第16/23話 二度物音

 轟橋赫雄は、ロールタイムが始まってからというもの、ずっと、耳を澄ませていた。競一が出すであろう、トリガーの弾く音や、サイコロの転がる音を、聞き逃すまい、として、意識を集中させている。

 それらの音が鳴ったなら、その間に、テーブルを叩いて、振動させる。それにより、彼が【ハンド】を用いて予測した出目と、実際の出目を、違わせるつもりだった。

(おれが、怪訝に思ったのは、セット1のラウンド6……品辺が、アンティ分のチップをサークルに置こうとして、手から、一枚、落としてしまった時だ。

 その時、チップは、テーブルの端に向かって転がっていっていた。にもかかわらず、やつは、大して──いや、いっさい慌てることなく、それめがけて、ゆっくりと手を伸ばし始めた)

 さきほどから、衝立の向こう側からは、かさかさ、という、布が擦れるような、小さな音が聞こえてきていた。おそらくは、競一が、ロールを行うべく、いろいろと準備をしているのだろう。

(普通、テーブルの上にある物が、その端に向かって転がっていっているのを見たら、急いで、取ろうとするだろう? 床に落ちたら、拾うのが面倒だからな。

 だが、品辺は、まったく急がなかった。そこで、思ったんだ。やつには、転がっていっているチップが、テーブルの端の手前で止まる、ということが、わかっていたんじゃないか……ひいては、それは、【ハンド】を行使したことにより、わかったんじゃないか、ってな)

 赫雄は、拳を握った右手を伸ばして、衝立のすぐ手前、テーブルの表面から数センチ離れたあたりに、待機させていた。後は、競一がロールを行っている間に、勢いよく下に動かし、ぶつけるだけだ。

(だが、実際には、チップは、床に落ちた。その時、品辺は、慌てた様子、うんざりした様子を見せた。つまり、チップがテーブルの端を越えたことは、やつにとって予想外だった、というわけだ。

 矛盾するようだが……なあに、簡単に説明がつく。チップが転がっていっている間、上の階から、工事の、大きな音が鳴り響いてきたじゃないか。同時に、テーブルが、わずかに振動した。

 つまり、品辺が【ハンド】を行使して予測した内容は、あくまで、【ハンド】を行使した時点のもの……その後に、何らかのアクシデントが発生し、その物体の運動に影響を及ぼした場合は、予測が外れてしまう、ってわけだ。

 で、ラウンド1のロールタイムで、品辺がロールを行っている最中に、テーブルを叩いてみた。すると、やつが、わずかだが、「う──」というような、唸り声みたいな物を上げた。それで、確信したんだ……妨害は、成功したってな)

 その後も、赫雄は、競一によるロールを待ち続けた。やがて、残り時間は、五分を切った。

(なんだ……?)赫雄は眉を顰めた。(品辺のやつ、どういうつもりだ? まだ、ロールを行わないだなんて。

 もしかして……気づいているのか? おれが、品辺がロールを行っている最中、テーブルを叩こうとしている、ってことに。

 実は、品辺は、すでに、なんとかして、音を出さずにロールを行っていて、役を作り終えているんじゃないか? 品辺は、おれが、この後も、やつの陣地からロールを行う音が聞こえてくるのを待ち続けて、そのままタイムオーバーになることを狙っているんじゃないか?

 だとしたら……)ふ、と口元を歪めた。(お粗末な作戦だな。おれが、トリガーを弾いて、役を作ってから、マシンをサークルに置いて、カバーを被せるまで、その気になって急げば、十秒もかかないんだ。品辺がロールを行っている間にテーブルを叩く、という作戦だって、絶対にやらないといけない、ってわけじゃない。そうだな……残り時間が二十秒を切ったら、おれはおれで、ロールを行うとするか)

 そのうちに、残り時間は、三分を切った。相変わらず、衝立の向こう側からは、かさかさ、という、布の擦れ合う音が、聞こえてきていた。

(……あるいは、それが、品辺の目的かもな。つまり、残り時間が尽きる寸前となって、おれが、やつがロールを行っている間にテーブルを叩く、という作戦を中止する、ということが。それで、やつは、おれがロールを行うのと同時に、自分もロールを行うことにより、邪魔をされないようにしよう、って考えているんじゃないか?

 ま、その考えも、浅はかだな。トリガーを弾いたり、マシンをサークルに置いたり、カバーを被せたりするのなんて、左手だけで、じゅうぶん行える。おれは、品辺とは違って、テーブルを叩いた時の振動がマシンに伝わっても、まったく問題ない……役作りの一連の手順は、左手だけで行って、その間も、右手を、いつでもテーブルを叩けるよう、待機させておけばいい)

 その後も、赫雄は、敵陣からロール音が聞こえてくるのを、待ち続けた。いつの間にやら、衝立の向こう側からは、布の擦れ合うような音は、鳴らなくなっていた。

 そして、残り時間が一分を切った頃になって、ようやく、ごろんごろん、という、覚えのある音がした。

(今だ!)

 赫雄は、拳を握った右手を下げると、どん、とテーブルにぶつけた。それの表面が、わずかに振動したのが、感じられた。

 今度は、競一は、何の声も上げなかった。しかし、振動は、彼のマシンに、しっかり伝わったはずだ。

(よし……今回も、品辺のロールを妨害できたな。さて、おれも、あの作戦を行うか……)

 そう考えると、赫雄は、衝立に視線を遣った。じいっ、と睨みつける。

 数秒後、彼は、(よし、完了だ……)と心の中で呟いた。(後は、役を作るだけだ)

 そう考えると、赫雄は、マシンのトリガーを、ぱちん、と弾いた。ごろんごろん、という音を立てて、サイコロが転がり回り始める。

 しばらくして、それらのうち、三個が止まった。出目は【①11】だった。

(よし……!)赫雄はガッツポーズをした。(【準ゾロ】は確定だ……これなら、品辺に勝てる……!)

