創作ダブルクロス小説『スパイスオブサマー』
くーど
【EP1.0】"奇跡"が起こるまで
夏休みも終わりかけた、8月末。そのとある日の15時過ぎ。
海沿いの公園には多くの屋台が立ち並び、それ以上にたくさんの人が行き交う。
「あの和臣君が、弓槻君を置いていったの?」
「そうだよ。あの和臣が、この俺を置いていったの」
「それは
「でしょー?」
手にはかき氷のカップを持って、かき氷を食べながら互いの親友のことを話している。
「俺がオーヴァードになる前だったら時々あったよ、ふらっと居なくなるの。だけど…ここ3か月くらいはお互い秘密は無いくらいぶっちゃけてたから、突然内緒にされると来るモノがあるよ。俺、何か嫌われるようなことしちゃったかなぁ」
弓槻はつまらなそうにザクザクとスプーンストローでハワイアンブルーの氷山を崩す。
「今日、少し離れるくらいでそんな…。というか和臣君、関わってると結構重たいと思うけど、よく平気だね…」
「それは……愛って言うかなんていうか…」
「そうですか…。まぁ、その調子なら和臣君が弓槻君に愛想をつかすなんてことはないよ。きっとこのお祭りの裏で何か動いてるんだろうね」
天谷弓槻はUGNのイリーガルをしている男子高校生だ。
約半年前にFHエージェントが引き起こした事件で死にかけた際にオーヴァードに覚醒した。
その歴は浅いながら、
そして嗣原和臣という男は、元FHの年齢その他もろもろ不詳の男。
現在は同じクラスメイトで、UGNイリーガルをしている。
なゆたと弓槻はその正体を知っている共通の親友だ。
和臣を通じて友人同士なだけであって、なゆたと弓槻は普段二人だけで話すことはほとんどない。
「もう俺もオーヴァードなんだから、連れて行ってくれたっていいのにね?」
「…私はそうは思わないな。弓槻君を連れて行かなかったって言うことはUGNの立場だとできないような———悪いことをする気だよ。私と一緒じゃ不服かもしれないけど大人しく、何も考えずに待つのが良いと思う」
「それでもねー…、っとか思っちゃうけど。…あ、俺はなゆたちゃんと一緒が嫌なわけじゃないからね。なゆたちゃんは可愛いし、むしろ俺なんかが隣に居ていいのかと思ってるくらいだよ」
「…あっそう」
「きっと和臣は一人でお祭りに来てるなゆたちゃんが心配でたまらないんだろうね」
「それは100パーセント正しくない。和臣君は私じゃなくて、弓槻君が心配だから私に預けたの。自惚れないでくれる?」
「へっ…? あー…なんか、ごめんね? でも、和臣はなゆたちゃんを一人にさせたりしないと思う、…でしょ?」
なゆたは弓槻の薄っぺらい言葉を咎めたくてキツイ言葉を投げた。
しかし、それを弓槻は気にも留めず、笑って返したのでなゆたは呆れて溜息を吐いた。
「はあ、疲れる。私と一緒なら、もしもの時ディメンジョンゲートで逃げられるからだよ。和臣君はそれ以上でもそれ以下でも考えてない」
「えー、そうかな? 俺も和臣も女の子をいつも最優先に考えてるけど」
なゆたは嘘を吐け、と鼻で笑った。
なゆたのそんな様子を、弓槻は小動物を見るような雰囲気で眺めていた。
妙な生暖かい眼差しに気付いたなゆたは嫌な顔をして悪態を吐く。
「どうしてそんな顔してるの…」
「いやー…戦ってるときのなゆたちゃんはカッコいいじゃん?」
「いきなり何…」
「だけど、体育の時にちょっと走っただけで息切れしてたり……」
「あのさ、私はこれでもオーヴァードなんだから―――」
「授業中、教科書の陰で寝てたり…」
「か弱い女の子扱いしないで―――」
「だけどそういう、なゆたちゃんのギャップが可愛いと思うよ!」
「―――弓槻君、やっぱり私のこと嫌いなの? はっきり言ってくれた方が楽だよ」
「ち、違うんだって。怒らないで、可愛い顔が台無しだよ~…」
「………」
なゆたの反論に被せるように話をする弓槻に怒りそうになるのを押さえて、頭を抱える。
この調子であと3時間も弓槻と一緒に居るのかと思うとため息が出た。
和臣からもらったメッセージさえなければこんなことにはならなかっただろうが、わざわざメッセージを寄こしてきたという事はこの祭りの裏で本当に何かが起こるのだろう。
「それにしても、祭りは
