1:彼だけが報われない未来への序章

 彼が目を覚ます。

 人形のように整った顔立ち、優しげでどこか寂しい顔をした少年。

 彼の名前は相沢明広、この世界を繰り返している存在。

 見渡せばボロボロの壁、大量の酒瓶、泣きながら眠っている父親、何度も見てきたこの場所。

 彼の生い立ちは酷いものだ。

 男を作って夜逃げ同然に消えていった母、それだけならまだいい、それだけではなく大量の闇金からの借金。それを心優しい父にすべて擦り付け破壊していった。

 すべては汚い大人に壊されている。


「ごめんな……父さんが弱いから……」


 寝言で息子に謝罪し続ける父、相沢 あいさわ明文 あきふみ。アルコール依存症になっても明広に暴力なんて振るわない。ただ、自分の弱さに泣きじゃくり――最後はいわれなき罪、その後悔によって首を吊る。

 明広はこの父の姿を見るだけで泣けてくる。母親より愛を注いでくれる父親なんて少ない。でも、明文は息子に両親分までの愛情を注いでくれる。だから、だからこそ! 許せない。汚い大人が美しい存在を汚すのが鳥肌が立つ程に許せない。


「父さん……父さんは何も悪くない……」


 明広は毛布を父にかけてまだ普通の生活が出来ていた頃のお年玉、俗に言うヘソクリ。それは父に酒を買わせる為に少なくなってはいたが、宝くじを三枚買う程度には残っている。

 起死回生希望の一手、それは宝くじを当選させること。

 バカバカしいと思うかもしれないがこの世界は平行線の世界似て非なる世界への移行ではなく同じ世界線をループしている。だから宝くじの当選番号も株もすべては明広の頭の中に入っている。

 相沢明広という少年にとって最初の犠牲者は父親。それを救う方法は一つだけ、大金を確定された奇跡から拾い上げる。そして次のステージに立つ。

 彼は流れる涙を袖で拭い宝くじ売り場に走った。

 今度こそはすべてを助けて正しい悲しい物語に到達するように。



 相沢明広という少年はいじめられている。

 それもその筈だ。父親は日雇いで働き、大量の借金に追われているのは近所では有名な話し。だが、それが彼の母親に背負わされた借金だとは誰も思っていない。自業自得の借金、借金をして金すら払えない屑、それは子供達にも伝染する。見た目だけの黒印象で人は断罪を許す。


「謝れよ! おまえが生きてることを俺達に謝れよ!!」


 殴る蹴るの暴行、教師連中は見て見ぬふり黙認している。

 いじめというのは非常にストレス発散に有効的で自分より下の人間を虐げるという人間として当たり前の欲求をジャンクフードのように満たしてくれる。

 父親が屑なら息子も屑。屑ならいじめても許される。虐げて許しを懇願こんがんするその姿は強者になれたような不思議な優越感。止めるものはいない。なぜなら相沢明広は屑だからだ。


「おい! 『ごめんなさい』はどうしたんだよ!?」

「…………」


 明広は主犯を睨みつける。

 それが逆鱗に触れたのかいつも以上の蹴りが何度も飛んでくる。

 許しを請えば許される。だが、それは父を否定されることと同じ。戻ってきた明広は絶対に謝罪なんてしない。ただ、時が来ることを待つだけ、それだけ。


「……結衣ちゃん」

「……見てて気持ちのいいものじゃないけど、やり返さないからこうなるのよ」


 物語のヒロイン、【新島にいじまさくら】と【立木 たちき結衣ゆい】はいじめられている明広の姿を直視できなかった。罪なき罪でストレス発散の道具にされている彼を助けたいと思う心はあるが立ち入ってはいけないという一面も存在する。

 いじめは無視も加害、でも、主犯を止める理由は彼女達にはない。この状況を覆すことができるのは明広ただ一人、彼が助けてと言えば彼女達は手を差し出す。でも、明広はそれをしない。彼女達は思っていた、プライドが彼を縛り付けていると……。


