第26話 兄妹
意識はいまだに、心地良いまどろみの中だ。
ただ、遠くで部屋のドアが開いたり、息を飲む音や再びドアが閉じられる音を聞いたような気がした。
ブーンという蜂の羽音も聞こえた気がする。
瞼越しに光が差し込んでくる。まるで、今までの暗闇を追い払うように。
俺の隣で「おはよう、お兄ちゃん」という声が聞こえた。聞き慣れた愛利奈の声だ。
頬に何か温かいものが触れる感覚の後、しばらくしてからさらさらと衣擦れの音が聞こえる。
そろそろ起きなければ。
次第に意識がハッキリしてきて、俺は目を開け、気配がする方に首を傾ける。
「おはよう、愛利奈」
「おはようございます、お兄さま」
半身を起こしスマホを確認すると、午前十時。数時間しか寝ていない計算になるけど、気分はすっきりとしていた。
既にメイド服を着た愛利奈が頬をほころばせて座っている。
彼女の口調は、いつものお嬢様風に戻っていた。
「お兄ちゃんってもう呼んでくれないのか?」
「あ、あれは……忘れて下さいませっ」
そう言って恥ずかしそうにしている愛利奈。
俺は起き上がり、窓の外を見た。
外はすっかり晴れていて、チュンチュンという鳥の音が聞こえる。
やや雲はあるものの、青い空が見えた。
「そういえば、お兄さま」
「うん?」
「こんなものが、お兄さまのジャージのポケットに入っていたのですが」
どうして愛利奈が俺の着ているジャージをまさぐってるんだとツッコんだところ、どうやら俺に素肌で密着した時に気付いたようだ。
俺はそれどころじゃなくて気付かなかったな。
愛利奈が差し出したのは、一つの紐のような、桜色のミサンガだ。
見覚えがある。
「里桜さんが持っていたものによく似ている。悟さんから貰ったと言っていたミサンガに」
「はい、わたくしもそう思います」
何かのヒントになりそうな気がする。
柄や色から推測すると、悟さんが里桜さんのために選び所持していたのだろう。俺が借りたジャージに紛れ込んだのは偶然だろうけど、手放してはいけないような気がした。
念のため事情を話し、由香さんに確認すると、彼女は「悟さんの妹さんに渡して下さるのなら」と了解をもらうことができた。
「じゃあ、無くさないように、これを私に付けて下さいませんか?」
そう言って、腕を差し出す愛利奈。
俺はミサンガを愛利奈の手首に巻いてあげる。
もちろん、里桜さんに習った結び方で。
「お兄さま、ありがとうございます。お揃いですわね」
愛利奈がやけにニコニコしていたのが印象的だった。
俺は洗濯され乾かされた自分の服に着替えたあと、由香さんが用意してくれた朝食をいただく。
由香さんはちらちらと、俺と愛利奈を交互に見つめているのが気になった。
電車は復旧したらしく、俺たちは歩いて駅に向かうことにした。
青空がひろがるいい天気だ。昨日の雨が信じられない。
俺たちは玄関を出て、見送りに来てくれた由香さんに向かい合う。
「由香さん、泊めていただいたり、色々とお世話になりました」
「いえ、私も色々と……その、吹っ切れることができましたし」
「吹っ切る……?」
昨日から相変わらず俺にはよく分からない。でも、そのの表情は昨日と比べて随分明るくなったような気がする。
すると、由香さんは俺に近づいて、愛利奈に聞こえないように耳打ちしてきた。
「……それで、優生君の好きな人って、愛利奈さんのことだったのですね?」
「はぇっ?」
「その、まさかお二人が一緒に布団の中で抱き合っていらしたなんて……びっくりしました」
「い、いや……あれはですね」
明け方に入ってきたのは由香さんだったらしい。愛利奈がいないことに気付いたらしく、もしかして、と見に来たそうだ。
一応ノックはしたみたいだけど、俺たちは二人とも気付かなかったので、悪いと思いつつも部屋の中に入ったのだという。
「なんて……ふふっ……とても仲がいいのは少し羨ましかったです」
もの凄い誤解をされたようだ。これは……時間をかけて説明しなくては。
「今度は一人でいらっしゃってもいいですよ?」
そうイタズラっぽい笑顔でささやくと、由香さんが俺の耳元から離れた。
一人でって、どういう意味だ?