なゆた自身、浮いても構わないとは思っていたし、クラスメイトにあまり関わる気はなかったが、彼女には何かと気にかけてもらっているためクラスで浮かずに済んでいると言っても過言ではない。
「綾乃ちゃんは彼氏と来るんだって。
「ああ、そうだよね。流石に折崎と行くか…。じゃあ、あの人は? なゆたちゃんの保護者の―――…」
「メイさんは仕事が忙しいから無理だよ」
「あ~。確かにお祭りってなると警察のお仕事は大変そうだよね。…そういえば。俺、この間まで日本の警察にR課っていう部署があるの知らなかったなぁ」
「知らないのは当たり前だね。一般人には隠されてるし。だけど…、あの人は良い親にはなれないね。放任主義だから…」
「ん……俺の親も同じようなものだから気持ちはわかるかも~…」
メイ…もといマティアスという男は表向き、警察のR課を名乗っている。
弓槻は表向きの顔しか知らないが、その実、マティアスはUGNやFHでもない別の組織の人間だ。
ワケあって、なゆたの養父であり保護者でもあるが、彼の組織は組織で忙しい。
なゆたがわざわざ会おうと機会を作らないのもあって、約三か月前の"イエローヘッド"が引き起こした御翠陥落計画の際に久々に顔を合わせたきりだ。今現在どこに居るのかも知らない。
なゆたは弓槻に
「他になゆたちゃんと一緒にこれそうな人…、宵月先輩は?」
「お兄ちゃんはどうせ朔夜君と一緒だから無理」
「あぁ、桐生先輩が障害なんだ…。どうして、桐生先輩は悪い人じゃないのに…」
「…知ってるよ。でも、どうしても、無理って思う時はあるでしょ? 例えるなら、イケメンにいじめられた、だからイケメンが苦手…そんな感覚、かな」
「なゆたちゃん、いじめられた経験があるの…?」
「さあ? なんでか分からないけど、朔夜君からそういった拒否反応が出るの」
「難儀だねぇ。それじゃあ…皐月先輩は…?」
「…は?」
なゆたは露骨に嫌そうな顔をして、ギリッとスプーンストローの端を噛み潰した。
「な、夏休み前に皐月先輩と仲がよさそうだったって和臣が言ってたんだよ。どうしてか知らないけど、お話したんでしょ?」
「―――和臣君にそれは間違いだって言っといてよ。…あっちが私のパーソナルスペースを侵害してきただけなんだから」
「そうだったんだ。皐月先輩って顔はカッコいいし好きなんだけど、事件もあったせいで少し苦手意識があるんだよね。俺、なゆたちゃんが居なかったら皐月先輩にボコボコにされてたし…」
「それはしょうがないでしょ。周りのみんなと皆と経験の差が違うし、弓槻君は初めてのまともな任務だったんだから。みんな生きて、ジャームにもならなかった。それで良かったねって話。でも、もっとレネゲイドコントロールできるように精進してね」
「耳が痛い…。いざって言うとき、みんなの足を引っ張りたくないからUGNの模擬戦場は借りてるんだけどね。どうにも難しくて…」
「一人で黙々とやるのもいいけど、誰か対面に置いたらいいよ。例えば朔夜君とかね。お兄ちゃんも和臣君も手加減ができない人だから難しいけど、朔夜君は常に意識して鍛錬してるから加減や所作が上手い。それに、戦い方は違えど同じエンジェルハィロゥだからわかることがあるかも。…ま、朔夜君は口下手だからうまく言葉で教えられるとは限らないけどね」
「そっかー…、ってあれ? なゆたちゃんって桐生先輩とそんなに関わりないよね? どうしてそこまでわかるの?」
「何故か私がUGNの謎合宿に同行させられたからだよ…。みんなは合宿中に朔夜君家の道場で手合わせをしてたじゃない? その時に外から見てて思っただけ」
「な、なゆたちゃん。たしかに合宿中、全然見ないなと思ってたけど見てたんだ」
「ちょっとだけね。暑かったしすぐ旅館に帰ったけど。UGNの謎行事に私は関係ないし」
「それもそうだね。…練習は、なゆたちゃんが言うなら桐生先輩にお願いしてみようかな」
「それがいいよ」
そんな他愛のない雑談をしていると、弓槻はふいに空を見上げた。
その視界の先には、どんよりとした灰色の雲が広がっている。
「和臣との合流、約束は18時だけど…心配でしょうがないな。雨降りそうだし」
「降るだろうね。天気予報、見てきたけど、夕方から70%だったかな。降ったら花火大会は無いね」