 それから、彼は、カバーを手に取った。そのうちに、最後のサイコロが止まった。

 それの出目は【2】だった。役は【①112】だ。

(ふん……)

 その後、赫雄は、マシンをサークルに置いた。カバーを取り、それに被せる。残り時間は、三十秒を切っていた。

 しかし、森之谷は、ベットタイムの開始を宣言しなかった。

(……?)赫雄は彼に怪訝な視線を向けた。(おれも品辺も、役を作り終えたんだから、ロールタイムは、これで終わりのはずだが……?)

 しかし、森之谷は、その後も、黙ったままだった。

(まさか、おれの行動に、何らかの不備があって、おれがロールタイムを終えた、と、やつに見なされていないのでは……? いや、しかし、ラウンド1と同じ手順を踏んだしなあ……マシンをサークルに置いて、カバーを被せて……)

 赫雄は、そんな不安を抱いた。それからも、森之谷は、相変わらず、ベットタイムの開始を宣言しなかった。

 事が起きたのは、残り時間が、十秒を切った直後のことだった。

 衝立の向こう側から、ぱちん、ごろんごろん、という音が聞こえてきた。

(な……?!)

 赫雄は、一瞬、呆然とした。しかし、すぐに我に返ると、慌てたように、衝立を睨みつけた。

 それから数秒後、森之谷が言った。「それでは、ベットタイムを開始します」

 赫雄は、競一に悟られない程度に、溜め息を吐いた。(よかった……なんとか、間に合った。

 しかし……どういうことだ? 二度、サイコロを振ることは、基本的に、認められていない。品辺は、リロールカードを所持してもいなかったはずだ。

 しかし、やつの陣地からは、ロールを行う音が、二度、聞こえてきた。ぱちん、ごろんごろん、という音が……)

 贔島が、テーブルに近づいてきて、衝立を取り外した。

(いや……違うな。二度目に聞こえてきた音は、「ぱちん」「ごろんごろん」だが、一度目に聞こえてきた音は、「ごろんごろん」だけだった。「ぱちん」という、トリガーを弾く音は、聞こえてこなかった。トリガーを弾かずにロールを行うのは、不可能なはずだが……。

 ……そうか。一度目に聞こえてきた音、あれは、マシンを使ってロールを行った音ではないんだ。品辺が鳴らした、別の音なんだ。

 つまり、品辺は、気づいていたんだ。おれが、やつがロールを行っている最中にテーブルを叩こうとしている、ということに。だから、偽のロール音を出したんだ。おれに、テーブルを叩かせ、作戦は成功した、と思わせるために。ひいては、おれを油断させ、本当にロールを行う時、テーブルを叩かれないようにするために……)

「お二人とも、アンティをベットしてください」森之谷が言う。「アンティは、2CPです」

(たぶん、スマホを使ったんだろうな。今の時代、インターネットを探せば、サイコロが転がる音のデータなんて、簡単に見つかるだろう。そいつを、ロールタイム中に、再生したんだ。おれに、「品辺がロールを行った」と思わせるために……。

 プレイヤーである、おれと品辺は、イカサマ防止のため、スマホを持っていない。だから、音の再生を行ったのは、やつの仲間の女だ。たしか……インターバルの時に、やつは、女のことを「朋華」と呼んでいたっけな。

 イカサマ防止のため、ギャンブル中に、プレイヤー以外の人間が、プレイヤーに何かを伝えることは、禁止されている。しかし、プレイヤーが、プレイヤー以外の人間に、何かを伝えることは、特に、禁止されていない)

 赫雄と競一は、所持チップの山から、二枚、手に取ると、それぞれの陣地のサークルに置いた。

(きっと、品辺たちは、あらかじめ、何かしらのサインを決めておいたんだろう。例えば、「左手の人差し指と親指で左の耳朶を摘まんだら『ぬ』という意味」「右手の薬指と小指で右の耳朶を挟んだら『ね』という意味」みたいな感じで。で、それを駆使して、品辺は、朋華ちゃんに対して、指示を出したんだ。「スマホを使って、インターネットから、サイコロが転がる音のデータを入手しろ」「合図をしたら、それを再生しろ」みたいな感じで。長文だが……ロールタイムの制限時間は、十分。それだけあれば、伝えられるはずだ)

「それでは、品辺さま。アクションを決定してください」

 そう森之谷が言ってから、十数秒後、競一は「【レイズ】、4CP」と言った。所持チップの山から、二枚を取ると、サークルに追加する。

(なるほどな。もし、おれが【コール】して、ショーダウンを行った結果、負けたとしても、お互いの所持チップ額は、品辺が50CP、おれが51CP……逆転しない。それならば、おれは、【フォールド】ではなく、【コール】をするだろう、と考えているんだろう。

 だが……その手は食わねえよ!)

「それでは、轟橋さま。アクションを決定してください」

 赫雄は、即座に「【フォールド】」と言った。

「轟橋さまの【フォールド】により、品辺さまの勝利です。それでは、お二人とも、役を開示してください」

 その後、赫雄は、ロールマシンからカバーを取り去った。テーブルの上、敵陣に視線を遣る。

 競一の役は【①113】だった。

 その後、彼は、森之谷の言うとおりに、チップを獲得した。

「現在の所持チップ額は、品辺さまが48CP、轟橋さまが53CPです」贔島が衝立を設置した。「それでは、ラウンド3のロールタイムを開始します」

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