第43話 覚悟
「お邪魔します……。先輩の部屋に来るのは初めてですね」
口元を緩めて、少し嬉しそうな里桜さんが俺の部屋に入ってきた。
「そうだね。まあ、適当に座って」
「はい。わあ……このフィギアのメイド服……愛利奈ちゃんが着てるの見たことあります」
少しだけきょろきょろしつつ、でもあまり見ちゃいけないと思ったのか、目のやりどころに困っているみたいだ。
「ああ、それ随分古いけどね……」
隠した方がいいかなとも思ったけどもう、今さらの話だ。
どうせ今日をもって嫌われることになるわけだし。
「それで、お話って何ですか?」
「えっと……ね……」
——もう会わない方が良い。ただそれだけを伝えようとするけど、言葉が喉でつっかえる。
里桜さんが傷つく……それは思い上がり?
それとも、傷つくのは……俺か……?
結局、自分可愛さで言えないのか?
自己嫌悪で嫌になってくる。
「先輩?」
彼女の声に応えられず、俺は俯いてしまう。
気まずい沈黙。
里桜さんと一緒にいるとき、会話が途切れることがあった。でも、気まずくなることはなかったと思う。
何も話していない時間でさえ俺は楽しくて……里桜さんも楽しんでくれていたと思う。
でも……今は……。
「あの、先輩……私の相談いいですか?」
話題を変えようと思ったのだろう。里桜さんが、質問してきた。
「あ、うん」
「あのですね、青海生徒会長のことなんですけど——」
里桜さんの話によると、最近青海と話をすることが増えているそうだ。
もともと不登校から復帰したときも、声をかけてくれたりして力になってくれたらしい。
しかし……。
「最近、先輩のこととか、よく聞かれてて……付き合ってどうだとか、お兄さんと比べてどうかとか」
「アイツ、そんなこと……そりゃ、嫌な気持ちになるよね」
「えっと……あの……」
うん? なんだか歯切れが悪い。
「どうしたの? そんなに嫌な気分になってるってこと?」
「といいますか……その、むしろ聞かれたら全部答えてしまってて……嬉しくて……つい」
「えっ?」
「あまり、先輩とのことを言わない方が良いですか?」
ああ、なんだ。そういうことか。
いろいろ聞かれて困っているという話じゃなく、里桜さん自身が話をしすぎるから、それでいいのか俺に聞きたかったわけか。
「う、うーん、程々にして貰えると」
「わっ、分かりました……。ごめんなさい」
「いやいや、別に謝るようなことじゃないよ」
不思議だ。自己嫌悪に押しつぶされそうになっていたけど、今はもう自然に話せている。
こういうところが、里桜さんの良いところで、俺が好きになったところなのかもしれない。
でも、だからこそ、心を鬼にしなければ。
「里桜」
「えっ? 先輩?」
俺は里桜さんをベッドに座らせ隣に座った。
そして、肩に手をかける。
二人きりの俺の部屋で、ベッドの上に座らされる。
警戒するだろうし、ひょっとしたら怖く感じているかもしれない。
この時点で、手を払いのけてくれたらいいのだけど。
「どうしたんですか?」
あろうことか、抵抗せずに俺の手をぎゅっと握ってきた。
口元も緩ませていて、まったく警戒をしていない。
アテが外れてしまった。
じゃあ……もっと進めるしかない。
次の段階で、里桜さんは絶対に嫌がるだろう。
「暑くない?」
俺は返事を待たずに、制服の上に着ているブレザーを脱がそうとする。
しかし……。
「そ、そうかな?」
そう言いつつも、脱がせようとする俺をアシストするように身体を動かす里桜さん。
その結果、あっさりと上半身はブラウスだけになった。
里桜さんの手首にぶら下がるミサンガに手を伸ばす。
そして、無抵抗を良いことに解いていく。
「あっ……悟兄のミサンガ……」
「俺が貰うけど、いいよね」
「…………はい」
一瞬迷ったようだけど、決意するように手首を俺に差し出し、解きやすくしてくれた。
抵抗しないのか?
