スプリング・スプリング・スプリング #14

 珍しく終礼が数秒で終わった。誰からも何の連絡もなかった。今日はアクション部の活動日。

 人の少ない女子更衣室でジャージに着替えて倉庫へ向かうと安座上先輩がすでに来ていた。一目見て緊張した。ジャージ姿の先輩は爽やかに挨拶をしてくれたけど私は上手く返せただろうか。

「みんな集まるまででんぐり返しの練習してようぜ」

「はい」

 私はかなりのゆりかごマスターになっていた。もう本格的にでんぐり返しに取り組んでいい頃合いだ。

 倉庫から二枚だけマットを出した。重ねたマットを二人で外まで運ぶ。先を歩く先輩の足が速くて手を放してしまいそうになった。階段を下りるのは緊張した。


 今日も暑い。水たまりを避けて乾いた場所にマットを置く。それだけで少し疲れた。

 マットの耳をしまうと先輩はノートを広げる。中は見せてもらえなかったけど色々書いてあった。先輩は脱いだジャージの上着を放った。

「先生に相談してみたんだ。でんぐり返しのコツ」

「先生?」

「新体操部の。それと、先に見本を見せなきゃだね」

 安座上先輩がくるりとお手本のでんぐり返しをした。とっても簡単そうに。ゆりかごはできるようになったけど私も本当にこうやって回れるのかな。

「今日はこれで回る感覚を掴んでもらうよ」

 先輩はスポーツバッグから出した大きいサイズのタオルを丸めてマットの上に緩やかな傾斜をいそいそと作った。

「この坂の上ででんぐり返ってみて」

 坂から転げ落ちるのは怖いけどタオル製の坂は大した角度もない。前と同じように回るとタオルの柔らかさが体をかすった。そして、ぐるんと回りきった。真っ直ぐに転がれずマットから落ちたけど初めての感覚だ。

「お、おおーーー!見ました!?」

「見た!長山さん!できた!回れるじゃん!よし!今の感覚忘れないうちにもう一回!」

 もう安座上先輩もでんぐり返しも怖くなかった。楽しかった。何度でも回れる。

「やっぱり曲がっちゃうな。左右の筋力の差?…もう一回!」

「はいぃ…」

 二度、三度繰り返した。回れるようになったけど上手に回れない。もう一度と言われて立ち上がろうとしたらめまいがした。

「先輩、すみません。頭がくらくらするので休憩していいですか」

「あ、いいよ。部長ちゃんたちもそろそろ来ると思うし休んでて」

 マットの上に適当に座ると安座上先輩が私の横に寝そべった。傾斜にしたタオルを枕にしてのびのびと気持ち良さそうだ。

「長山さんはアクション部楽しい?」

「はい!とても!」

「そっか〜」

「安座上先輩も楽しいですか?」

「楽しくない」

「えっ」

 アクション部にはなかなか顔を出さない人だけど参加すれば毎回楽しく練習しているように見えたのに。そもそもこっちに滅多に出ないってことは──

「…新体操のが楽しいですか?」

「いやねぇ、実を言うとさ、新体操より楽しそうだなと思ってアクション部入ったんだよ。誰もしてないけど新体操部は兼部禁止されてないから」

「はぁ…」

「参っちゃうよなぁ。アクション部は想像より楽しくないし、新体操では異端扱いだし」

「どうして楽しくないんですか?先輩はヒーロー役まで任されてるのに…あ!主役やるのにプレッシャーあるんですか!?」

「全然!それはすっごく嬉しい!楽しい!目立つことは好き!新体操の大会のがプレッシャーだよ」

 うちの新体操部は女子も男子も全国大会に行くくらい実力があるんだから当然か。アクション部での活動は気楽なもんだろう。

「部長ちゃんがさ、厳しいじゃん?」

 部長。声のいい普通科の男子。ゆるい部を優しくもしっかりとまとめてくれている。

「偶然、アクション部の練習見たことがあったんだ。すごく楽しそうで。その時はまだ部長じゃなかった部長ちゃんにアクション部楽しい?って訊いて、何て言ったと思う?」

「そうですね…楽しいって答えてほしいところではありますが…」

「正解!本当に楽しそうに楽しいって言った」

「良かった!」

 私が喜ぶと先輩はわかりやすくがっかりした。

「楽しいって言ったのに。もっと気軽な部活だと思ったらあんなに真剣に取り組んでんだもん。びっくりした。裏切られちゃったよ」

「…それでもアクション部を辞めようとは思わないんですか?」

「目立つの好きって言ったっしょ?一番アクションできるのは誰?そう、この安座上の他に誰もいない。ヒーロー役をやるべきだよね。一番上手くて一番目立つ人間が。ヒーローショーをいいものにしようと思うなら。お願いされても辞めてなんかやらないよ。部長ちゃんが部から出てってくれって土下座しても居座ってやるんだ」

「………」

「おっ、噂をすれば部長ちゃん」

 寝ている先輩を見ていた顔を上げるとこちらに向かって来る部長が見えた。多分、部長には今までの話は聞かれていない。

「何だよ」

「なぁんでもなーい。もう新体操に行くよ」

「何しに来たんだよ、お前…」

「合わせらんなくて悪いね。部長ちゃんは一人でボイトレごっこしててくださーい」

 部長は安座上先輩が脱ぎ捨てていたジャージを拾い上げると悪態をつく持ち主へ乱暴に投げた。ばさりとジャージは安座上先輩の頭に覆いかぶさる。

「さっさと行け。サボり魔、遅刻魔」

「うっせ、ばーか!あっ、長山さん!筋トレしなよ!じゃーねぇ」

 安座上先輩はジャージを腰に巻きながら本当に新体操部へ行ってしまった。足取りは軽かった。


 部長が長い溜息のように唸った。いい声だ。

「今日はあいつに何もされなかった?」

「でんぐり返しを教えてもらいました。できそうな予感です」

「そうなんだ。良かったね」

 さっきの安座上先輩の言葉を思い出す。部長は厳しい。確かに私にも他の部員にも部長は優しいのに安座上先輩に対して当たりが強いようだ。安座上先輩の態度は大きいからいちいち気後れしてたら部長なんてやってられないんだと思う。

「部長!あたし、アクション部とっても楽しいです!」

「どうしたの、突然。嬉しいよ」

「部長も楽しいですか!?」

「え?うん。部長になってからは大変でもあるけど」

「いつもお疲れ様です!部活にはしっかり出ないけど安座上先輩もヒーロー役やるの好きらしいですよ!」

「…そうなんだろうね。でも気まぐれな奴だし急に辞めるとか言い出しかねないよ」

「大丈夫です!安座上先輩はヒーローを簡単に辞めません!しつこい人ですよ!きっと!」

「すごい言い方するね」

 少し笑った部長は私の言葉を真に受けていないようだった。そのうち部員が次々と集まってヒーローなしでヒーローショーの練習が始まった。

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