7:ハングリー精神

 完璧に繋がった小指を子供部屋で眺めながら何で自分は指を落としたのだろうか、なんて自問自答を繰り返している。

 切り離された傷跡が生々しく光沢を見せているが、痛みや違和感は存在せずに元通りと表現ができる。


「それにしても、中村は本物の狂人だな……」


 二十代前半くらいのひょろ長い男、名前を中村。

 アルタイルという半グレ集団の監視をする為に一成会というヤクザ組織から送られていた監視役。

 拳銃を所持できるだけの権力者、一人で三人の青年、少年を通報されずに誘拐出来る程の行動力……。


「……協力者なのか?」


 ふと、前の人生の中で現れたアリスの叔父さん、本当は父親のジャック・オーグレーンの顔が思い浮かんだ。

 最初は殺されかけたが、その後は面白い観察対象? それとも実の娘に似つかわしい存在と認定したのか……? まあ、光栄な限りだな、この世界は二人目の自分と違う世界線、案外『主人公プレイヤー』の登場は無いのかもしれない。

 ……警戒心、もう少し持っていればよかったな。

 あの時、咄嗟に奴らを撃退していれば、もしくは……。


「まあ、過ぎたことか……」


 過去に執着してしまえば、現実に足を掬われる。

 小指を眺めていたらノックの音が響く、少し待ってくれと告げようとした瞬間には扉が開けられ、まだまだ人見知りが抜けていないのか少しオドオドしている。

 電灯に透かして見ていた左手の小指、その切断痕は中身より生々しく見えるものだ。


「お、おにいちゃん……そのゆび……」

「……少し魔が差したんだよ」


 いや、何の価値もない偽善で一度切り落とした。

 あの後、主犯は俺のことを化け物を見るような目で怯えた様子を見せている。

 主犯が怯える程の何かをされたのであれば他の生徒も警戒して手を出さない。だが、どうにもこれで丸く収まる、タダで転ぶような奴だとは思わない。

 ……妹の前で考えることでもないか。


「……あの、お金を借りてた人に」

「違うよ、お兄ちゃんは変な人に絡まれやすいんだ」

「じゃあ、その変な人に?」

「……まあ、そうかな」


 立ち上がって絆創膏を小指に巻きつける。

 本当なら指輪でも付けたいところだが、頭の固い教師連中にそれを許す人間はいないだろう。

 このみの方に視線を向けるとベッドに腰掛けて不安な顔色をしている。


「……わたしが、わたしが生まれてから」

「このみちゃん?」


 このみは両手で自分を抱きしめて静かに語った。

 本当の父親は自分が生まれてから豹変した、いや? 無茶な起業やら投資やらで刹那的に金を集めようとした。

 裕福な生活を家族に与えようとした結果なのか、それとも元々の性格なのか誰よりも優位な立場に立とうと無謀を歩み進めた。

 ――そして失敗。

 多額の負債を背負った彼女の実父は自分の妻を夜の街に落とした。

 写真で見るだけでも美人な人、美人な奥さん、真っ当な人間なら無茶なギャンブルなんてせずに安定を求めて向上心は会社の中だけで終わらせるのが普通。それを真正面から否定し、そして擦り付けた……。

 実父は俺の……あのババアと出会い、それを見つめて過ごす日々。

 彼女の実母は心が折れていた。だから許すも許さないも、何も出来ないでただ、汚い大人に貪り食われていた……。

 愛する妻を夜の街に落とす。いや、愛していない妻だから納得するのか!? 子供もいて、自分の子供だとわかっている筈なのに、寂しい思いをさせて……。

 どうして、義務教育を受けた人間が当たり前に教わる道徳から踏み外れる……?

 そして、彼女の実母は……俺が大嫌いな汚い大人によって夜の街で命を散らした……!


「おにい、ちゃん……」

「ごめん……このみちゃんが泣きたいのに……」


 自分の無力さに悔し涙が流れていた。

 自分がもし、このみより十歳、いや、五歳くらい年上の兄になれたのであれば、彼女の母を助けることが出来たかも知れない。でも、俺は十歳の少年、もし0からループする機会があったとしても、一桁年齢の少年に何が出来る!?

 ……俺は、無力だ。

 崩れ落ちた自分をこのみが静かに抱きしめる。


「ごめんね、お兄ちゃん……お兄ちゃんは……凄く優しい人だから……」

「……俺は、このみちゃんを本当の意味で救えていない。許してくれ」

「違うよ、お兄ちゃんはわたしもお母さんも助けてくれたよ……」

「でも、でも! このみちゃんは……」


 年下の妹に頭を撫でられる。

 このみは寂しくないよ、そう何度も呟いて俺の涙が止まるまで静かに心音を聞かせてくれる。

 酷く落ち着く。


「……わたしが生まれてからずっと、周りの人が不幸になってた。だから、自分が全部悪いんだって思ってた」

「違う! このみちゃんは……何も悪くない……」

「……うん、それがお兄ちゃんを見てようやくわかった。だって、お母さんの為に泣いてくれる人は――お兄ちゃんとお父さんだけだもん」


 唇に柔らかい感触。

 ――押し倒された。


「お兄ちゃん……わたし、お兄ちゃんを好きになっていいですか……」

「……このみちゃんのこと――大好きだよ」


 彼女の腰に手を回し、自分の胸に抱く。

 真っ赤な顔が見える。

 彼女は愛情に飢えている。

 自分の境遇や立場、それらが彼女のことを雁字搦めにしてワガママを言わせてくれない。でも、俺は絶対に彼女を普通のちょっとワガママな女の子に戻してみせる。

 ――汚い大人に汚された心を綺麗に。


「お兄ちゃん……あったかい……」

「……ありがとう」


 このみは不安感と孤独感が消えたのか可愛らしい寝息を聞かせてくれる。

 目が覚めないように彼女をお姫様抱っこして自室に連れていく、そして風邪を引かないように温かい毛布と布団をかける。

 そしておでこに優しく口付けして部屋を出る。


「……そうだな、俺に足りてなかったのはハングリー精神環境利用なのかもな」


 利用できるものは全部利用する。

 人脈という武器を使用することに躊躇いを持っていた自分がいる。

 ――使える人間は可能な限り使う。

 それをこの人生を走破する為の方法……。


「あまり気は進まないが、中村と会ったら電話番号交換しておくか」


 扉を音をたてないように閉じた。

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