「…見たかったなあ、花火」
「私はどっちでも良いかな。夏祭りはそこそこ楽しめてるし」
「和臣が居たらもっと楽しかったんだろうけどね」
「………その時はお邪魔虫は消えるよ」
「俺はなゆたちゃんと一緒でいいけど」
「それは、うん…和臣君もそう言うと思うけど、私はいつも申し訳ないと思ってるんだよ…、これでもね」
なゆたはかき氷を食べ終えて、カップを近くのゴミ箱に放り投げた。
弓槻も後に続いてかき氷を食べ終え、なゆたに続く。
「それじゃあ、なゆたちゃん。次は何しようか? 射的とかやってみる?」
「良いよ、的に当たらないだろうけど。…あ、先に謝っておく、また人酔いで休むことになったらごめんね」
「気にしないでよ、
行き当たりばったりの計画で再び人の波の中へ向かう。
目的の射的は予想通り、なゆたが放ったコルク弾は明後日の方向へ飛んで行った。
その傍らで弓槻は、お菓子をいくつか当てていた。
「なゆたちゃん、少しあげるよ。頑張ったで賞」
「お情けでもらってる感じがする。貰うけど…ありがとう、弓槻君」
チョコ菓子をなゆたに渡し、歩きはじめる。
そのあともりんご飴を買ったり、綿菓子を買ったり。
ヨーヨー釣りにも挑戦してみたがここでも不器用が
そういうことを繰り返し、なんだかんだと楽しみながら弓槻と歩いていると、視界の隅にすれ違う形で見知った顔を見たような気がして無意識に目で追う。
人の合間から見えたのは金髪の癖毛、翡翠色の瞳。
何か企んでいるとき中折帽子を被っているが、前に見たスーツではなくて浴衣を着ていた。
そして琥斗は隣に居る桃色の髪の中学生くらいの女の子と腕を組んで歩いていて―――……
なゆたは大きな衝撃を受けた。
「……琥斗君、中学生とデートか。意外だね…」
思わず独り言が口から漏れてしまう。
「うん? どうしたの? なゆたちゃん」
「……琥斗君が、中学生くらいの女の子と腕組んで歩いてた」
衝撃過ぎて思わず、弓槻に報告してしまった。
「…嘘!? 皐月先輩が? …うわ~、中学生か…。先輩は年上のお姉さんを弄んでるタイプだと思ったのに…。年下が好みだったとは…俺もまだ見る目がないな」
「私もそう思ってた」
「…だよね~?」
「だけど、帽子被ってたから…多分何か企んでるよ。やっぱり祭りの裏で何か起きてるんだ」
「そっか…」
弓槻はそれを聞いてしきりにそわそわし始めた。
なゆたは弓槻の性格上それは仕方がない事かと、りんご飴を齧りながら思案した。
「私は首を突っ込まないに越したことはないと思うけど。弓槻君は悪い事を見過ごせないタイプだもんね」
「ごめん…なゆたちゃん。皐月先輩を追―――」
「でもダメ」
「うん…えっ! ダメなの!? そこは『良いよ、一緒に行こう』じゃないの!?」
「うるさい、ダメ」
「うるさいって言われた…ヘコむ…」
弓槻はがくりと肩を落とした。
「だって、弓槻君に何かあったら、和臣君に申し訳ないから。だから和臣君が帰ってくるまで絶対にダメ。本当に行く気なら弓槻君にハーネスを付けることになる」
「…それは、…ヤバいね? なゆたちゃんにそんなことされたら、恥ずかしいを通り越して―――」
「通り越さないで。しないから。しないけど、どこかに行くのは勘弁して。一人でどこか行けるようになりたいならもうちょっと強くなってから言って」
「ちょっぴり残念だな。…でも、わかった。なゆたちゃんの言うとおりにするよ」
一生分かり合えないであろうこの男に悪態を付こうと口を開いた時、頬に当たった雨水に制される。
「あ…」
「えっ、やばっ! 降ってきた!?」
周囲の人たちからは小さな悲鳴を上がり、慌てて折り畳み傘を取り出したり、屋根がある場所へと移動を始めた。
弓槻も自身の鞄から折り畳み傘を取り出して、小さく謝るとなゆたとの間に差した。
「ちょっと小さいけど我慢してね」
「あ、ありがと……」
遊んでいて気がそれていたが、もう18時に近い時間だ。
なゆたは傘に水が跳ねる音と背後の海の波音に交じって遠くからモーター音、その後に海を穿つような音が聞こえるのを逃さなかった。
「…何が起きてるんだろうね」
なゆたがそう言うと、近くの市内スピーカーからハウリングするような音が響く。
そしてすぐ後に二人の知っている声が聞こえた。
