第13話 文化住宅
今住んでいる借家の前に住んでいた文化住宅の夢を見た。
文化住宅とは名ばかりで、公設市場の裏にある掘っ立て小屋のような所だった。
前は盛り場が旺盛な所で、盛り上がれば、そこに飲み屋の女性を連れて客が性を発散させる。売春宿の成れの果てのような場所だった。
飲み屋の方は盛んで自分が住んでいる頃は夜中はアホのような音響でカラオケを歌う客が五月蠅かった。そこに、19年ほど住んでいた。
出張仕事、出稼ぎ労働者の下働きをバイト感覚で始めて、南は九州、北は千葉まで行っていたが、いわゆるアスベストを扱う仕事だったので、9か月で逃げ出した。
そこに転がり込んだのだのは、今から30年前で自分の母親が仮住まいとして近所の病院の家政婦をする為に借りた場所で、家賃が一万円だった。
本来の家は和歌山と大阪の県境にある土地にあるマンションだったが、私も母親も住んでいたのは二年もなかった。
そこの家賃とその「文化住宅」との家賃、二重払いを二十年ほどしていた。
うちの母親は知恵の足りない人で、金さえ持っていれば払ってさえいれば、そこが自分のものになるとでも思っていたのか、家政婦で稼いだ金で大きなタンスを三つも四つも買ってはマンションに放り込んでいた。
引っ越す時の事を考えていないアホな行動である。
それを二十年も払い続けたのは私だった。
その金を貯金していればたいそうな金額だが、小金が入れば、パチンコ三昧の母親にはそれが理解できていなかった。
社会常識が欠落している人だった。
国民年金が何であるとか、遺産相続が何であるとか。
そんな事を知らずに生きていた人だった。
そんな人間と生まれてから56年、そこの名ばかりの文化住宅に19年。今住んでいる長屋を改造した賃貸に11年と住んだ。
引っ越したのは11年前で母親が頚椎症性脊髄症という足が不自由な状態になり、二階にある部屋に上がれなくなってしまったからだ。
介護福祉士の資格を取っていたので、仕事のような事を家でもするようになってしまった。
その前に和歌山のマンションの荷物はその十年前に処分した。
その母親も去年の6月23日に朝飯を食った後に、心筋梗塞を起こして死んだ。
話が変な方向に行ったが、そんな社会常識を欠落した母親と住んでいた掘っ立て小屋の夢をしばしば見る事がある。
狭い階段を上ると二間ともう一間あって、文化住宅とは名ばかりであるのは本当に今から思えば、そういう場所であったなと感じる。
夢の中のそこはパースが狂っていて、自分が捨てそこなっている雑誌を並べている夢だった。
その本の並んだ列がやたら長い。
外に出ると、その掘っ立て小屋が塔のような感じなっていて、近所の市場で買い物をして迷路のような路地を通り抜ける夢だった。
そこは楽園ではなかったが、生活があった。
その追体験をもう一度している夢だった。
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