第61話 道連れ求めて鬼に会う

「いやいやいやいや、立花君は新手の鬼かなんかですかっ!?」


 鳴海さんが突然僕の家に押しかけてきた日の夜。ベッドの上に大の字で寝転がった僕は、電話越しに慌てる志津川さんの声を何とも言えない顔で聞いていた。


「新手の鬼って……まるで古手の鬼がいるみたいに言うね」

「……古手の鬼?」


 いや、そこに疑問を持たれても。場を和ませるための冗談に食いつかれても困るのだけど。


「ちょっと説明してもらってもよろしいですか。その、古手の鬼というのは具体的にどれぐらい古い鬼を古手の」

「いや、そこは良いだろっ!」


 どこまで食いつくんだよ。食いついたら離さないとか警察犬かなんかなのかよ。


「いや、シンプルに気になったものですから……」


 そんなところにまで食い意地を張らなくても良くないだろうか。


「それで、改めて協力してもらえないかって相談なんだけど……」


 僕が志津川さんへと電話をかけたのは、とある『依頼』への協力を仰ぐためだった。


 『私の兄の初デートを見守って欲しいのですっ!』


 依頼主は仁科佳穂にしなかほという一人の少女。これが全く知らない相手であれば僕も気軽に依頼を受けるか、それとも全く意に介さないことを選ぶだろう。


 だけど彼女の依頼を受けて一週間の間、僕がその依頼を受けるか否かの旨を保留したのは彼女の兄の存在が壁となって立ちはだかったからだ。


「仁科君と柚子ちゃんのデートに私が付いていくんですよね?」

「ま、まぁ……そうなるね」

 

 仁科奏佑にしなそうすけ。僕と同じ桑倉学園の二年生。イケメンで性格も良くて運動も勉強もできるまさに物語の主人公のような男だ。


 しかもこの夏、幼馴染の粟瀬柚子あわせゆずと晴れて両想いになることが出来たのだそうだ。


 さて、そんな彼の何が問題なのかというと、この仁科君というのが志津川さんの初恋の相手であり、鳴海さんが今現在も決して叶うことのない恋心を抱き続けている相手だということだ。


「ほら、鳴海さんには頼めないし……」

「それは当然ですっ! というか彩夏さんに気を遣うのならば私にも遣ってくれてもいいじゃないですかっ!」


 うぐっ……。それを指摘されると全く持ってその通りなんだけど。


「い、いやっ、志津川さんのことを全く気遣ってないって訳じゃないんだよっ!」


 そりゃ僕だって考えたさ。仁科君は志津川さんの初恋の相手。そんな彼の初めてのデートを見守れっていうのがどれだけ酷かなんてのは僕だって理解しているつもりだ。


 だけど、どうしても僕には誰かに頼み込まなきゃいけない理由がある。


 夏休みの最終週。学生にとってはまさに思い出作りのための大切な時間だ。当然、主要なデートスポットと言われる場所には多くの学生が集まっている訳で――


「もしかしなくても立花君、一人でデートスポットに出かけるのが嫌なんですか?」

「あたりまえでしょっ!」


 いくら依頼とはいえ、僕だって自ら進んで心に傷を負うような場所に赴きたくはない。


「道連れが欲しいんだよ」

「既に死んでいるような人間を道連れにしたがるって、どんなセンスなんですか」


 いや、まぁ、状況を見るにそりゃそうなんだけどさ……自分で口にするかねそれを。


「と、とにかく、あまり乗り気ではないというのもあるのですが、生憎と立花君が佳穂ちゃんから聞いた日程はちょっと私用があるのですよ」

「私用?」

「ええ、実はお父様の伝手でとあるコンサートに御呼ばれしておりまして……」


 伝手でコンサートってお金持ちの道楽じゃん。というかそう言えばそういう家だったなぁ、志津川さんの実家って。


「そ、そっか……」

「なので一人で頑張ってくださいねっ!」


 あぁ、きっと今スマホの向こうには満面の笑みを浮かべる志津川さんがいるのだろう。


 僕のことを新手の鬼なんて比喩しておいて、志津川さんの方がよっぽど鬼じゃないか。


「……なにか?」


 ゾクリ、と僕の背筋を何か冷たいものが撫でていった。


「な、な、なんでもございません……」

「ではよろしい。それよりも改めてお力になれず申し訳ございません」


 先ほどの声色と違って、今度の志津川さんの声は随分としおらし気だった。


「いや、気にしないでよ。というか僕の方こそ配慮が足りなかったというかなんというか……」

「ボランティア部として協力すべき事柄だとは思うのですが……」


 普段聞き慣れないあまりに弱気なその声に、僕は自分の胸の奥がチクリと痛むのが分かった。


「全て乗り越えたと思ったんですけどね」

「……そう簡単に割り切れる事ばかりじゃないよ」


 どんなに明るく振舞ったところで、一度抱いた感情が簡単に胸の中から消えてくれるわけがない。ましてやそれが「初恋」という人生で一度しかないものであったのなら、その想いはまるで壁のシミのようにずっと志津川さんの心に残り続けるんだろう。


「人を好きになるって……一瞬のことじゃないんですよね」


 ぽつり。志津川さんはまるで何かを噛みしめるかのようにそう呟いた。


「好きになる瞬間も、好きで居続ける瞬間も、好きだったと思う瞬間も……その全部が好きってことなんだったんだなって」


 人を心から好きになるって一体どんな感情なんだろう。


 僕は志津川さんの言葉を聞きながらぼんやりとそんなことを思った。


「そうだっ!」


 ふと、どこかしんみりとしてしまった空気を打ち破るかのように志津川さんが明るい声を一つ上げた。


「ど、どうしたの!?」


 何か妙案でも思いついたのだろうか。僕は突然の声に驚きながらも志津川さんの提案を聞くことにした。


「みったん先輩ですよっ!」

「……えっ」


 しかしそんな彼女の口から出てきたのは予想だにしなかった名前だった。


「みったん先輩を頼ればいいんですよっ! みったん先輩ならもしかしなくても立花君に付いてきてくれるかもしれませんよっ!」

「あー、確かに」


 そう言えば以前はそうやってよく西園寺部長と依頼をこなしたものだった。


 最近は志津川さんとばかりいっしょにいたせいか、すっかりと僕の中で彼女の存在が抜け落ちてしまっていた。


「それは……まぁ、名案かもしれないね」

「でしょうっ!? ということで早速頼み込んでみましょうよっ!」


 志津川さんに背中を押されて僕はすぐさま西園寺部長へと連絡を入れる。


「これで佳穂ちゃんの依頼も無事に達成できそうですね!」

「そうだと良いんだけど……」


 確かに、仁科君の妹である佳穂ちゃんが僕らボランティア部に頼み込んできた依頼はそれで達成できるだろう。


『私の兄の初デートを見守って欲しいのですっ!』

 

 依頼の内容を見るだけならば僕らの計画には何ら問題はないはずだ。仁科君と粟瀬さんのデートを見届けて、ただその結果を報告するだけ。


 だけどどうしてだろう。


「……立花君、何か引っかかることでも?」


 流石志津川さんというべきか。だけど僕自身、僕が一体何にもやもやとした感情を抱いているのか分からずにいる。


「いや、多分僕の考えすぎなだけだよ」

「それならば良いのですが……」


 そんな時だった。ピコン、という景気のいい音と共に僕のスマホの画面に西園寺部長からの返信がポップアップで映し出された。


「もしかしてみったん先輩からの返信ですか?」

「そうなんだけど……」


『すまん、その日は予定があっていっくんの力になれそうにない』


 そこに映し出された文字は、僕を絶望に叩き落すのにあまりにも十分な言葉だった。


「……どうするんですか、立花君」


 仁科君たちのデートの日取りまであと三日。


「……本当にどうしよう」

 

 僕の夏休み最後の依頼は、どうやら前途多難らしい。

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