後悔のない選択を

@mia

第1話

 スマホが鳴ったのは、少し遅めの昼食の途中だったが、電話の相手を見て、嫌な予感がした。

 同居をしている父からだった。父が電話を掛けてきたのは初めてだった。

 妊娠中の妻の香澄が倒れて救急車で運ばれ、母が付き添っているとのことだっだ。       

 父はこのところ体調がよくないので、留守番らしい。  

「休日出勤をするほど忙しいのかもしれないが、病院に行ってほしい」と病院名を告げ、父は電話を切った。


 昼食を切り上げ事情を説明した後、病院へ向かう。救急受付で案内された場所に行くと、半泣きの母がいた。

 母によると、お昼御飯ができたので呼びに行くと寝室で香澄が倒れていて、何度呼んでも返事がないので救急車を呼んだそうだ。

 母はとても悔やんでいる。

 いつもはお昼御飯を二人で作っているが、今日は香澄が台所に来ない。妊娠中は体がしんどいだろうから休ませようと思った。そんなことを考えずに呼びに行けばよかったと。

 母を慰めていると、医師と看護師が寄ってきた。

 

 医師の説明を聞いて母が泣き出した。

 医師はいろいろと説明しているが、僕に分かったのは母体も胎児もこのままでは危ないということだけだ。二人とも助けるよう努力すると言いつつ、どちらか一方しか助けられないとなったらどちらを助けるかとも聞いてくる。


 僕は考えに考えて、「赤ちゃんを助けてください」と医師に伝える。が、それを聞いた母が怒り出した。怒り出したが「香澄さんが、香澄さんが」と繰り返すだけになっている。

 母に言い聞かせるように、母だけではなく医師や看護師にも聞こえるように僕は話し出す。

「赤ちゃんがいなくなったら、香澄は死んでしまうよ。母さんも分かるだろ」

 香澄は結婚当初から赤ちゃんを望んでいた。妊娠しなくて自分を追い詰めていた。仕事をやめ病院に通い、四十手前でやっと授かった赤ちゃんだった。

 そこまで赤ちゃんを望んだのには理由がある。香澄には血縁者がいない。戸籍を追っていけばどこかにいるのかもしれないが、近くにはいない。

 香澄が幼いころ両親は事故で亡くなり、母方の祖父母に育てられた。両親とも一人っ子。父方の祖父母はすでに亡くなっており、育ての祖父母も祖父が高校生の時に祖母は香澄の就職を見届けて亡くなった。

 香澄は家族を欲していた。とりわけ、自分と血を分けた家族を。

 そういう過去があったから、世の妻たちには嫌がられるだろう夫の両親との同居も自分から言い出したのだと僕は思っている。

「香澄は自分で自分の命を絶ってしまうよ」


 母も思うところがあるのだろう、僕の意見を受け入れてくれた。父に連絡すると、僕に一任するとのことだった。

 医師たちの努力もむなしく、赤ちゃんだけが助かった。女の赤ちゃんだった。


 香澄の弔いも慌ただしかったが、それより大変なのは育児だ。

 僕は仕事があるし父は体調がよくないので、母が一手に引き受けてくれた。他にする人がいないからだ。

 たまにベビーシッターにきてもらうが、母はとても疲れていた。それでも残業や休日出勤を減らして育児しろとは言わない。自分が育てることが香澄に対する償いだと思っているかのようだった。


 休日の今日も、出かける僕を母は「仕事、大変ね。いってらっしゃい」と送り出してくれた。

 父から電話があったあの日と同じ場所で昼食をとっていると、料理を作った貴美香が甘えた声で話しかけてくる。

「ねえ、奥さんいなくなったんだから結婚できるんでしょ。フフッ嬉しい。あなたがいればいいと思っていたけど、三十になる前にウェディングドレスが着られる。あなたも嬉しいでしょ、元妻より若くてきれいな花嫁さんで」

 貴美香の言葉に驚く。

 付き合う前に離婚はしないと伝えたが離れていかなかったので、結婚など考えていないと思っていた。

 

 家に帰ると赤ちゃんの泣き声が響いている。再婚より前に、赤ちゃんのことを考えなくては。

 ……施設で引き取ってくれるのだろうか。

 父は体調悪いのに泣き声で眠れなくなって、より悪くなっている。母は育児疲れがたまっている。

 このことを前面に押せば大丈夫か。公的機関がダメでも民間の養子縁組している団体があるから、何とかなるか。何とかなれば、再婚してもいいかも。


「嬉しいでしょ。若くてきれいな花嫁さん」

 生活が落ち着きを取り戻した今、貴美香の言葉を思い出す。

 きっと貴美香も喜んでくれるはずだ。

 今年、新卒採用されたくららと再婚することを。


 

 

 

 

 


 

 


 


 




 


 


 

 



 

 

 




 

 

 

 

 

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