第59話 秋晴れ、新たな恋を乗せて
「いつ
八月も半分が過ぎようとしていたある日のことだった。
我が妹、
「あのなぁ雫梨、人の部屋に入るときはノックぐらいしろって……。というか夏休みぐらいゆっくりと寝させてよ」
「だからっていつまでも寝てるのはよくないって。それに、いつ兄に会いに来たって言ってるし」
眠気眼をこすりながら布団の中から抜け出すと、机の上の時計は11時に僅かに足りない時間を示していた。
昨日ソシャゲのデイリーをやり損ねていることを布団の中で思い出したのが運の尽き。それからなぜかレベルが上がってスタミナが全回復してしまい、なんとか消化しようとメインクエストを進めていたら思ったよりシナリオが面白くて夜更かし。
僕としては11時も十分早起きの部類である。
というか前もこんなことが無かったか。確かあの時は志津川さんが僕に会いに来たんだっけ……。
今なら言える。あの時はまさかと思ったけど、今回に限っては間違いなく志津川さんがやってきている。
「仕方ない、行くか……」
ベッドから這いずり出ると、人前に出られる最低限の衣服に着替えて部屋から出る。
雫梨と志津川さんはもう何度か顔を合わせているし、軽い対応ぐらいは任せてしまってもいいだろう。しかし最初のどえらい美少女が志津川さんだとするならば、あとの二人は一体誰だ。
僕に美少女の知り合いは多くない。というか西園寺部長を除くと志津川さんと鳴海さんぐらいだ。雫梨も我が妹にしておくには勿体ないほどの美少女なのだが、今回に限っては血縁者という意味で枠から外れる。
そうなるといよいよどえらい美少女とどえらい美少女の正体が気になってくる。
「ふぅ……相変わらず雫梨さんの淹れた緑茶は濃さが絶妙ですね」
「えへへ、琴子さんはすぐに褒めてくれるから天狗になっちゃうよぉ」
二階の自室からリビングへ降りると案の定といったところか、そこでは我が学園の天使、
「いらっしゃい、志津川さん」
「お邪魔してます立花君っ!」
持っている湯呑をそっと机の上へと戻すと、彼女は小さく僕の方へと手を振ってくる。
「どうしてまた朝っぱらから僕の家なんかにいるんだよ……」
「僕の家なんかって……もしかして、昨日の約束忘れてしまったんですか?」
はて、僕は志津川さんと何か大切な約束をしていただろうか。
依頼絡みだったら忘れるとは思えない。出かける予定なんかした日にゃ雫梨がそれを知らない訳が無い。僕は雫梨のコーディネート無しでは志津川さんとまともに外なんか歩けないのだから。
ならばなんだ。僕は一体彼女とどんな約束をしたんだっけか。
「『アオのカンバス』の新刊を読ませていただくお約束ですよっ!」
「……あ」
そう言えば昨日寝る前にそんな話を通話アプリでしたような気がする。最新刊が面白かったから是非にと志津川さんへ薦めたのだが、昨日の今日で読みに来るとは思ってもいなかった。
「あれはそういう事ではなかったのですかっ!?」
「あぁ……確かに今すぐ読むべきとは言ったけど、読みに来いとは……」
「もしやお邪魔だったでしょうか……?」
ウルウルと瞳を潤ませるその視線は、まるで昔の某携帯会社のCMのマスコットのようだ。そんな彼女を今更どうして追い返せようか。
「今すぐ持ってくるよ」
「いえ、それには及びません!」
そう言ってのける志津川さんの手元には、いつの間にか湯呑から持ち替わった『アオのカンバス』13巻が握られていた。
「雫梨さんにお願いして、立花君のお部屋から拝借させていただきました」
「……雫梨」
「ごめんねっ、おにーちゃんっ!」
満面の笑みを浮かべる雫梨と、してやったりな表情の志津川さん。何とも言えない表情の二人に僕はこれ以上言葉も出なかった。
「……あのさ、そろそろ混ぜてもらっていい?」
そんな時だった。
