第17話
展示室は静かにガヤガヤしていた。誰もが遠慮して小声で話してるのに人が多いからにぎやかになる。私ははぐれないよう長山さんを見ながら作品も見た。
絵はたくさん飾られている。これ全部一人の人間が描いたのかと驚いたけど中には交流のあった画家や同じ時代を生きた画家の作品も含まれていた。当時は社会に評価されなかったとか戦争が始まって参加したくなくて別の国に行ったとか解説が書かれていて美術も歴史だと思った。
額に入ってる絵以外にもスケッチブックや手帳がガラスケースに展示されている。すごい人が描けばこんな落書きのようなへろへろな絵も丁重に扱われるんだ。
「これかわいいねぇ」
「私でも描けそうなのに…」
「あははっ」
ケースを覗いて楽しそうに長山さんはくすくす笑った。
長山さんが絵を見る時間は案外短い。じっくり鑑賞しても一分くらいで次の絵に行く。まず目で絵を見て何かをメモ帳に書く。どこからか出した手のひらサイズの黒い筒を覗くこともある。
「いわちゃんも単眼鏡使うかね?」
「ん?」
「中古の買ったの。見方が変わるよ。いわちゃんも見たい絵あったらどうぞ使って」
「いや、私、視力いいから…」
訳のわからない断り方をしてしまった。何も断ることなかった。
私は絵を見ては「見終わった」と終わらせてしまう。長山さんみたいに感じたことをメモするにしても何も出てこない。ただ見てるだけ。飾りたい絵ともまだ出会えない。やっぱ美術って難しいかも。
「今日のお昼どうしようか」
私の集中力が切れると全く関係ない会話が雑踏から聞こえてきてつい振り返った。人が多くてこの中の誰が言ったかはわからない。でもはっきり聞こえた。
「どうした?いわちゃん」
「何でもない…」
ここにお昼ご飯を考えてる人がいる。最初は来場者全員が美術に詳しい人のように見えた。だけど大きなあくびをしているおじいさんを見つけた。もう帰りたいと親に訴えている小学生もすぐそばにいた。展示室は自由だった。多分いつかのお母さんたちみたいにぼんやり絵を見てるだけの人もいるんだろう。これも美術館の雰囲気なのかもしれない。頭が冴えたようだ。
お目当ての絵に近づいた。いよいよ目前。周りの人たちがそわそわしている。もちろん私も長山さんも。
「あそこだね…」
「うん…!」
人だかりの規模が他の作品と違った。長山さんの言う通り群がっている。警備員があちこちに立っていて変なことできないと思った。するつもりないけど。
私が背伸びしても絵は見えない。この距離で全然見えないということは大きい絵ではないみたい。
「長山さん、もっと前行く?」
「うん!近くで見なきゃ!」
こういう場合は譲り合いだと長山さんは言っていた。ちょっとずつだけど人ははけているようだ。一歩、一歩と前に出て行けた。
「わ!いわちゃん!見えたよ!」
長山さんに言われて首を伸ばすとチラリと額縁の端が見える。もう一歩進むと前に立つ人と人の頭の間から絵の全体が見えた。
絵は小さかった。広い壁にぽつんと名画が飾られている。教室の黒板の真ん中に見開きのノートを貼り付けたようだ。
きれいな池の絵。全体は緑と青だけど赤と黄色が点々としている。きれいだと思う。
これ、本物なんだよなぁ。百年も前に描かれて現代までずっと大切に保管されて今は私の目の前にある。何億円もするのだろうか。値段がつけられないくらいだったりして。もしこれが偽物だったらおもしろいな。
私は見終わった。他の絵よりはあれこれ考えられた気がする。もう見るところはない。これ以上どうすればいいんだ。
隣の長山さんを横目で見ると口を開けて絵を見ている。瞬きをしていない。きっとその時間ももったいない。単眼鏡を使わずメモも取らずに焼き付けていた。長山さんも美術家なんだ。私には一生わからない何かを感じ取って感動して学んでいる。
私ももう一度絵を見た。せっかく美術館に来たんだ。背伸びしてでも見ておきたい。できることなら長山さんと同じことを感じたい。無理だ。それでも、名画を見て予想より小さかったって感想しか出てこなくても、私だって綺麗な空間で素敵な時間を過ごしたかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます