第1章 永久の誓い(1)

 アガシアは活火山があるせいか、時折り地震が起きて人々の生活を脅かすが、今回は広範囲におよび被害も深刻だった。女王の要請を受けたグラント王は、セキトをアガシアへ救援に向けたのだが、そこでセキトは王女たちの注目を浴びることとなった。

 正確な靴音が響き、長い歩廊の一角にセキトが姿を見せ、かちっと踵を合わせて角を曲がると、あとは回廊の真ん中をまっすぐ進んで行く。毎朝、女王の許へ報告に来るのを知り、王女たちは隠れ部屋から覗き見しつつ、いっせいにおしゃべりを始める。

「直角に曲がるのが見事ね」「軍服姿がこんなに素敵だなんて、今まで知らなかったわ」

「彼だから良いのよ。ほかの人を見てごらんなさいな。鳥の中の王、鷹という感じでしょ」

 セキトは数人の部下を従えて悠々と近づく。王女たちのささやきが聞こえなくても、騒がれているのは判る。凄みのある瞳を鋭く左右に注ぎ、隠れ部屋にも一瞥を投げかけ、怖い顔のまま通り過ぎるのだが、ときどき濃紺の外套がめくれて紅い裏の見える様子が胸をときめかすのか、王女たちは大げさに笑い声をあげ、勝手な批評を交わす。

「不敵な男の魅力があるわ」と次女マイヤ王女が言えば、「腰の線が締まっているでしょ。ああいう男性はとてもいいのよ」とレイラ王女が含み笑いをして妹たちを見る。

「嫌なお姉さま。もう駄目よ。公子も生まれたというのに、手を出さないで頂戴ね」

「あら、良い男性なら積極的に行動しなさいと母上は仰言っているでしょう?」

「ギーム公に悪いじゃないの」

「そうよ。お姉さまはグラント王を捕まえていたら今頃はダイゼン王妃だったのに」

レイラ王女は少し顔をしかめた。

「あの頃はそんな気持になれなかったのですもの。今となれば惜しかったけれど、でもこの人も素敵」「私が狙っているのに邪魔なさらないでね」マイヤ王女が声を高めた。

 王女たちが噂をしているらしいが、セキトはそれが何だ、とはなはだ醒めた瞳をしている。しばらく公務で滞在しているだけだ。高嶺に咲く行きずりの花に微笑を投げてどうなるというのか?しかしマイヤ王女は母マイラ女王に自分の気持ちを伝え、調査を依頼した。

 話を聞いた女王は素早く頭の中で計算を始める。強国ダイゼンで最高位の将軍家なら悪くない。軍事権力はもちろんの事、いったん事が起こればグラント王にとっても脅威となる実力は魅力だ。非常事態が発生すれば王朝にとって替われるかもしれない、と女王の鼻がうごめいた。レイラ王女はダイゼン王妃の座を逃したが、次女マイヤを勇猛な一族に嫁がせるのはアガシアにとっても収穫になる。両国の結束も強固となり、グラント王と親戚になるのだから、カムラ一族も喜ぶだろう。

 グラント王の許へ急使が駛る一方で、女王から直接声をかけられてセキトは驚いた、まさか結婚話にまで発展するとは思わなかったし、自由な独身生活も捨て難い。セキトはマイヤ王女を正式に紹介されて挨拶はしたものの、あまり話をせず、女王の質問に無難な返事をしつつ鋭い流し目で王女を観察した。ほど良い気位の高さと積極性が見てとれる。将軍家に入っても臆することはないだろう。畏れを知らない瞳だが、気が強いという印象ではなく適当に可愛い感じだ。セキトは相手が王女であってもダイゼンで権勢を振るうカムラ将軍家の誇りにこだわるから少々そっけなく、兄ハヤト将軍の意見を聞いた上で返事をすると約束し、あっさりその場を退いた。

(王女か……)兄は、家柄の良すぎる娘と結婚すると、自由を阻まれて面倒だと言い、軍人仲間である親友の妹と簡単に結婚してしまった。それでも次々と男の子が生まれ、兄嫁は忙しそうだ。夜、夫が外出してもうるさく問い詰めず、すべて公務だと信じているらしい。王女ともなれば良い家柄どころではないが、ふとタクマとサラ王女との関係を思い浮かべた。今はカリヤ公と称するタクマは、王女を立てながら、うまく自分を堅持しているように見える。(やり方だな)とセキトは考えた。知らないうちに王女の華麗な姿がセキトの頭を占領し始めている。