今まで隣で頑なに僕らの成り行きを見守っていたどえらい美少女その2が声を上げた。
いや、彼女の存在はこの部屋に入った時から既に気づいていたんだけどね。どう声をかけていいものか分からなかっただけなんだ。
「ご、ごめん、鳴海さん……どう話を振ったものか分かんなくて」
「それならいいんだけどさ」
相も変わらず鳴海さんは今日も綺麗だった。凛と澄んだ空のような鋭さと、そして夏風のような柔らかな暖かさ。その二つが相まって不思議な感覚を覚えてしまう。
思えば、出会った時の鳴海さんよりも今の鳴海さんの方が随分と親しみやすくなったような気がする。
「そ、それで鳴海さんはどうしてここに?」
「私は付き添い。その……」
なにかを言い淀んだ鳴海さんが、ちらと志津川さんの方へと視線を移した。
「鳴海さんは、『負けヒロイン』の何たるかを勉強しに来たんですっ!」
今度の鳴海さんの表情には、ふんすっといった擬音がよく似合った。
「……なぜ僕の家?」
「琴子曰く、ここには参考書がいっぱいあるからって……」
あぁ、なるほど。要するに僕の漫画やラノベを借りに来たってことね。
「お三方、お茶のおかわりはいかがですかー?」
そんな時だった。いつの間にかキッチンの奥に引っ込んでしまっていた雫梨が、お盆に急須と幾つかのお菓子を乗せて戻ってきた。
そうだ、すっかりと状況に飲まれてしまって後回しになってしまっていたけど、今日この場には僕を除いて四人の美少女が集まっている。妹の雫梨、桑倉学園の天使こと志津川さん、空を思い出した天才少女の鳴海さん、そして――
「わ、わたしはあのその、い、頂きます……」
どこか落ち着かない様子であたりに視線を飛ばすどえらい美少女その3。
志津川さんより短く、鳴海さんより僅かに長い髪は彼女が視線を動かすたびにサラサラとそれに追従して印象的だ。
「儚さ」という言葉を擬人化したら、きっとこんな風な美少女が出来るんだろうなという具合に整った顔。幼さが未だ前面に残るその顔つきは思わず男子諸君の庇護欲をこれでもかというほど掻き立ててくれるだろう。
しかし一体この美少女は誰なんだろう。お生憎と僕はこんな美少女に見覚えが無い。
机の下で見えにくいが、志津川さんの手を精一杯に握りしめているあたり恐らく彼女の知り合いであることは間違いなさそうだ。
しかしどこかで既視感を覚えるのはいったいどうしてだろう。
僕の知り合いに美少女はそんなに多くはないはずだけれど。
「それで、その、こっちの子は?」
迷っていても仕方ない。当人は今自分の置かれている現状にまだ慣れていないようだし、僕は思い切って志津川さんへと彼女の正体を尋ねることにした。
「あぁ、この子は――」
しかしそんな志津川さんの言葉を遮るように、意を決したかのように三人目のどえらい美少女は口を開く。
「じ、自分で言います。わ、わたしは青ヶ峰高校付属中学三年、
鈴がなるような可愛らしい声だった。
精一杯言葉を紡いでいく光景に思わず僕の父性が叫び声を上げそうになる。年下の妹がいたらきっとこんな気持ちになるんだろうなぁ、なんて思っていると後ろにいた雫梨から抗議という名の蹴りが飛んできた。
それにしても――
「仁科……って」
既視感の正体がわかった。以前聞いたことがある。彼には二人暮らしをしている中学生の妹がいる。
「わ、わたしの兄は桑倉学園2年A組、
二人の恋の結末を見守った夏。もう僕の前にこれ以上の面倒事は現れないと思っていた。
しかし現実は思ったよりも僕を簡単に日常へと戻してはくれない。
二人の負けヒロインの物語を乗り越えた先に、僕は新たな負けヒロインの出現を予感するのだった。
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