ダメだ。これでは、目的が達成できない。俺はもうヤケクソとばかりに、里桜さんを押し倒す。
「えっ——キャッ」
布団とは言え、勢いが付いていたので、彼女の首の裏に手のひらを添えて支える。
俺は里桜さんの上に覆い被さった。
「先輩? あ、あの……?」
さすがに怖いだろう。怖がらせた俺に怒って、ビンタしてくるかもしれない。
しかし……。
「先輩、話って……こういうことをするためですか……?」
体目的な男、ヤリ目だったと嫌われてしまえば、俺から離れてしまえば、誕生日を祝おうなどと考えないはずだ。
ビンタしてくるかもしれない。殴られるかもしれない。
でも、どんな痛みだろうと、里桜さんの命が失われるのに比べれば、どうということはないんだ。
「そうだよ。初めからカ……カラダ目当てだったし、ずっと……ヤ、ヤリた……い……と思っていたよ」
思ってもいないこと、考えたことすらないし、経験もない。
俺のセリフは、随分たどたどしいものになってしまった。
頼む、俺を嫌ってくれ。殴ってくれ……。
衝撃を予想して目をつぶった。右だろうか左だろうか?
でも、いつまで経っても痛みが来ない。
目を開けると、里桜さんは完全に手足から力を抜き、ただ俺を見つめていた。
俺と目が合うと、声を震わせながら口を開く。
「でしたら……私を……好きにしても……大丈夫ですよ……先輩」
え、なんで?
どうしてそうなる?
里桜さんの体が小刻みに震えている。
それでもなお、俺を見て微笑む。無理しているのか口元が微妙に歪んでいる。
「り、里桜さ……ん?」
俺を見つめる瞳の端に光るものが見える。
必死に、涙をこらえ笑顔を作っている。
「その代わり、どこにも行かないって約束してください。先輩がどこかに行ってしまいそうな……消えてしまいそうな予感がして……嫌で嫌で……」
俺は言葉を失う。
心を読まれたような気分だ。
「いや、それは……」
「好きにしていいんで、約束して下さい。私のそばにいるって……」
俺の後頭部から里桜さんのしっとりとした手のひらの感触が伝わってきた。
暖かく、優しく俺を撫でてくれた。その手もまた、震えている。
「や、約束はできない」
俺は右手を伸ばし、里桜さんの胸の上に置く。
心臓が破裂しそうなほど高鳴る。乱暴にしようとするけど、意に反して手が言うことを聞かない。
胸の膨らみを掴んだ右手を掴もうとするけど、力が入らない。
ああ……俺はヘタレなんだな。
何一つ、できやしない。
これ以上、彼女の身体に何かをすることは無理そうだ。
だからといって、諦めるわけにはいかない。
「俺はこういう男なんだ。身体目的の最低な男。だから、もう……会わない方が……いい……」
もう無茶苦茶なのは分かっている。発した言葉に、意味があるのかどうか怪しい。
でも、俺にはこの程度しかできない。
自分の無力さに、情けなさに涙がこぼれる。
ぽつぽつと、俺の涙が里桜さんの頬に垂れる。
どういうわけか、里桜さんの口元が少しだけ緩んでいる。
何かに納得したようだった。
うん、と頷くと里桜さんは意を決したように話し始めた。
「先輩、上高優生先輩。そうですね。会うのは……もう……なしにします」
別れの言葉に俺の目の前が暗くなるような痛みを感じる。
でも、これでいい。
「そうだよな。呆れたよな。嫌いになったでしょ」
目的は達成できそうだ、そう思った。
しかし、里桜さんから思わぬ言葉が飛び出る。
「……いいえ」
里桜さんは凜とした声で答えた。いつのまにか、彼女の体の震えは収まっている。
「先輩を信じています。あの日、病気のことを教えてくれて、一生懸命になった先輩を忘れるはずがありません」
彼女の潤んだ瞳に俺が映っている。
涙をこらえる里桜さんに心が痛む。
「ストーカーから助けたくれたことも、こんな私を……好きだと言ってくれた先輩を……。
嫌いになんか……絶対に……絶対になりません!」
それは、叫びに近かった。
「今だって、私を気遣って、こうやって私の下に手を置いてくれて……どうして私のために、こんな表情を……つらくて、悲しい顔をしているんですか?」
里桜さんの瞳からついに涙がこぼれる。
「優しくて、いつも頑張ってる先輩を嫌いになんて……なれないよ」
里桜さんはボロボロと大粒の涙を流していた。でも、さっきと違い、瞳には強い煌めくような光が宿っている。
俺はこの瞳を見たことがある。
夢の中で、自らを省みず俺を助けようとしていた……あの時の目だった。
「……またいつか……、私に嫌われようとした理由を教えてください。約束です、先輩」
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