魔法使いって信じますか? 2  もももさくらも

浅葱 ひな

第1話 プロローグ そして、理不尽なグー⁉︎

 地下鉄の改札を抜け、出口の階段を登りきったところで、ひとつ大きく伸びをする。

 頭上には、爽やかな青い空が広がっていた。梅雨が明けてしばらく経つと、暑いばかりで、もうジトジトとした湿気がまとわりついてこない。吹き抜けていく、そよ風は気持ちいい。


「さくらちゃんも、同じ電車だったんだね。高校出る時は見かけなかったけど、偶然〜」

 目の前の大通りで信号待ちをしていた背中に、今出てきたばかりの出口から声がかかった。

 聞き慣れたその声に振りかえるのは、高遠たかとおさくら。ふた駅先の高校に通う16歳。振り返ったその動きで、あかみがかった髪がフワりと揺れた。


沙羅さらさんこそ。もうすぐ夏休みで学校も半日なんですから、お友だちと出かけてくればよかったんですよ」

 さくらが、その言葉を向けた先では、島津しまづ沙羅が、不満げな表情を浮かべていた。盛大に頬を膨らませ、さくらの顔を睨んでいる。

 しかし、さくらと同じくらいの体格からでは、それほどの迫力は感じられず、ただ、ポニーテールにまとめた栗色の髪が、なんとなく不自然な揺れ方をしていた。


「わ、わたしは、お母さんの手伝いをしようと思っただけよっ。美亜みあもそう言ってくれたし、ねっ?」

 なんとなく、よそよそしさを含んだ言葉が、沙羅の口からこぼれた。そして、さくらに向けていた視線を慌てて、自分の左へとそらす。

 その先には、ふたりよりも、もっと小柄な女の子が立っていた。あおみがかった黒髪のショートは、この子のかわいらしさを増幅しているようだ。

 しかし、そのかわいらしい笑顔は、どこか悪戯っ子のそれを想い起こさせている。


「おばさまを手伝う……だったかしら? わたしが聞いたのと違うわ」

 沙羅が、美亜と呼んだ女の子、綾城あやしろ美亜は落ちついた様子で、沙羅ではなく、さくらに向き合って話し始めた。続けて、声を落として小さく呟く。

「沙羅ったら、自分の気持ちに、もっと素直になったほうがいいと思うわよ」


「わたしの気持ちって、なによ」

 美亜の呟きを聞いて、沙羅の不満顔の矛先までもが移っていく。

「あら? 言っちゃっていいの? それじゃあ遠慮なく。さくらくん、沙羅ったら……」

「わぁぁぁっ、美亜ったら、なに言い出そうとしてんのよぉっ」

 そう叫んで、慌てて美亜の口をふさぐ沙羅。その絶叫に、一瞬だけ多くの視線が集中した。



 さくらたち三人の目の前には、南北に伸びた大通りに沿って数百メートルに渡る大きな商店街が軒を連ねている。

 まだ、お昼を少し過ぎた時間だというのに、そこは、地元の住人やその何倍もの観光客で、おおいに賑わいを見せていた。

 そんな土地柄、沙羅の絶叫は、交差点で信号が変わるのを待っていた人たちの注目を集めてしまったのだ。


 しかし、信号が変わり、人々が動き出したことによって、沙羅の奇行への関心も薄らいでいく。

 さくらと美亜も、揃って、肩をすくめて見せた後、その流れに逆らうことなく歩きだした。出遅れた沙羅が、二人のあとをおいかける。


 大通り沿いの大きな商店街を横に見ながら素通りし、三人が向かった先は、ひとつ先にある細い路地だった。


【さくら通り商店街】


 路地の入り口に掲げられた看板には、そう書かれている。その路地では二十軒ほどの店が営業していた。

 大通りにある商店街とは、天と地ほど規模に差があったが、寂れているという雰囲気が漂うことはなく、むしろこちらのほうこそが活気に溢れていた。

 この細い路地にある、商店街の入り口で立ち止まる三人。その途端、すぐ脇の店先から声がかかった。


「あっ、おかえりぃ、さくらちゃん」

 この商店街入り口の花屋の店先から、幼げな感じが抜けない、舌足らずな声が聞こえてきた。

「マリねえ、ただいま」

 さくらがその声に答えながら手を振る。

「あら、おかえり、今日は早いのね」

 これは数軒奥にある小さな洋食屋から。こちらは凛とした耳障りのよい声。常連さんを見送った後のようだ。

「ただいま、しのぶさん。一学期ももう少しで終わりなので……」

「おぅ、さくらぁ、おかえりぃ」

 さくらの返事をかき消すくらいの大きくて威勢のいい声が、洋食屋の隣にある、魚屋の店の奥から聞こえてきた。

けんさん、ただいま」

 拳の威勢のいい声に敵わないのは解っていても、魚屋の奥に向けて少しだけ、さくらが大きな声で答えてみる。


「拳さんも、顔くらい出してあげればいいのに」

「ホントだよぉ。まったく、拳さんたらぁ」

「しのぶさんもマリ姉も、二人ともお店、忙しい時間でしょう? 拳さんのところだって」

 それぞれの店から出てきた二人に、さくらが笑顔で答える。

「えぇぇ……? さくらちゃん、そんなこと言うんだ。わたしは最近、さくらちゃんの顔を見てなかったから寂しかったんだよぉ。珍しくこんな時間に、さくらちゃんと会えて嬉しかったのになぁ……」


 こんな言葉をこぼす、さくらより三歳年上のマリは、この商店街の近くにある国立大学に通っている。まだ入学したばかりで講義が多く、大学生の特権は長い夏休み……が口癖になっているのだが、うまくはいかないようだ。この時間に商店街で会えることのほうが珍しいのだ。

