悪魔の祝福
之(ゆき)
第1話 地獄の門
地獄の門の先で行きついた地獄で、オレは悪魔に出会った。
悪魔に魅入られ、悪魔になりたいと思った。
***
この惑星の一番大きな大陸のほぼ中央に「地獄の門」と呼ばれるクレーターがある。
直径は200メートルほど、深さは50メートルほどだという。クレーターというだけなら特に珍しくもないが、このクレーターはその名にふさわしく燃えている。
特に夜。巨大なクレーターから立ち昇る炎が帳を焦がす光景はまさしく「地獄の門」と呼ばれるに相応しい。
クレーターが燃えている原因は定かではないが、クレーターの岩石の隙間からガスが噴き出ており、それが何らかの原因で引火して燃えるようになったと言われている。 調査した学者によると有史以前から燃え続けていたと推測できるという。
この「地獄の門」の周辺には何もない。
ただただ荒野が広がっている。
昔は悪魔の住む場所として誰も近づかなかったそうだが、近年は物珍しさから物見高い観光客も訪れるようになった。そうは言っても、たどり着くには最寄りの飛行場から数時間かけて荒野を移動しなければならないし、知る人ぞ知る隠れた秘境といった扱いなので、訪れるものは多くはない。
そんな地獄の門へ向けて、久しぶりの一人旅である。一人旅は学生の時以来だ。卒業してからは仕事での海外出張は頻繁にあったし、家族や知人ともたまに旅行に出かけていたのだが、一人で旅に出かけることはなくなっていた。といっても、最近は旅行に出かけることすらできていなかったのだが……。
***
――オレは大学院に在籍中、研究成果を生かそうと会社を立ち上げた。AIやコンピューター解析の技術を扱う会社だった。がむしゃらに働いたので、会社は数年で株式公開するまで大きくなった。
そして、さらに事業拡大をしていこうというときに告発された。特別背任だという。身に覚えなどない、でっち上げのような内容だった。
裁判では、身に覚えのない証言が取り上げられたし、まったく覚えのないものが証拠として提出された。評判の弁護士を雇ったのだが、彼は病気を理由に途中で辞任してしまった。
果たして、裁判には敗けた。実刑を下され、控訴も棄却された。
公判中に会った顔なじみの経営者仲間からはこう言われた。
「仕事は出来るのにワキが甘いから、足元をすくわれるんだよ。それに、うまく行き過ぎちゃったのもよくなかったね。お偉方から嫉妬を買ったんだよ」
服役中、とある雑誌の取材を受けたら、インタビュー後にこう言われた。
「あんたは、調子に乗りすぎたんですよ。あんたは実際に罪を犯してないって言いますがね、いろんな方面から恨みや嫉妬は買っていましたね。取材していて面白かったですよ」
ふざけるなと思った。要は嫉妬と逆恨みじゃないか。人の尻馬に乗っていい思いもしただろうに、利用するだけして捨てるのか。
実際に、マスコミはオレのことを面白おかしく書き立てた。
事件と関係ないことを並べ立てて、こんなことをする奴は罪を犯して当たり前なのだと伝えたいらしかった。それも、身に覚えのないことばかりだった。
ろくに調べもせずに無責任に好きなことを言うだけの楽な商売である。
マスコミはオレの地元にまで取材に押し寄せたし、自宅にもマスコミがひっきりなしに押しかけた。
親兄弟からは、もう連絡しないでくれと言われたし、妻子とは別れることになった。忙しくしていたせいか妻子との付き合いは希薄だった。そのせいで、親権は持っていかれたし、慰謝料もたんまりと持っていかれた。
事件前は、新進気鋭の経営者として知られていたが、裁判が決着するころには悪評だけが定着していた。
懲役が明けて出てくるころには、オレの会社は社名を変えて、知らない誰かがCEOに就任していた。オレの居場所はなくなってしまったし、そばには誰もいなくなった。財産はそれなりに残ったがそれだけだった。
オレの研究は未完成の部分もあったが権利は会社に移していた。それに一人で研究を続けられるわけもなかった。
