閲覧も含めるとおそらく相当数の人がマリカちゃんネル★の名前を耳にしただろう。その中で少なからず興味を持ってくれた人がさっそくマリカちゃんネル★に来てくれていたのだ。しかもタイミング良く、ちょうど数日後に配信を予定している時だった。感心度の上がっている中で新しい配信を行うことができ、それでチャンネル登録数も一気に増えた。これがきっかけでマリカちゃんネルは勢いに乗ることができたのだ。

 配信は十九時ちょうどに始まった。『ユ・リ・コ、チャンネル~♪』と、決まったタイトルコールが流れて、この時点でコメント欄は、きたきた~、ユリコちゃーん、待ってた! と、言葉の川が勢いよく流れ出す。それで満を辞してユリコが現れる。トレードマークの内巻きのロングの黒髪に大きなキラキラした目、コスチュームは有名アニメのキャラクターが着ているものに少し似た制服スタイルだった。可愛い。

『やっほ~。ユリコだよ~。みんな元気?』

 仕事帰りで疲れてるけど元気だよ~、元気っす! 待ってました~、元気です~、とみんな応える。私も、元気です! とコメントしてみる。その言葉は一瞬コメント欄の川に浮かんで、すぐに流れて行った。何だか笹舟みたいだなと思った。ユリコチャンネルほどの人気配信になるとさすがにコメントの川の流れが速い。

『さぁっ、さっそく今日も始めていきましょうか。今日はですねぇ、はいっ、スイーツ紹介の回!』

 ユリコがそう言うと、よく動画配信で使われる「イェーイ」という効果音が後ろで流れる。パチパチとユリコも手を叩く。ユリコチャンネルは毎回ユリコの好きなものを紹介する配信チャンネルだった。ユリコの(=ユリコの主の?)好きなもの。それは主にスイーツ、漫画、アニメで、だいたいその三つがローテーションで回っていた。『まず紹介するのは銀座にあるロシュワルドというお店のモンブランです! えっと、みんな、モンブランは好き? ちょっともう季節外れかな』と言ってユリコが笑う。季節外れでも全然好き! というコメントが3つ被って流れていくのが見えた。私もそう打とうと思っていたところだった。それで出てきたモンブランの写真は、もはや何だかスパゲティのようだった。具の無いスパゲティの麺がごっそりと盛り付けられているような感じ。すげぇ! スパゲティみたい! えっ、これモンブラン? と、やはりみんなも同じようなことを思ったようだ。

『すごいでしょう。これ、モンブランなんだよ~。割ってみるね』

 と言って、三分の一くらいをスプーンで割った写真に切り替わる。なるほど。こう見ると確かにモンブランだった。

『ねぇ~。見事なモンブランでしょ。これ、めちゃくちゃ美味しかったんだよ。栗感が半端なかった。メレンゲ、スポンジ、マロンクリーム、モンブランクリームの四層仕立てで、食べ応えもばっちりだったよ~。一個あたりに三十個も栗を使ってるんだって。みんな、想像してみて! 栗三十個。そう考えるとヤバいよね~。でもぺろっと食べちゃった』

 マロンクリームとモンブランクリームって何が違うんだろ? と思ったけど、確かに美味しそうだった。これは高いんじゃないの~? と、誰かがコメントする。それをユリコが拾って、『う~ん。高かったよ、確かに。いくらかは……まぁ、あえて言わないでおこうかな。何事も経験っすよ~』と笑う。スマホでロシュワルド、モンブランで検索してみると、すぐに今紹介されているモンブランが出てきた。一個二千四百円だった。マジ? 一個のモンブランに二千四百円? 私はそんなの絶対に出せない。流石はユリコ。ユリコは、ユリコの主はおそらくたくさんお金を持っているのだろうなと思う。二万人もチャンネル登録者がいるのだから、それなりの広告収入が入るのではないか。

 それからユリコはさらに二、三個のスイーツを紹介した。いつも思うのだが、ユリコは喋りが上手い。マリカだって上手いのだが、あくまでそれはフリートークでの話で、ユリコは、例えば今日だと自分の食べたスイーツのことを上手に説明していた。スイーツを分かりやすいものに例えたり、他の何かと比べたり、そのものの魅力を最大限にまで引き出す説明をする。これは多分マリカにはできない。ああいう説明は配信前に全て考えて話しているのだろうか。それとも話しながら考えているのだろうか。いずれにしても頭が良い人なんだなと思う。