 ダイゼンに戻り、まずグラント王の許へ報告に行くと、王はマイラ女王からの書簡で詳細を知っていて、「セキトの魅力も大したものだな。マイヤ王女に惚れ込まれたとは」と笑顔を向けた。

「セキトの凄い流し目に心を奪われたらしい。セキトが良ければ娶るがいいし、嫌なら断っても余は一向にかまわぬ。女王にはうまく断りの返事を出そう。が、どんな王女だ?」

 グラント王は面白そうに尋ねるが、王子時代とは異なり、三段高い王座に悠然と腰かけている姿はどことなく威厳があふれていて、以前のように気軽に話すのははばかられる。両脇に控えるクリスとマリウスはまじめな表情ながら興味津々という瞳だ。

「まだ兄に話していませんので、兄の意見も参考にしますが、王女はなかなか活発で度胸もありそうに見えました」

「将軍家にふさわしいか。王女との結婚はセキトの名声がいっそう高まるとは思うが、不品行は絶対にならぬぞ。アガシアの王女は余の従妹で、余とセキトは親戚になる。タクマもそうだ。サラとは血がつながっている。また近々アガシアへ行ってもらわねばならぬゆえ、将軍とよく相談して決めるがよかろう」

 あまり夜遊びはするなということか、とセキトは少し考え込んだ。酒場の女と一瞬の情事を楽しむだけで心から惚れた女性はいないものの、最近はメラとなじんでいる。売れっ妓だが、セキトのわがままを受け容れて優しいから安心なのだ。姉たちの気の強さには辟易している。しかし将軍家の嫁ともなれば、弱い女性では務まらないから難しい。

(タクマとも親戚か……)とセキトは心の中で呟いた。サラ王女と従姉妹同士ならカリヤへも気軽に連れて行けるなどと勝手な想像をしながら帰宅し、母親のカムラ夫人に「何かアガシアで良いことがあったの? セキト。珍しく楽しそうですね」と軽く言われたセキトはゆるんだ顔を急いで引き締めた。「別に」と口の重い息子をカムラ夫人は少しつまらなそうに見つめたが、母よりもまず兄に相談しようと思い、セキトは王女の話をしなかった。まだどうなるか判らないことで、ぬか喜びさせてはならない。

 夜、棟続きの兄の処へ行くと、すでにグラント王から話を聞かされていた将軍は

「セキトが決めることだが、悪い話ではないな」と弟の顔を覗き込み、意見を述べた。

「だが、グラント王の従妹、マイラ女王の娘だ。それなりの礼は弁えねばならぬ。結婚後は酒場通いはほどほどにして身を慎み、夜は妻のそばにいて大事に扱わねば不満が出る。身分の高い女性は誇りという厄介なものを持っているゆえ、いいかげんな対応はならぬぞ」

 セキトは黙って、怖い顔の兄を見つめた。

「もっとも結婚となればセキトの評価は上がり、何かの際には女王の恩恵に与れるかもしれぬ。巧くやれると思うなら決断しろ」

「タクマもサラ王女と結婚してうまくやっているようだから大丈夫だと思う」

「彼は酒場に足を踏み入れたこともない堅い男だ。セキトはどうだ。妻だけを護れるか?」

 セキトは不満げに兄を見た。好き勝手に夜遊びをしている兄が、自分にはやめろというのが癪にさわる。が、兄嫁とは身分が違うのだ。(たまの夜遊びくらい判るものか。城の中で育った世間知らずのお姫さまだ。巧くごまかせるだろう)この話を断るのも惜しいではないか? セキトは兄や姉たちを見ているので、結婚にさほど夢や期待がない。

 話を聞いた母カムラ夫人は大喜びだし、兄も(箔が付く)と、まんざらでもない様子だ。勲章をもらうわけではないが、いずれ誰かと結婚しなければ、独り者は公式の行事や王宮の宴席でも間が抜けて見える。妻子を持ち、養ってこそ男だ、とカムラ夫人は不愛想な息子を急き立てた。

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