「じゃあ、また。お元気で」
「「はい」」
俺由香さんは家の中に戻っていった。
俺たちは、駅に向けて歩き出す。すると、すぐに愛利奈は口を尖らせて俺に抗議するように言う。
「お兄さま、由香さまと何を話してたの?」
「あ、ああ。なんでもないよ。それより、早く行こう」
「ふーん」
俺はジト目のままの愛利奈の手を握り、誤魔化し、引っ張るように走りだした。
「電車が来るまで後もう少し。ちょっと急ごうか」
「はあ、しょうがありませんわね」
愛利奈も俺の手を握り返してくれる。
そんなこんなで怒濤の週末はあっという間に過ぎていくのだった。
☆☆☆☆☆☆
俺は寝不足でクラクラとしつつも、家に帰ってからはのんびりと日曜日の午後を過ごした。
愛利奈はどこかに出かけていった。めちゃ元気だなと思う。
うとうとするものの、本格的に寝ることもなく、色々考え事をしてしまう。
結局のところ、ストーカー問題について進展が何も無かった。収穫と言えば悟さんが持っていたと思われるミサンガ一つだ。
このミサンガを里桜さんに見せて何か気付いたことがあったら聞いた方がいいかもしれない。
「お兄さま」
外が暗くなる頃、愛利奈が帰ってきた。少し顔を上気させ汗をかいているようだ。急いで帰ってきたことが窺える。
「おかえり。どうした?」
「その、これを見て下さいませ」
愛利奈が差し出したスマホには、大きな立て看板が映っている。見覚えのないものだ。
「これは?」
「これ、近くのコンビニにある広告の看板なんだけど——」
愛利奈の話によると、土曜日電車の中で出会った、彼女を撮影してくれた男性の話がどうしても気になっていたらしい。
里桜さんの登校時の姿を、ストーカーが撮影していた件だ。
俺たちもオマケのように映っていた写真。
『これとこれとこれ、同じ位置で撮影してるような……
大きさやや切り取り方が違うだけで』
この発言を元にして、ストーカーが写真を撮った場所を探しに行っていたのだという。
「もしかして、撮影した場所って……立て看板の上から?」
「うん……。三枚の写真を撮るには、少し高いところにから映してないとおかしいの。今日、そこに行ったら、この看板があって、よじ登って撮影してたんじゃないかな? でも、おかしいよね?」
「うん。さすがに、俺たちを看板の上からカメラ持った人がいたら気付く」
得体の知れない相手に、ゾッとしたのか愛利奈は両腕を抱えた。
でも見かけない看板だな……先週末にあったっけ……?
ブーブブ。
LINEの通知だ。里桜さんから返事が来た。
手術と、そのあとの検査やら何やらが終わってスマホに触れるようになったのだろう。
「返事遅くなってごめんなさい。手術成功しました! もう、家に帰ります」
おお。どうやら通話もできるようなので、さっそく通話を始める。
「里桜さん、よかった! とりあえず安心だね。学校はいつから?」
「たぶん、明日から行けると思います」
ストーカーの脅威は去っていない。
まだ時間的余裕があるとはいえ、なんとしてでもストーカーを見つけ出したい。
明日の投稿時、この看板当然として、周囲に気をつけるようにしよう。
「うん。じゃあ明日はよろしくね」
「はい、よろしくお願いします」
元気で楽しそうな里桜さんの声。手術も問題無く終わり、安心したのだろう。
俺は通話を切った。
里桜さんの手術が無事に終わり、俺の心配事が一つ減ったのが嬉しかった。
電話の声は嬉しそうだったし、あとはストーカーをなんとかすればいい。
俺は、少しだけ気が楽になったのを感じつつ、その晩はすっと眠りに落ちたのだった。
愛利奈の件も頑張ったんだし、少しくらい良い夢を見れたらいいなと思いつつ。
……茜色に染まる夢を見ていた。
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