『夏祭りに来てるみんな~! 楽しんでるかー?』
「ん…? あれ、この声って…和臣!?」
弓槻も気付いたようで下を向いていた顔を上げる。
スピーカーの陽気な声は和臣の声だった。
『全員、灯台側の海岸を見ろよ?皐月からサプライズプレゼントだ。カウントダウン、5、4、3、2、1、0―――…』
雨音に紛れて打ち上げる音、そして、雨を消し飛ばす七色に光る一発の大きな花火。
広範囲に広がる雨雲が吹き飛んで、沈みかけた夕日が顔を覗かせ、虹がかかった。
『本日は快晴だ―――それじゃあ引き続き今日の祭りを楽しんでいってね~!』
辺り一帯に仄かに広がるレネゲイドウィルスの匂い、≪ワーディング≫に近いような感覚。
なゆたが分析しているとブツリとスピーカーの切れた音がした。
放送を聞き終えたなゆたは呆れた顔をして海の方角を見た。
「……花火にサブリミナルで記憶改変、見てない人のためにも散布薬の記憶改変効果か。あーあ…、UGNは後処理が大変そうだね」
「あ…あれ、せっかくの夏祭りなのに俺も駆り出されちゃうかな…」
「さあ? UGNの事情は知らないし。だけど、駆り出されるならもう連絡が来てるはずでしょ」
「そ、そうだけどね。でも…、和臣が加担してるんだよね、さっきの」
「バレたら…いや、分かったうえで泳がされてるかもしれないけどね。…それに和臣君がこんな作戦立てるかな?」
「和臣は好きそうだけど、皐月先輩じゃないかな? 和臣は面白そうだから手伝っただけ…とか」
「そうだね、私もそれが正解だと思うね」
スピーカーからではあるが、和臣の声を聴いて弓槻の顔は明るくなった。
弓槻は必要のなくなった傘の雨粒を払い、畳んだ。
その直後に弓槻のスマートフォンが鳴る。
「和臣かな? いや…珍しい、千雨さんだ…?」
不思議そうな顔をした弓槻はすぐ電話に出た。
「お久しぶりです、どうかされたんですか? ……ええ、一緒ですけど…。今居るのは…吹海公園付近の遊歩道ですね。……わかりました、待ってます」
弓槻はちらとなゆたの方を見ながら電話を終える。
「千雨さんって誰? UGNの人?」
「えっ、知り合いじゃないの。なゆたちゃんに会いたがってたけど…皐月先輩のお姉さんだよ」
「えっ…、どうして私に…。というか何でそんな人と知り合いなの…」
「会いたい理由は聞かなかった、ごめん…知り合いだと思って…。夏休み前にUGNのほうでアルバイトってことで皐月家の運営してるオーヴァード児童養護施設を手伝ったことがあって、その時に連絡先交換したんだよ。その施設の管理とか、そもそも御翠UGNの出資者をしてるのが千雨さんなんだって。良い人だよ」
「ふーん、UGNの出資者の弟がFHね…。御翠がそんな皐月マッチポンプだったなんて知らなかったよ」
なゆたが皮肉たっぷりの台詞を拾うが近くからそのセリフを拾う人がいた。
「手厳しいですわね、那由里ちゃん」
「もう…、私の本名知ってるし。皐月の人は本当に好きじゃない…」
遊歩道からふわりと亜麻色の柔らかいウェーブかかったショートヘア。
翡翠色の瞳をこちらに向けた女性が歩いてきた。
白いワンピースに紺色のベルトを締め、つばの大きい白い帽子を被っている。
少し吊り上がっている目じりや髪の癖毛を見て、確かに、と琥斗の姉弟っぽさを感じた。
「千雨さん、どうも。早かったですね」
「偶然近くに居ましたので、飛んできましたよ!」
千雨はなゆたのすぐそばまで来るとなゆたを抱きしめた。
「うっ…何…」
「那由里ちゃん、会いたかったですわ!」
ふわりと懐かしい匂いを感じた気がするがはっきりと思い出すことはできない。
「……百合の間に挟まる男になった気分」
「勝手な認識しないで。っていうか…和臣君と弓槻君と一緒に居る時、私もそう言う気持ちなんだから少しは分かってよ」
「ごめん、ちょっと理解できたかも…」
「というか…千雨さん? 私、昔の事は全く覚えてないんだけど…」
「そんな! 私のことを覚えては…。ああ、そうですね…最後に会った時は貴女はまだ6歳でしたか…」
千雨は一度なゆたから離れて、丁寧な所作で二人の前で挨拶をする。
「改めまして、私は"
「よろしく…」
