スプリング・スプリング・スプリング #05

 中学三年生になると太った。特に二の腕と太ももが太くなった気がする。胸も大きくなった。下着がきつい。

 学校では何も言われないけど親戚の誰に会っても顔がふっくらしたとか全体的にぽっちゃりしたとか言われる。祖母たちは細すぎるくらいだったからちょうどいいなんて言うけど納得できるわけない。

 食べる量は変化ない。得意ではない運動をする気にもなれない。受験生になったストレスのせいだと思う。イライラしていた。

 そのせいで佐己小さんの家へ行く頻度が増えた。自分の家でも学校でも塾でもないこの場所は私を穏やかにしてくれる。何度も泣き言を聞いてもらった。佐己小さんは古文が得意で勉強も見てくれた。ふにゃふにゃの文字も読めるそうだ。

「かぐや姫って宇宙人だよね?あたしはSFだと思ってたんだけどクラスの子がラブストーリーって言ってたの。五人と帝に好かれてるのが羨ましいんだって。かぐや姫は結婚を嫌がってるのに馬鹿みたい」

「そうね」

「石上麻呂とは手紙でやり取りしてるしかわいそうとも思ってるから他の四人よりは好きなのかもしれないけど。…でも、体型が思い通りになる薬とか、食べると頭が良くなる魚とか、かけると絵が上手くなる眼鏡をプレゼントされたらどんな人でも結婚してあげてもいいかな」

「どうせ紛い物だよ」

「そうだよねぇ。あーあ。あたしも月に行きたいなぁ。月じゃなくてもいいや。どっか行きたい。遠くに。近くても知らない場所に行きたいよ」

「あなた最近、本当に気持ちも体も不安定ねぇ」

 意地悪な佐己小さんは美味しいケーキと紅茶を差し入れしてくれた。


 都内の高校の美術科に合格してそこへの進学が決まってようやく体重だけは少し減った。受験から解き放たれて全身の力が抜けきった。予想外の結果も私をぼんやりさせる。絵も五教科の勉強も頑張ったけど受かるとは思ってなかった。記念受験のつもりだったけど全力で挑んだ。

 両親も親戚も佐己小さんも友達も先生も喜んでくれた。青い制服を身にまといクロスタイを付けて洋館のような校舎で美術を学べる。身も心も軽くなって歌って踊りたい気持ちになった。月にだって飛んでっちゃう。相手は高琴くんがいい。地頭も良くて博学な高琴くんは私の学問の神様だった。挫けそうな時、高琴くんの歌を聴いて自分を励ました。


 学校に来ても来なくてもいい自由登校の時期、私はずっと中学に入り浸っていた。入ったことのない放送室を見せてもらったり使ったことない多目的トイレに行ってみた。校内を歩き回る。校舎を覚えておきたかった。それから何かいいものが落ちていないか地図もない宝探しをしていたんだと思う。

 雨が降りそうな日でも学校に行った。天気が変わりそうな空は好き。この日も寒い校内をうろついていた。保健室の前を通ると保健の先生がちょうど出てきた。バッチリ目が合うと先生は嬉しそうに目を見開く。

「長山!いいところに!ちょっと!」

「え!?何ですか!?嫌ですよ!」

「一つだけだから!軽いし!」

 ダンボールを職員室まで運ぶ手伝いを頼まれてしまった。先生が三つ積み重ねて持っているダンボールの一つを受け取った。確かに軽い。片手でも持てそうだ。

「何が入ってるのですか」

「卒業式に使うお花の一部」

「あぁ、お花紙の…」

 卒業式。もうすぐだ。私も何か手伝った方がいいのかな。

「長山、頑張ったねぇ」

「何をですか?」

「受験だよ。大変だったろ?うちから専門の学科に進学する生徒って珍しいからさ。どうなるかなって心配だったんだ」

「…ご心配おかけしました。でも、あたし、今でも心配です」

「ん?これからの高校生活?」

「はい。すっごく楽しみだけど、やっぱり知らない人ばかりですし…くじけたらどうしよう…」

 周りは近くの高校に行く子ばかりだった。離れてしまうのはどうしてもさびしい。毎日のように会っていたのに。

 私の進む高校には美術科の他に普通科と体育科と音楽科がある。ちょっと特殊な学校だから友達どころか普通科を受験した子はこの中学にはいないんじゃなかろうか。

 それに在学中に何か問題があったら美術、体育、音楽の三科の生徒は普通科へ転科できる制度がある。この話を聞いた時、怖くなった。必要になることがあったら嫌だ。私は美術科を卒業したい。

「長山なら大丈夫だろ。いっぱい転んでも立ち上がれる!」

 保健室の先生にはたくさんお世話になった。入学してすぐ保健室へ行った。先生はすぐ私の名前を覚えた。すっ転ぶたびに手当してもらった。


 職員室に着いて教頭先生の机にダンボールを置いた。教頭先生も飾り作りを積極的に手伝ってくれてるらしい。

「そうだ。長山は磐井って子、知ってる?」

「…一組のイワイさん?」

「そうだったかな?」

「陸上部の、足の速い」

「そうそう!友達?」

「友達…」

 に、なりたかった。私が一方的に知ってるだけだった。結局、中学三年間同じクラスにもなれず知り合いにさえなれなかった。受験の間は姿を見ることもなかった。

「あの子も長山と同じ高校行くって聞いてない?体育科」

「へぇーーー!?本当ですか!?」

 さびしがったり不安がるのはやるべきことがないからだ。それくらいしかすることがないからそうしてるだけ。何かに気が向けば自然とそちらを向けるのだ!

「先生!あたし、もう行きます!」

 私は職員室を後にして走り出した。

「運んでくれてありが──…こら!廊下走らない!」

「あ!ごめんなさい!」

 速歩きに切り替える。

「なるべくもう転ばないでね!」

 職員室のドアから顔を出す先生が手を振る。私もお辞儀をして振り返した。


 三年一組へ来てしまった。教室を前側の入り口から覗く。自由登校だから人は少ない。おしゃべりしたり寝たり好きに過ごしている人ばかり。窓際の後ろの席にイワイさんのような人が外を見ている。おかしい。イワイさんかどうかわからない。確信が持てない。

 ちょうど私の後ろを通って教室に入ろうとした子が来たので声をかけてみた。

「あの!イワイさん来てますか!?」

「いわちゃん?あー…いるね。呼びましょうか?」

 窓側の後ろを見てそう言った。やはりあの人がイワイさんなのかも。

「ありがとうございます!お願いします!」

「はーい」

 その子はイワイさんの席まで行って一言、二言話した。イワイさんがこっちを見た。私のところへ来る。全身に力が入った。緊張すると私ははしゃいでしまう。ただでさえ落ち着きのない人間がどうしようもなく弾けてしまう。おかげで緊張感を持てと叱られたこともある。緊張しているのに。

「イワイさんですか!?」

 イワイさんを目の前にしてでっかい声が出てしまう。止められない。

「そうですよ」

「はじめまして!六組の長山って言います!」

「はあ」

 はじめましてじゃないけどイワイさんが画用紙のこと覚えてないならはじめましてで正解だ。久々に見たイワイさんは以前より背と髪が伸びていた。もっとハツラツとした印象があったけど日焼けのせいだったのかな。今は少し気だるげな色白美人だ。別の人みたい。大人っぽい。

 私は同じ高校へ進学すること、これから仲良くしてほしいことを伝えた。言いたいことを全部言って一組から六組へ帰った。自分の教室に戻ると見知った顔が名前を呼んでくれた。安心したけどまだ胸はどきどきしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る