「マリちゃんは、さくらちゃんに会えなくて、寂しかったんだってさっ」

 マリをからかうようなことを言うのは、小さな洋食屋の、自称看板娘のしのぶで、さくらやマリにとっては、お姉さんのような存在の女性だった。


 そんなしのぶが、いつもの挨拶としてさくらのことを抱きしめる。

 この挨拶ハグに慌てたマリが、それを阻止しようと必死にふたりの間に割り込んでいく。


「しっ、しのぶさん。ダメだったらぁ。さくらちゃんにそんなことしちゃ」

「ダメかなぁ? ただの挨拶あいさつだよ。そうだ、マリちゃんも、たまにはしてあげたらいいじゃない?」

 しのぶが、悪戯を思いついたみたいな笑顔を浮かべて、マリに話の矛先を向けていった。

「えぇっ……、そんなぁ。うん、わたしも……って、しのぶさん、さくらちゃんが大変なことになってますよぉ」

 マリが慌てて、しのぶの腕をとる。

 そこでは、しのぶに抱きしめられたままのさくらが、今日も、その大きな胸に窒息しそうになりながらもがいていた。涙目になりながら、ジタバタと抵抗している。


 その姿を見ていたマリが、少し照れたようにさくらに聞いてきた。

「わっ、わたしも、さくらちゃんのこと、ギュッてしてみたい。いい……?」

「あぅぅ、マリ姉まで、そんなこと言って」

「そんなこと……って、さくらちゃんも、しのぶさんならいいんだぁ。しのぶさんのみたいにっきいのなら……。沙羅ちゃんもっきいよね」

 マリが頬を膨らませ、拗ねた素振りをし、しのぶの大きな胸元を睨みつけている。


「おぅ、しのぶさんもマリも、さくらに絡むの、そろそろやめてやれよ」

 五人が揃って、声のしたほうを振り向いた。

 いつの間に現れたのだろうか、背が高く大柄な魚屋の、こちらも自称若旦那、けんがそこに立っていた。

「さくらがかわいいっていうのはわかるけどなぁ、ちっとばかりやりすぎだと思うぞ。周りのお客さんが目のやり場に困ってんだろうが。特に、沙羅と美亜の反応を見てみろ」

 その言葉に、マリとしのぶが周囲を見渡し、あまりの視線の多さに俯いてしまった。

 沙羅と美亜に至っては、口をパクパクさせるだけで、狼狽うろたえている。


「あぅ、ありがと……、拳さん」

 拳の肩にも届かないほどの、身長しかない小柄なさくらは、大柄な拳を見上げる格好になっている。

「おぅ、いいってことよ。でもよぉ、さくらも、しのぶさんの挨拶がわりの洗礼を受けたからって、いつもそんなことくらいで泣くなよ。……なっ」

 さくらの大きな瞳に浮かんでいる涙を、拳が見つけて慰める。

「泣いてないですっ」

「そうか?」

 さくらの頭を撫でながら、拳の話が続く。


「まぁ俺なら、マリのペッタンコのには興味ないけど、しのぶさんの大きなのだったら、喜んで洗礼でもなんでも……。もう、ギュッ……ってして」


