なんでやねん殺人事件

見鳥望/greed green

【夫婦漫才】




「おい、みや?」




 嘘だろ?


 ついさっきまで一緒にはしゃいでいたのに。こんな事ってあるか?




「なあ、みや? みやこ?」




 おふざけにも程がある。おふざけが大好きな事は知っているが、これはちょっとやりすぎだろ。




「おいおい、迫真の演技が過ぎるって。なぁ、みーー」




 瞬間血の気が引く。うつぶせに倒れた妻の頭から、たーっと血が流れていく。確かにすごい音はした。でもそんなのいつも通りの音の一部だった。




「嘘だろ……おい、おい美也子!」




 呼びかけにも反応しない。流れ出した血は美也子の身体をどんどん濡らしていく。




 ーーこれ、殺人になるのか……?




 そんなもの聞いたことがない。でも、被害者と加害者の振り分けを考えた時、どう考えても加害者は俺になるだろう。




『いやええねん。私あんた以外に、夫107人おるから』


『煩悩のように夫を並べるなこのふしだらマダム』




 俺達はいつものように夫婦漫才をしていた。楽しい、楽しすぎるいつもの当たり前のような日常だった。




『そして本日新メンバーが加入したので、BNO108から、たけるは脱退となります』


『唐突な選抜落ち!』




 くだらなすぎる、明日には一切の記憶にも残っていないやり取りが幸せだった。




『という事で、本日てめぇの晩飯はなしだ』


『なんでやねん!』




 いつもより少しツッコミに力は入ったかもしれない。だがそれを言えば大げさに美也子も吹っ飛びすぎだろうという部分もある。


 ごん、ととてつもなく鈍い音がした。吹き飛んだ美也子は机の角に強力に頭をぶつけ倒れこんだ。そのまま起きてこないというボケはこれまでにも何度かあった。だが今日ばかりは違った。




「ん?」




 その時、美也子の右手が少しだけぴくりと動いた気がした。




「み、みや?」




 呼び掛けには応じなかった。しかし見間違いではなかった。美也子の右手はゆっくりだが確かに動いていた。




「おい、だ、大丈夫か?」




 俺の呼び掛けを無視して、美也子は右手を伸ばし床を人差し指でなぞり始めた。


 ……いや、違う。血に濡れた指先は、少しずつ文字を描き始めていた。




 ーーこ、これはまさか……。




 つつつ、と美也子は指を動かし続ける。




 ”た”




 一文字目が出来た。


 この状況から導き出される結論は一つ。あれだ。




 ”け”




 ーーこいつ、ダイイングメッセージを……!




 やはり、妻は俺に殺されたと思っているのか。


 俺のなんでやねんに殺されたと。


 ……なんて、事だ。こんなの前代未聞だぞ。




 どうしよう。どうすればいい。俺はこれから殺人犯として世に知れ渡る事になるのか。


 しかもこんな奇怪な事件の犯人として世に名を刻み込み続けるのか。




 あわあわ慌てる俺をよそに、美也子は最後の一文字を完成させた。


 残された彼女の最後のメッセージを、俺はまじまじと見つめた。










 ”し”










 た、け、し。




 たけし。




 ……たけし?






「……いや、誰ーー!?」




 その瞬間、俺は最愛の人の行動の意味に気付き、涙がどっと溢れて止まらなかった。


 最後の最後まで、こいつは俺と漫才をしてくれたのだ。


 どこまでも笑いが好きな女だった。


 こいつは、本物だ。




 ーーなんでやねん。




 そんな最高のお前が死んでしまうなんて。


 こんなの、全く笑えねえよ。










































【とある住人の証言】






 いやー、賑やかというか喧しいというか。普通だったら怒られるわよね。マンションに住んでたらやっぱり騒音問題ってあるじゃない。赤ちゃんの泣き声とかでも怒鳴りこんでくるような人間もいるわけだしさ。 




 でもね、あの夫婦は皆許してたわ。確かにめちゃくちゃうるさいわよ。ずっとって訳じゃないけど、漫才が始まったらそれはそれはもう。




 ただね、悔しいけどおもしろいのよ。一見夫婦喧嘩かと思うようなやり取りなんだけど、ちゃんと聞いたら訳分かんない事ばっか言ってんのよ。奥さんの方がとにかくボケたがりでね。凄いのよほんと。よくもあんなに口が回るというか。新喜劇みたいにドンがらがっしゃん物音が鳴ったりもしてさ。