『さぁっ、というわけで何だかんだ今日もお別れのお時間になってしまいました~。寂しい? 私もだよ~。寂しい~。でも大丈夫、また二週間後会えるよ。ちゃんとまた配信するからね~。それまで皆さんお元気で! では、またお会いしましょう。ありがとう~。じゃあね~』

 ユリコの配信が終わった部屋はお祭りが終わったあとの公園のように一気に静かになった。配信は今日も面白くて、一時間は本当にあっという間だった。私はさっそくキーボードに向かいユリコに送るDMを打ち始める。マリカの名前を出してもらった回以降、私はユリコの配信の後は必ず彼女にDMを送っていた。それは配信の内容に対する感想だったり、労いの言葉だったりなのだが、返信が来たことは一度もない。まぁ、ユリコほどの登録者数がいれば送られてくるDMの量も相当多いだろうし、返信が来ないのも仕方がないことだと思っていた。

『ユリコさん、こんばんは。マリカです。配信お疲れ様でした。今日も楽しく見させていただきました~! しかし、あのモンブランはすごかったですね! 最初、スパゲッティかと思っちゃいましたよ笑 でも割ったらちゃんとモンブランで、美味しそうでしたね。私も食べてみたいです~。あと今日の衣装、すっごく、可愛かったです。制服スタイルって私はやったことないんですけど、一回チャレンジしてみようかなと思いました~。いつも参考になります。ありがとうございます。では、また次回も楽しみにしています。おやすみなさーい!』

 いつの間にかもう返信を期待していない文面になっているなと思いつつ送信する。

 ユリコは、もはやブランドになっている、と思った。配信で紹介されるものはどれも私が特別好きだったものではない。モンブランだってそうだ。私はケーキを選ぶ時、進んでモンブランを選ぶことなんてまずない。でも何故だか今、私は無性にモンブランのことが気になっていた。それはユリコが紹介したから。モンブランが、私の中で「モンブラン」ではなく「ユリコが紹介したモンブラン」という存在に格上げされているからだ。不思議である。食べたらどちらも同じ味がするはずなのに、ユリコが紹介したからといって世界中のモンブランの味が変わるわけでもないのに。イメージの世界というものはどうにも計算不能で、辻褄が合わないことの辻褄がピタリと合ってしまう。ある意味それは魔法だ。私は、そのようなあり得ないことをあり得ることに変えられる存在になりたい、とマリカは強く心に思う。

 喉が渇いたので一階に降り、冷蔵庫のお茶を飲む。リビングには誰もいなかった。お父さんはまだ帰っていないようで、お母さんはお風呂にでも入っているのだろう。お姉ちゃんは自分の部屋にいるのだろうか、と思ったその瞬間にお姉ちゃんがリビングに入ってきた。コートを着ているところから見て、今外から帰ってきたところなのだろう。目が合って、すぐに逸らされたのだが、何も言わないのも微妙なので「お茶飲む?」と聞くと、即座に「要らない」と言われた。

 お姉ちゃんとの関係が悪くなったのはいつ頃からだろうか。思い返してもそれは明確には分からない。別に私達の間に決定的な何かがあったわけではない。ただ、何となくお互いがお互いを受け入れられない部分が増えていき、最初は見て見ぬフリをしていたのだがそれも限界を超え、関係を拗らせるしか行き場がなくなってしまったのだと思う。

 昔の私達は仲の良い姉妹だった。お姉ちゃんもヒカリちゃんが好きで、二人でテレビの前で踊った。お姉ちゃんは私より三つ上で、今年から大学生になっていた。いつしかヒカリちゃんカットもやめ、もはや金に近い茶色の髪にふわっとしたパーマをあてていた。ドラマだか映画だかの影響でどうも最近はこういう髪型が流行っているようなのだが、ちょっとケバい。髪につられて化粧も日に日に濃くなっている気がする。

 断ったにもかかわらず、お姉ちゃんは私が退いたあとの冷蔵庫からお茶を出して飲んだ。それなら素直に私の好意にすがれば良いのに。そんなに私のことが嫌いか? 少しイラッとしたが、ソファに座り何も言わずにテレビをつけた。いくつかチャンネルを回したが面白そうな番組は一つもやっていなかった。今後、テレビはどんどん衰退して動画配信サービスに移行していくという話を何かで見たが、それは本当なのかもしれない。少なくとも私が小学生だった頃のテレビはもっと面白いものだったと思う。