 ペチッぺチッ!

 ヒュオッ!

 ドゴンッ!


 商店街に響き渡る小さくかわいらしい、二発の音。往復で叩かれた拳の頬は、ことのほか腫れている。

 その音とほぼ同時に、その場の空気を切り裂いたような音、そして、ひときわ大きくて低く、さらに商店街中を揺るがす轟音が続いた。

 拳の右側の頬に、しのぶの左拳ひだりこぶしが炸裂していた。

「拳さぁん、今、何か言ったかしらぁ?」

 そう言いながら、握られた左手にはいっそう力が込められている。

「いやっ、ちょっ、ちょっと待って、しのぶさんてば。グーじゃなくって、ギュッてしてって言ったん……だふぉっ」

 二発目が拳の鳩尾みぞおちに直撃。そのあまりの衝撃に、拳の体が、脆くもくの字に曲がる。


 しのぶが繰り出した二度の攻撃で、すでにボロ雑巾のようにヨレヨレになってしまった拳。四人の中で最も大柄で屈強そうな拳が、その場で膝をついた。

 それを見て、自分の右頬に手を添え痛がるさくら。

 なぜか、炸裂させた左拳で高々と天上を突き刺し、仁王立つしのぶ。

 三人を順番に、オロオロしながら、自分のおなかを押さえて見つめるマリ。

 両手で顔を覆ってしまった、沙羅と美亜。


「ふぅ……、すっきりしたわぁ」

「けっ、拳さん? だっ、大丈夫っ? これじゃあ、この前とおんなじですよ」

 思わずさくらが拳に駆け寄っていく。

「さくらちゃんっ。セクハラ親父の拳さんなんて、もう放っておきなさいっ」

 しのぶの言葉には、あきらかに敵意と軽蔑が込められている。僅かに殺意も。

 本気で怒っているのだと、誰もが瞬時に理解させられた。

「そうですよぉ。どうせ、わたしのはペッタンコですよぉだ……。拳さんのばかぁ」

 しのぶとマリ、ふたりが揃って、拳に厳しい言葉と凍えるような視線を投げつける。


 それに比べ、商店街の住人たちは、笑いながら四人の行動を遠巻きに眺めているだけだった。

 これは、ここ、さくら通り商店街での、いつもの平和な日常の出来事にすぎないのだ。いつのまにか、観光客とおぼしき人たちまでが、この笑いの輪の中に取り込まれていた。

「さくらちゃんっ、いくわよっ」

「ホントですよぉ、もぉっ。さくらちゃん、行きましょぉっ」

 しのぶとマリは未だに頬を膨らせたまま、さくらのことを呼んでいる。

「でっ、でもぉ……、拳さんが、まだ……」

「さくらちゃんっ?」

「はいっ」

 商店街の中心で、完全に伸びてしまっている拳は置き去りにされ、さくらはしのぶとマリに、両脇を抱えられて連れられていくのだった。

 沙羅と美亜は、ふたりして頬を痙攣ひきつらせながら、三人のあとをついていく。

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