「この間はウチの弟が迷惑をかけました。いや、今回も迷惑をかけている最中というべきか…もう起こった後と言いますか…」
千雨は困ったように笑った表情を浮かべていた。
「さっきの記憶処理花火はやっぱり琥斗君たちだったんだ…」
「まあ、あの子は恥ずかしがり屋で何も教えてくれないので、私の推測なのですすけれど」
「琥斗君に恥ずかしがり屋の印象はないんだけどな」
「皐月先輩にその印象、無いねぇ」
「あら、そうですか? 本当に昔の事を、覚えていらっしゃらないんですね…」
困ったような悲しいような素振りを見せる千雨に対して、なゆたは疑問の瞳で見ていた。
「千雨さんは私に何のために会いに来たの?」
「それはですね、那由里ちゃんとお話に来たんですよ。今日会えたらいいなと思って昔のアルバムを持ってきたんです」
「……お兄ちゃんから、昔は皐月家と関りがあったって聞いてるけど」
「そうなんですよ。親戚同士でしたので、何度か遊びに行ったことがありますよ。その時に撮った、那由里ちゃんと咲間君と琥斗の可愛い写真がいっぱいあります」
「それは見たいな。昔のなゆたちゃんと宵月先輩と皐月先輩の写真」
「なんで弓槻君が先に反応するの。でも、私も見てみたいな」
「ええ、仲良く見てくださいな」
僅かにも残っていない記憶の断片に興味が湧いて、軽い気持ちでそう答えた。
千雨はなゆたにアルバムを渡す。弓槻がそれを覗き込む形で見ていた。
「この那由里ちゃん可愛いと思いませんか?」
千雨が指をさした写真はフリルをふんだんにあしらった人形のようなドレスを着ている那由里。
すぐそばに那由里の母親が映っていた。
「うわ~、なゆたちゃん可愛い~」
「………確かに私、可愛いけどさあ。今着ろって言われても着たくないな」
「どうしてですか、もったいない! 今着ても可愛いですよ」
「俺も同意します。なゆたちゃん、フリフリの服を着ても可愛い」
「変なところで賛同しないでよ、絶対に嫌だからね」
なゆたのページをめくる手が止まり、写真の隅に映る母親や父親の顔を眺めていた。
「なゆたちゃんのお母さんも綺麗だね」
「……そう、だね。綺麗だね」
なゆたは一切思い出せない。
そのせいで言葉が一瞬、喉に引っかかった。
「これは咲間君と琥斗ですね、二人とも可愛いですね~」
「…あ、お兄ちゃんも琥斗君も女の子の格好させられてる…」
「平和だな~、小さい頃の先輩たち可愛いな」
咲間が意外と乗り気なようなのが面白い、琥斗は撮られていることに恥ずかしさを見せていた。
千雨は写真を指しながら思い出を語っていく。
写真は面白いと思ったが、しかし…懐かしいとはまったく思えなかった。
他の写真にも那由里と咲間が居る中に時々、父親や母親が映っているのだが、まるで他人事のようだ、自分の親の話だというのに。
―――何も気持ちが湧いてこないのが少し嫌だ。
そう心の内で思っていると千雨がなゆたの手を取った。
「那由里ちゃん。もしよければ…昔の記憶を思い出してみませんか?」
「…思い出せないよ」
「いえ、私の力があれば、できます。私は少し特殊な能力がありまして…記憶の奥底に潜っていくのを手助けすることができます。思い出せなくてもいつかは経験した記憶。凄惨な結末が変わることはありませんが、あの遠い日を思い出してみませんか?」
「≪
「よくご存じで」
千雨の発言でなゆたはふと目を細めて千雨を見た。
なゆたは明らかな警戒を顔に出した。
知りたい好奇心と知りたくない怖さ、それにこんなことをわざわざ提案してきた千雨の思惑を計っていた。
なゆたの返事は―――
「いいよ。私は、思い出せるなら、思い出したいからね」
知りたかった、怖くない、と少し強がりの返事。
そして例え千雨が変な動きをしたとしても、それを止めるだけの力がなゆたにはある。
「わかりました。では、私の手を握ってください。時間はそんなにかかりません」
なゆたは白くて綺麗な千雨の手をとった。
「目を閉じて。思い出しましょう」
なゆたは目を閉じる。
弓槻の頑張ってと励ます声が聞こえた。
頑張るものでもないだろうに…。
心の中で返事をしながら、すぐにスッ…と水の中に落ちるような感覚がした―――…。
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