 いやもう、あこまでいくとこっちもなんだか楽しくなっちゃってねえ。旦那や子供とかが、「お、始まったぞ」ってテレビ止めてわざわざそっちに聞き耳立てたりするぐらいだったもん。ほんと愉快で明るくてね、お似合いの二人だったわよ。




 それがねぇ、最期あんなふうになっちゃうなんて。


 まあ……らしいっちゃ、らしい最期だったのかもね。


 最後の最後まで漫才やり切ったんだからね、あの二人。






















































【事故物件マニア】






『もうええわーーーー!』








 ドン。
















 なるほどな。噂通りというか。凄いなここ。


 怪談や怪奇現象の魅力にどっぷりハマった俺は様々な事故物件を渡り歩いていた。色んな怖い目にあってきたが、ここはなかなか異質な場所だった。




『なんでやねん!』




 この部屋にいると毎日のように漫才のような男女の会話が聞こえてきた。




 ドン。




 ラップ音もすごい。誰かが思いっきり何かにぶつかったような音もしきりにする。






 ここは半年前にとある夫婦が亡くなった場所だった。


 この夫婦は周りの住民にも有名なお笑い好きの夫婦で、毎日のように夫婦漫才が繰り広げられていたという。住民も彼らの楽しいやり取りが好きで、騒音紛いな二人のやり取りも楽しんで過ごしていたと言う。




 しかしある日、そんな部屋で事件が起きた。


 いつものように夫婦漫才に講じていた流れで、妻である美也子が夫の尊からのツッコミを受け頭を強打し死んでしまったのだ。


 警察の調べからもその場には二人しかいなかった為、第三者の犯行ではなく、夫のツッコミにより妻が死んだという状況が断定された。




 しかし残されていた妻のダイイングメッセージ。そこには”たけし”と残されていた。


 捜査員は一時このメッセージに混乱したが、二人の関係性などを考え抜いた結果、これは”妻の最期の渾身のボケである”というとんでもない結論に至った。






”最後の最後まで漫才やり切ったんだからね、あの二人”






 隣の部屋に住んでいたおばさんにこの部屋の事を聞いた際に色々と彼女は教えてくれた。


その証言の中からも、妻のダイイングメッセージの意味合いを確信づけるものがあった。それが、夫である尊の最期だ。




『もうええわーーーー!』




 美也子が死んだ夜。彼は自分が住んでいる部屋の五階の窓からそう言い残して飛び降りて亡くなったのだ。




 嘘みたいな話だ。だが全てを繋いだ結果、二人は最期の最後まで全てを漫才にする事にしたのだ。全てを笑いに変えてやろうとしたのだ。


 そんな強い念が残っているせいか、除霊も効かず、ずっと今でも彼らの漫才は部屋で続いているのだ。




 今まで見てきた事故物件では感じた事のない感覚だった。


 毎日続く二人のやり取りが幸せで、それだけに全てが分かると彼らの終わりがどうしようもなく悲しくて、それを考えるとどうしても笑ってやる事がなかなか出来なかった。




 ーー生きている二人に会ってみたかったな。




『もうええわーーーー!』




 いやいや、ダメだ。きっと悲しむからダメなんだ。


 彼らは笑って欲しいんだ。みんなに笑顔になってほしいから、彼らは笑いに徹したんだ。




「はは、はははは……」




 こんな所じゃなくて、天国のもっと盛大なステージで皆を笑わせてほしい。


 天使や神達が彼らの漫才で笑い転げる様を想像して、なんだかおかしくなってきた。




「……はははは!」








 数日後、俺は知り合いの信頼できる霊媒師にこの部屋の事を話した。


 そこから紹介してもらった坊さんにお願いした所、彼らはようやく成仏し、それからは部屋の声は一切なくなった。




 お祓い当日の光景は異様だった。除霊等の類を何度も目にしたことはあるが、俺や住人達が部屋に集まって彼らの漫才を聞きながら腹を抱えて笑った。それが彼らの供養になるとの事だった。




 何にしても、いつまでもこんな所で燻ぶっているような二人ではない。


 どうか天国でも楽しい漫才を続けてくれる事を願うばかりだ。

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