「あんたさ」

 唐突にお姉ちゃんの声が頭の後ろの方から飛んでくる。

「たまに部屋で気色悪い声出してるの、あれ何?」

「は?」

 何のことを言っているのだと思ったが、すぐに動画配信のことだと気付いた。マリカの声を吹き込む私の声が漏れていたのだろう。

「お姉ちゃんには関係ないじゃん」

「別にあんたが何しようと関係はないけど、気色悪いの。一階にいるお母さん達には聞こえないかもだけど、私は隣の部屋だから聞こえるのよ。何をしてるか知らないけど、どうせ馬鹿なことしてるんでしょ? もうやめてよね」

「だからお姉ちゃんには関係ないって言ってんじゃん。私の部屋で私が何しようと勝手でしょ」

「迷惑してるって言ってんの。声が漏れてて気色悪いって言ってんの」

「は? そんなん知らないし。嫌だったら耳栓でもしてればいいじゃん。てか、お姉ちゃんだって電話の声うるさい時もあるよ」

「あんたの気色悪い声よりマシよ。あと、前から言おうと思ってだけど、ヒカリちゃんカットいい加減やめたら? 時代遅れ感が半端ないよ。正直ダサいよ」

 短時間に「気色悪い」と四回も言われたうえに、ヒカリちゃんカットのことまで馬鹿にされた。頭にきたが、同じくらいがっかりした。この人はもう、完全に自分の理想を諦めてしまっている。

 昔は二人してヒカリちゃんを目指した。髪型を真似て、歌って踊った。ヒカリちゃんは間違いなく私達姉妹の理想だった。でもお姉ちゃんはどこかでそれを諦めた。心変わりなんてことはあり得ない。あんなに好きだったものから心がブレるなんてことは考えられない。だから、諦めたのだ。お姉ちゃんは私より少し小さくはあるがほとんど同じようなもので、声も姉妹だからかよく似ていて低い。確かに、お姉ちゃんもヒカリちゃんにはなれないだろう。だから仕方なく手の届く範囲で自分を作り、あげくふらふら凧のように流行に流される中途半端な人間になってしまったのだ。理想を手に入れた私からすると可哀想にも思える。

「お姉ちゃんの髪だって全然似合ってないじゃん」

 その言葉でお姉ちゃんの怒りのギアが一段階上がったことが表情から分かる。もうこれ以上話すのはやめようと思った。おそらくお姉ちゃんも同じことを考えているのではないか。姉妹だからかそういうのは何となく分かる。こういう時は先にに部屋を出て行った方が勝ちだ。お姉ちゃんが流し台にコップを置きに行っている隙に私はリビングを出て自分の部屋に戻った。

 いつかは分かり合える日が来るのだろうか。喧嘩をしてしまった日はいつもそんなことを考える。いつか、お姉ちゃんが結婚したり子供を産んだりして、それを素直に祝えるのだろうか。もちろんそれは逆も然りで。そしていつか、両親もいなくなって私達もおばあさんになった時、何か共通の話題で笑い合うことができるのだろうか。とりあえず今はそんな未来をまったく想像できない。

 中途半端な偽物を纏ってそれっぽく取り繕っている姉の心を、私はどうしても理解ができない。正直言って腹が立つ。そしてそれと同じくらい姉も私に対して腹を立てている。

 ベッドに倒れ込んだ視界の先につけっぱなしにしていたパソコンのデスクトップが見える。画面の右下にDM受信のポップアップが出ていた。私は起きあがってそのポップアップをクリックする。それはもはや奇跡だと思っていたユリコからの返信だった。

『毎回DMありがとう! そして全然お返事できていなくてごめんなさい。私もマリカちゃんの配信いつも見ています。ダンス、めっちゃ可愛いですね! 良かったら今度コラボしてみませんか?』

 コラボ?

 一瞬思考回路が停止した。 私とユリコが? コラボ。本当に? 信じられない。しかし何度読んでもDMには確かにそう書いてある。ユリコの登録者数は私なんかよりもはるかに上だ。有名人だ。そんな雲の上の人とコラボができるなんて、普通に考えたら有り得ないことだ。私は踊るようにキーボードに指を滑らせる。

『ご返信ありがとうございます! コラボ! めちゃくちゃ嬉しいです! 是非お願いしたいです』

 勢いですぐに返信してしまったのだが、この文面で良かったのだろうか? テンションを間違えたのではないか? と、送信してからそんなことを思ってしまった。もっと考えて返信すればよかった、と一瞬モヤモヤしたが、すぐにユリコから『オッケーでーす! また詳細連絡しますね☆』と返信が来て死ぬほど安心した。

 その三日後、ユリコから本当にコラボの日時と配信内容の案が送られてきた。もちろん私はそれを二つ返事でOKした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る