第3話 天使の通学路
滝田市は北部に山、南部に平野が広がるいたって普通の地方都市である。中央には南北に大きく川が流れており、市内を東西に分断していた。
その西部に位置する我が桑倉学園の正門は、今日も早朝から多くの生徒で混み合っていた。
僕は比較的余裕をもって登校をするようにしているのだが、むしろ時間に余裕が生まれるこの時間帯こそが多くの生徒にとって理想ともいえるらしい。
教室でクラスメイト達と会話に花を咲かせる時間。青春真っ盛りな青少年にとっては、この貴重な時間こそが勉学に励む何倍も労力を割きたい時間だと言えよう。
それを言うなら休み時間にも同じことが言えるが、朝イチの会話はネタの鮮度が違う。
昨日別れてから今日再び会うまでに起きた出来事。誰かに話したいそれを余すことなく記憶の新しいうちに話せる時間こそがこのホームルーム前の朝の時間なのだ。
ブレーキを2度ほど固く握りしめると、僕の乗った自転車のスピードが緩やかに落ちていく。何やら朝から盛り上がっている様子の女子グループの脇をゆるりと抜け、僕は西棟脇の駐輪場を目指した。
(うわ……お気に入りの場所、埋まっちゃってるな)
駐輪場に辿り着くと、お目当ての場所には既に見覚えのある赤い自転車が一台止まっていた。
朝練の生徒か、それとも今日に限って早く来なければならない予定があったか。
とかく僕は駐輪場でもひときわ目立つ真っ赤なボディーの隣に自分の自転車を止めると、足早に教室へと向かうことにした。
理由は一つ。
昨日のことをもう一度改めてしっかり考えたかったからだ。
僕の至福の時間に突如としてやってきた大異変。しかも持ち込まれた相談事が相談事だ。
これが一般生徒のいつも通りの些細な『依頼』であったなら、僕もここまで平静さを失うことはなかっただろう。いつも通り真摯に対応して、いつも通りにとんちき部長に事後報告でも済ませておけばいいのだ。
しかし今回に至ってはその限りではない。よりによってまさか彼女のお願いを聞くことになるとは、僕も全く寝耳に水だったわけである。
(まさか、彼女が依頼主とはなぁ……)
接点を持てたことは素直に嬉しい。しかしそれとこれとはまた話が別だ。どうやって事に当たったものか。そう考えながら靴箱へと続く道を歩いていると、ふと目の前の男子生徒たちがざわつくのが見て取れた。
「あの人が例の……?」
「あぁ。俺、この学校に進学して本当によかったぜ」
「確かに美人だ……」
「ありゃ美人なんてもんじゃない。天使の生まれ変わりかなんかだ」
「いいなぁ……。俺もあんな先輩と一緒に楽しい学園生活が送ってみたい」
羨望の眼差しを一点に向けながら、彼らはどこか達観した顔つきで言葉を交わしている。
桑倉学園の制服は学年ごとにネクタイの色が違う。それを見るに目の前のコンビは今年入ってきた新入生たちだろう。
そしてその視線の先。天使の生まれ変わりらしいその人物こそ、僕の依頼主である
(こうしてみると確かに本当にただの美人なんだよなぁ……)
すらりと伸びた手足にちょこんと乗った可愛らしい顔。そこから伸びるサラサラとした髪が朝の陽ざしを反射して、まるで彼女を幻想の世界から舞い降りた女神のように錯覚させる。
柔らかな微笑みを携えながら友人と共にやってくるその姿は男子生徒はもちろんのこと、偶然近くに居たのだろう女子生徒の頬まで赤く染め上げている。
その美しさに魅入ってしまう男子生徒は星の数ほどいて、更には一部の女の子たちにも志津川さんの立ち振る舞いは憧れや親愛と言った以上の感情を抱かせるらしい。
(自覚があるのやらないのやら……だなぁ)
大勢の思春期青少年たちを魅了してやまない志津川さんは果たして自らの纏う魅力に気づけているのだろうか。
「……いや、無いな」
昨日の僕への距離の詰め方を見るに、彼女は自らの可愛さに無頓着と言ったところだろう。
そりゃ多少は言われ慣れているのかもしれないけど、それをしっかりと理解しているかどうかはまた別問題だ。
女の子は怖い。
特に、『自分の魅力を理解している女の子』というのはその最上位だ。
今後志津川さんと絡んでいくうえで、彼女がそうでないことを願わんばかりである。
「あれ、
周囲を歩く生徒達の陰ですっかりとその存在が隠れてしまっていたらしい。どうやら志津川さんには連れが居たようだ。
整った容姿の爽やかな男子生徒に、淡い栗毛の快活そうな少女が一人。志津川さんと楽し気に言葉を交わしているのが眼に入った。
(へぇ……。一緒に通学してるんだ)
志津川さんの想い人である仁科君とその幼馴染の粟瀬さん。その二人が志津川さんと一緒に通用口へと歩いていくのが眼に入る。
志津川さんが粟瀬さんと居るのは珍しい光景じゃない。我が2-Bの生徒にとってはむしろ日常とも言えるだろう。粟瀬さんは隣のクラスだが、志津川さんと仲がいいのかよく昼食を共にしている。
それ以外にも休み時間や放課後に顔を出すことが多く、ここ最近ではそのセットを目の保養にしている一部男子生徒も増えて来ていた。
更には粟瀬さんは仁科君の幼馴染でもある。美少女二人の登校に、幼馴染である仁科君が付け合わせのようについてくるのも別段おかしな光景ではない。
まぁ、目の前の後輩諸君には羨ましい限りなのだろうが。
「そういえば……一人いたなぁ。志津川さんの魅力でも敵わない人」
そんな最強美少女である志津川さんだが、生憎と仁科君のことに至っては思い通りにはいかないらしい。
なんせ、ボランティア部の元へと依頼を持ち込むぐらいだからだ。
「僕、上手くやれるのかなぁ……」
ふと、遠くを歩く志津川さんがこちらを振り向いたような気がした。
僕に気づいたのかそうじゃないのか。一瞬の出来事で全くと言っていいほど定かではない。しかし、やっぱりその時の表情は、男の子の心を惹きつけるには十分すぎるほどに魅力的な笑顔をしていたのは言うまでもない。
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