Ⅰ.いつもどおりの日常を踏み外して

1.狂信者だっていいじゃない、人間だもの。

 時は放課後。


 場所は俺たちのたまり場……もとい部室。


 そんな空間で、俺は一人悲しみに暮れるのだった。


「はぁ~~~~…………」


 悲しみに暮れるだけではなく、ついため息も出てしまった。


 それを聞いた小早川こばやかわ月乃つきのが露骨に嫌そうな顔をし、


「やめてくれ。幸運が蜘蛛の子を散らして逃げていきそうじゃないか」


 やや離れたところにいた千里せんりあくたはあくまで淡々と、


「お、始まったぞ。コスモの発作が」


「発作ちゃうわ」


 ツッコミを入れる。


 小早川月乃と千里芥。二人はいずれも俺の幼馴染だ。


 腰ほどまで伸びる、流れるような黒髪の持ち主は小早川月乃。口調からは分かりにくいがれっきとした女子だ。


 黒髪ロングの毛先は綺麗に切りそろえられており、前髪は邪魔なのか切るのがめんどくさいのかは分からないが、その日の気分で色が変わるカチューシャで止めている。


 小学校以来の付き合いなので、実に十年以上こうして顔を合せているわけだが、未だに考えていることがわからないことがある。


 分かることがあるとすれば、今日はややご機嫌斜めってことくらいか。黒のカチューシャは基本的に機嫌が悪いか、“あの日”にしかつけてこない印象がある。本人に確認したわけではないから定かではないけれど。


 そして、俺と月乃からやや離れた位置にある、PCが完備された一組の机と椅子──通称“芥スペース”──に陣取っているのは、これも小学校時代からの付き合いとなる千里芥だ。


 遠目からでは爆発した寝癖と区別のつかない癖っ気に、黒縁の丸眼鏡がトレードマーク。見た目からしてなんでも知っていそうな雰囲気しかない千里だが、実際その通りで、大体のことは聞けば答えが返ってくる。ウィキペディアさんもびっくりだ。


 大体のことは芥に聞いておけばいいし、芥が「大丈夫」だと言えば大丈夫だし「駄目」だと言えば駄目だと俺は思っている。


 リトマス試験紙みたいな扱いに見えるかもしれないけれど、これでも仲の良い友人であり、腐れ縁でもある。クラスや班分けの類で別々になったことはただの一度もない。


 不思議なものだ。大体こういう腐れ縁は無理やりクラス分けで分断されるイメージなんだがな。


 俺は「いやな」と前置きをつけ、


「もう丸一年になるんだなと思ってな……」


 それを聞いた月乃は「丸一年?」と首を傾げ、芥は「ああ」と合点がいく。流石幼馴染。いや、月乃も幼馴染なんだけどね。こういうときは芥の方が鋭いイメージだ。


 芥はずばり言い当てる。


「コスモが肩入れしてる作品の最新巻って、出たのそんな前だっけ?」


 そんな芥の回答に俺は「待ってました」とばかりに、


「今日が四月の十日だから、正確には一年は立っていないけどな。二巻の発売日が去年の四月二十六日で、一巻の発売日が、一昨年の八月二十六日だ。ちなみに二巻が実際に店頭に並んだのは前日の四月二十五日の店が多く、一巻は普通に八月二十六日に出たところがほとんどだ」


 それを聞いた月乃は、


「こわ。狂信者だな」


 俺は月乃を指さして、


「そこ、怖いとか言うな。怖いとか」


 芥がくすりと笑い、


「狂信者はいいんだ?」


「ああ」


「いいんだ……」


 月乃が唖然としていたが俺は軽く無視し、


「だって、否定する理由がないからな。俺はコハル先生の狂信者だ。それは間違いない。現にもう何回もファンレターを送っているからな。コハル先生のメールアドレス宛に」


「こわ」


「だから怖いとか言うなって!」


 なんだよ。いいだろ、別に。ご意見・ご感想お待ちしてますみたいなコメントと共に公開してるメールアドレスだぞ。感想位送ったっていいじゃないの。人間だもの。


 芥が話題を改め、


「で?そのコハル先生の新巻が出ない、と」


「そう。そうなんだよ。もうかれこれ一年だ。元々筆は遅い人らしいから、半年くらいは覚悟していたけど、一年は長すぎるだろ?長すぎるよな?だけど、そんなことをメールしたら催促みたいになって先生の負担になるかもしれないから送れないし、かといって、このまま打ち切りになってしまったらと思うと俺は夜も八時間くらいしか寝ることが出来ない。昨今はちょっと伸びなかっただけですぐに切り捨てて次の粗製乱造だからな。特に二巻の内容は大分迷走していたから、それで切られてしまってもおかしくはない。違うんだ。あれはちょっと迷走しただけなんだ。な、そう思うだろ、月乃?」


 同意を求められた幼馴染はスマートフォンを横に持って操作しながら、


「あ、ごめん。「かれこれ一年」の辺りまでしか聞いてなかった」


 それ殆ど全部だよね?聞いてないなら聞いてないで別にいいけど、そんなはっきりと聞いてない部分がどれくらいあったかを明示しなくても良くない?


 芥がPCを操作しながら、


「一応ツイッターは更新しているみたいだね。コハル先生」


 月乃と俺はほぼ同時に、


「「え、そうなの?」」


 その後月乃が俺の顔をまじまじと見ながら、


「え、なんでコスモが知らないの?」


 と驚く。ちなみにコスモっていうのは俺の名前だ。陽山宇宙と書いてひやま・こすもと読む。


 なかなかな読みだと思うけど、漢字の意味を踏襲しているので特に変な名前だと思ったことは無いし、友達からも何かを言われたことは無い。


 大抵の場合、心配するのはクラスメートの親御さんだ。しかも一回しか顔を合せたことのない人が多い。人の名前について心配するまえに自分の子供の心配をするべきだと思う。

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