父と息子の微妙な距離感

ぺいぺい

第1話 かけがえのない場所


「明日買い物行くんだけど、一緒に行く?」



 母さんが部屋をノックもしないで開けて聞いてきた。

ビューッ、と3月の寒い風が開けたドアから部屋に入ってくる。



「あ、行こうかな。・・・ちょっと待って、父さんもいるの?」



思い出したように聞き返す。



「え、お父さん?もちろんいるけど」


「・・・じゃあ俺はいいよ」


「・・・あらそう」



 そう言って母さんがドアを閉める。

ドアが閉まる前に母さんの少し残念そうな顔が見えた。

そんな顔しないでよ。

・・・父さんといたって気まずいだけだ。


 こうなってしまったのは去年の11月からだった。

俺は地元を離れて自分のしたいことができる遠くの大学に行きたいと、

父さんと母さんに打ち明けた。


 母さんは自分の好きなことをすればいいと背中を押してくれたけど、

父さんは違った。


 そんなのダメだと大反対された。

でも俺はその大学じゃないとダメだって必死に反抗した。

何回も何回も話し合った結果、

好きにしろ!と、

半ば突き放すように父さんは地元を離れることをOKしてくれた。


 そこから父さんとは気まずくなってしまって話していない。

毎日の食卓でも母さんばかりが話すようになってしまった。


 俺は知ってた。

頑固で物静かな父さんが俺とこんな感じになって、

自分から話に来ることなんてないって。



 俺は無事大学に合格し、

1週間後から向こうの土地で一人暮らしをする。

すでに荷物は向こうに送ってあって、あとは俺が行くだけ。


 一週間でこの家ともお別れか。

20年以上住んでたもんな。

様々な記憶が蘇る。

友達が遊びに来たこと、受験勉強を夜中までしたこと、辛くてベッドの上で泣いたこと。

普段ならそんなこと思わないのに、なぜかこの部屋が愛しく思えた。

この部屋は俺の安心できる場所だったんだな。


 その日の夜、母さんはママ友と遊びに行くとかで帰りが遅くなるので、

晩御飯は俺と父さんで適当に食べることに。


2階の部屋から階段を降りてリビングへ向かう。

父さんと2人か、

足取りが重い。

ミシッ、ミシッと軋む音が響く。

何を話せばいいんだ。


リビングに行くと、

父さんがソファーに座ってテレビを見ていた。


テーブルには緑のたぬきが2つ置いてある。

母さんがいないときはいつもインスタントラーメンだ。

まあ父さんも俺も料理できないしな。


キッチンに行って、

父さんの分も少し多めにお湯を沸かす。


 お湯が沸く間にトイレに行く。

別に父さんと話したくないわけじゃなかった。

でも、なんて声をかければいいか分からなかった。

・・・父さんとわだかまりを残したままここを離れるのは嫌だ。


 リビングに戻ると、父さんが緑のたぬきにお湯を入れていた。

俺の分もお湯を入れてくれている。

・・・一緒に食べるのか。


 2人でテーブルに座り、

向かい合って食べる。


 テレビも消し、

換気扇の音と麺をすする音だけがリビングに響く。

・・・気まずい。



 ふと箸を持つ父さんの手が目に入った。

ゴツゴツしていて、しわが多い手。


小さい頃、父さんと手を繋いで公園に散歩に行ったことを思い出した。


 ・・・その大きな手で家族を守ってくれてたんだな。

父さんとの2人だけの食事もこれで最後かな。


 そんなことを考えながら麺をすすっていると、

小さくトントン、と音が聞こえてきた。


 音の方を見ると、

父さんがテーブルを指でトントン叩いている。

・・・知ってる。


 父さんがこれをする時は何か言いたいことがある時だ。

生まれてからずっと一緒にいるんだ、父さんの癖なんてよくわかる。


 何が言いたいんだろう。

まさか大学のことに文句でも言いたいのか?



「一人暮らしの準備は進んでるのか?」



父さんがボソッと呟いた。



「・・・うん。一週間後だしね、もう荷物はまとめてある」


「そうか」



 なんだよ!早く出て行けってことかよ!

結局父さんは最後まで俺のことなんてどうでもよかったんだ。

怒りと悲しみの中、父さんがテーブルを指で速くトントン叩く音が聞こえた。




「・・・頑張れよ」




 え?

父さんは自分の言ったことをかき消すかのように麺を勢いよくすすった。



予想外の言葉に俺は驚きを隠せなかった。



「・・・うん」



無意識に口から言葉が出た。

俺も恥ずかしくなって麺を勢いよくすすった。


父さんは俺のことを応援してくれてたんだ。


それからは気まずくなんてなかった。

見えない絆で繋がっていたから。


ああ、なんか急に寂しくなってきた。

この時間が永遠に続けばいいのに。



引っ越し当日。



「あれは持った?忘れちゃダメよ!」



母さんに言われる。



「わかってるよ!」



 出発の時間が近づき、

俺は家の中を走り回っていた。



「さっき言ってたやつは持ったか?」


「持った!」


「あれは忘れちゃダメだぞ」


「はいはい」



俺と父さんのやりとりを見て母さんが驚いた顔をしている。



「・・・2人もずいぶん仲良くなったのね」


「・・・たまたまだ」



父さんがぶっきらぼうに返す。



そしてついに出発の時間。

玄関で荷物をチェックしている俺を後ろで父さんと母さんが見つめている。



「よし、それじゃあ行くよ」



そう言って靴に足を入れた時、

父さんが自分の太ももを指でトントンしているのが見えた。

まただ、父さんは何か言いたいことがあるんだ。


俺は無意識に靴を履くスピードをゆっくりにしていた。

聞きたい。

父さんの言葉を。


靴を履いてゆっくり立ち上がった時、

父さんが大きく息を吸う音が聞こえた。




「・・・いつでも帰ってこいよ」



その暖かい言葉に自然と涙が溢れた。


俺は振り向かなかった。

成長して大きくなった背中を見て欲しかったから。

それに、泣きそうになってるのを見られたくなかった。



「・・・うん、今まで育ててくれてありがとう」



 喉が詰まって話しづらかった。

うまく言葉にできないのは俺も父さんと同じだな。

当たり前だ、父さんの息子なんだから。


 言いたいことはいっぱいあった。

でも、これで全て伝わる気がした。


 父さんは外の世界で戦ってたんだ。

俺と母さんを、そしてこの家を守ってくれてたんだ。



父さんと母さんに見守られながら俺は玄関のドアを開いた。


 いつでも帰ってこればいい。

ここはいつでも俺を優しく包み込んでくれる、

かけがえのない、あったかい場所だから。





その日の晩。




「今日から2人ね。・・・作るおかずの量も少なくなっちゃったわ」


「ああ」


「あの子たくさん食べるから」


「そうだったな」


「・・・お父さん、そんなに寂しがらなくても。一生会えなくなるわけじゃないんだから」


「別に寂しくなんかない」


「強がっちゃって。遠くの大学に進学するのを反対したのだって寂しかったからでしょ?」


「・・・違う」


「あらそう。でもあの子なら大丈夫よ。きっと今頃、大好きな緑のたぬきでも食べてるわよ」


「・・・そうだな」




ダンボールだらけの部屋にズルズルッ、と麺をすする音が響く。




「・・・やっぱおいしいな」

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