4th December

 ドアを開き歩いて進むと、道がひらけた。

 目の前に現れたのは大きなレンガ造りの壁だった。4mほどの高さのそれは左右見渡す限りに続いていて。


「なんかの……城壁か?」

「その通り、今キミの目の前にそびえるのは城壁とも言う」

「ン!?」


 返事をしたのはその壁だった。


「旅人かい? おやおやこれは珍しく、そして不思議なこともあったもんだ」


 ラビはおやとその視線を上へとあげる。


「壁じゃ、なかったか」

「うむ、確かに私は壁ではない。私の名は——」

「ハンプティダンプティ……!」


 その物体が名乗るのと、ラビが思わず口ずさんだのはほぼ同時。


 見上げた壁の、その上にちょこんと鎮座していたのは——。

 人ほどの大きさをしたタマゴ。目と口があり、卵の殻からは直接同じ色をした手足が生え、ご丁寧にストライプのスーツを着ていて。


「こいつぁ珍しいぜ、割れてねぇハンプティダンプティだ」

「ほぅ? 私の名前を知っているとは。しかしキミはもしや、旅人ですらなかったかね?」


 コロコロと、その顔と手足のある大きなタマゴはバランスを保ちながら喋った。


「普段ここは誰も通らないのか? この壁の向こうは何がある?」

「壁ではない、城壁だと言ったであろう? そして問いを持ちかける時は、礼儀として一つずつに絞りたまえよ」


 なんだか偉そうに喋るタマゴだな、ラビは少々顔をしかめる。


「先程の問いであるが、いやいや私は〝誰も通らない〟とは言っていない。〝旅人が来ない〟とも言ってはいない」

「でもさっき珍しいって……」

「私にとってそこのキミ、ウサギらしきものが、〝旅人〟と認識される要素がほぼ無いと言っても過言ではないから〝珍しく不思議だ〟と言ったのさ。大抵の旅人というものは、旅行鞄を持ちそれ相応の身なりをしているものだ」

「……はぁ」


 ハンプティダンプティは壁に登って、

 ハンプティダンプティは落っこちる

 王様の騎馬兵も、お城の兵士皆でも

 落っこちたハンプティを元には戻せなかった——。


 ……それがハンプティダンプティ。

 だけどどんな文献を読んでも、ハンプティのその正体は明確に記されてはいない。卵の姿、というのはポピュラーな解釈でしかないのだ。

 だけどこの目の前の光景を再度見据えれば、その解釈は間違っていなかったのだろうか。


「私がタマゴ? ふん、つくづく不思議な事を言う輩だ」


 大きなタマゴが、壁の上からこちらを見下ろし、小ばかにしたような口調でふんぞり返った。


「あぶねーって。落ちたら割れるぞ」

「ほぅ? 落ちてもいないのに、どうして落ちるというんだい」

「ぐらぐらと不安定だから落ちそうだ、つってんだろーが。話はちゃんと聞きやがれ」


「ふむ。では仮に、私がこの場所から下へバランスを崩したとする。しかしながら割れるという確信はない」

「……どっからどー見てもアンタ、でけぇタマゴだろォがよ」

「私の名は確かにハンプティダンプティだが」


 ハンプティダンプティはもう一度、その身体をできる限りふんぞり返らせて一息に、さも偉そうに言った。


「例えば昨日までの間に誰かがどこかでハンプティダンプティと名乗っていたのなら、それもつまりは〝ハンプティダンプティ〟だったということだ。〝ハンプティダンプティ〟というのは名称であって、私そのものを指す言葉ではない」

「このトンチンカンめ、何ならオイラが今からてめーを叩き割ってオムレツにしてやる」


 ラビは自身の耳に繋がれた、まるで鉄球のような時計をブンブンと振り回してみせる。


「ふむふむ。なかなか口の乱暴なウサギらしきものだな。では聞くが、ハンプティダンプティが卵だとするのなら、どうして私はここに座っている? 卵だというのならいつしか〝孵る〟だろうに、だけども私には〝帰る〟所などないのだよ? 卵だというのなら、私は私の中から出てくるはずの〝別の名を持つ何か〟になってしまうのか? しかし、それはもうハンプティダンプティとは言えないのであるのなら、イコールとして卵はハンプティダンプティでもないという事だ」

「むむむむむむ、何なんだこのやろう」


 ラビはその左右違う自身の口から、大きな牙を剥き出しにして唸った。

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