ただ、悪評のせいで顔と名前は知られていた。外出先で向けられる好奇の視線と遠慮のない悪口は煩わしかった。視線と悪口に耐えられそうにないので、オレのことなど誰も知らない土地へ行ってみることにした。気に入る場所が見つかれば、しばらくそこに住むのもいいかもしれない。
地獄の門は昔から行ってみたかった場所だったので、そこをひとまずの目的地とした。ただ、そこは秘境扱いでで観光ツアーなどないので、飛行機も宿泊先も現地のガイドもすべて自分で手配した。
万一、オレの顔を知っているヤツにあっても分からないように、旅行中はヒゲを剃らないことにした。おかげで少しは人の視線が気にならなくなった。
バックパックを背負って一人だけで旅行するのは学生の時以来で、少しだけワクワクした。
ガイドの男に車で現地まで送ってもらって、一人で過ごすことになっている。テントを張って野営する算段である。
ガイドには「一人で野営するなんてとんでもない。死にたいのか」と言われた。慣れているし何かあっても責任は自分で取るといって、なんとか二泊だけという条件で認めてもらった。
別れ際に、「本当はこのまま連れて帰りたい」と言われる。
本気で心配してくれているようだ。礼を伝えて、多めのチップを渡した。ガイドは「くれぐれも気をつけろ」と言って去っていった。
見渡したところあたりに人影は見えない。秘境といっても数人は人がいるだろうと思っていたので、少し拍子抜けした。
まあ一人になりたかったのでちょうどいい。
遠巻きにクレーターを一望できる高台があったので、そこにテントを設営した。テントの設営がおわるころには、日が沈み始めていたので、暗くなる前に急いで夕食の準備をした。
夕食を食べながら遠くで揺らめく炎を眺める。これだけの大きさのクレーターが赤い炎を吹き出しているのはまさに地獄だ。
岩石の隙間から炎が噴き出し、炎が岩石を焦がしている。揺らめく炎は見ていて飽きない。そうして、炎に見とれているうちに数十分も経っていたようだ。炎の揺らぎには癒しの効果もあるという。オレのすり減った心も少しは癒されるだろうか……。そう思いつつ再び炎に見とれたまま、しばらく過ごした――。
「――さて、そろそろ死のう」
ふと、そう思った。
思ったのと同時に、ガイドに言われた「死にたいのか」という言葉を思い出して妙に納得する。ああ、その通り。オレは死にたかったのだ。
あの国にはもうオレの居場所はないし、あそこで死んだら、どうせマスコミが面白おかしく報道するだけだ。そう思うと腹立たしい。
だから、誰も知らないところでひっそりと、跡形も残さず死にたかったのだ。
そう願っていたのだと気付いた。
野営を片付ける。すっかり日が沈んでしまっていたので手間取ったが、ライトの明かりを頼りにバックパックにしまうことができた。
あの国の連中には何も思うことはなかったが、ガイドの男には悪いと思った。彼は二日後、もう一度ここに来てオレを探すだろう。だから、バックパックは置いていくことにした。多分、ガイドの男が何か役に立ててくれるだろう。さらに持っている現金をバックパックの傍らにガイドに分かるように置いた。そして、ガイドにも分かる言語で「世話になった。ありがとう」とメモを添えた。
クレーターに向かい、外縁部に立つ。
すぐそこに炎が迫っているが、なぜか炎の熱気はほとんど感じなかった。ただ、髪の毛とヒゲからは煙が上がっていた。
クレーターに身を投げる。
こうなれば、助かる見込みはない。岩石のあいだを滑落しているうちにオレの身体はミンチになり、全身は炎に塗れるだろう。クレーターの底で燃え尽きて、オレはこの世からきれいさっぱりなくなるはずだ。
死の恐怖などない。「こんなものか」と思った。
そうしてオレは死んだ。
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