「……凄いよな、無抵抗な人間を殴れるなんてさ」

「何だと!? 殺されたいのか!!」

「……殴れるうちに、蹴れるうちやっておけばいいさ」


 明広は笑っていた。

 彼らはその意味なんて理解できない。そしていつものように自分の優越感を高める為にいじめという効率のいいストレス発散を繰り返す。

 ――滑稽こっけいだ。



 宝くじの当選日から明広のどん底の人生は劇的に変化した。

 数字を自分で選んで購入するタイプの宝くじ、今の御時世では宝くじを買う人間は少なく本来なら子供が買えない宝くじも普通に売ってくれる。そして確定された奇跡の番号を彼は三個同じにして書いた。

 傍から見ればお金を溝に捨てるような行為。でも、明広にとってこれは父親を自殺させない為の回生の一手、もちろん外れることはない。

 宝くじはキャリーオーバーが発生しており一枚十億、それが三枚で三十億。確定された奇跡によって相沢家は本来の未来から開放された。


「明広……ごめんな、父さんの為に……」

「父さん……お酒やめられそう……?」


 父に抱きしめられながら依存していたお酒をやめられるか問う。すると力が抜けたのか明文は崩れ落ち、息子は優しく抱きしめる。

 明文は別に酒が大好きというわけではない。ただ、自分の置かれている地獄から少しでも逃げる為に酒を飲んでいた。だから地獄から逃げ出せたのであれば酒なんて一滴もいらない。

 母親が作って擦り付けた借金は莫大な利子を含んでいたが無事に返済、父は飲みかけであろうが、新品であろうがすべての酒をゴミに捨てて新しい生活。これで父と息子の新しい生活が始まる。なんて生易しいことは起こらない。

 父を見捨てた親族鬼畜、父を地獄に落とした母方の親戚悪魔、それらが二人の住むボロアパートにひっきりなしにやってきては金の工面を申し出る。

 ――父はとにかく優しい性格で有名だ。

 まだまだ父が会社員時代は生活に困窮した親族に返さなくていいと十万円くらいポンと渡す程の善人。周りは出来た人間だとか、聖人の生まれ変わりだとかと褒め称えていたが、いざ彼が借金まみれになるとゴミを見るような目で縁を切る。

 金の切れ目が縁の切れ目、それを見せつけられて泣いた父の姿は今でも思い出せる。

 正直者がバカを見る悪が笑う。そんな世界は汚すぎる、でも、それがこの世界だとするなら――父は優しすぎる。

 でも、明広が与えてくれたチャンス。それを他人におすそ分けできるわけがない。


「俺はおじちゃんやおばちゃんを助けてきたよ……でも、どっちも俺と明広のことを助けてくれなかったじゃないか! 俺のことはどうでもよかった……! でも、息子だけでも助けてくれてよかったじゃないか!! 見ろよ!! 明広のランドセルはリサイクルショップで買った誰が使ったのかもわからない中古品。親として恥ずかしかった!! 二人に渡した金で新品のランドセルが何個買えた!? お願いだ。もう、明広に迷惑をかけないでくれ」


 明文の必死の言葉、それでも親族達は金を貸してくれと言葉を連ねる。人間の頭の中は金で出来ている。金があるから争い、そして憎しみ合う。明文は親族を恨んでいるだろう、だが、親族も同じように突如として金持ちになった明文を恨む。

 ――負の連鎖。

 自分はこんなに辛い思いをしているのに金を貸さない。今までどれだけ世話をしてやったか、そんな存在しない過去を捏造してまで金を毟ろうと画策する。汚い大人、自分さえよければすべていい。世の中は腐っている。


「父さん……引っ越そう、そうしないとあの人達は絶対に追ってくるから」

「……そうだな、このお金は本当なら全部明広のお金だ」


 小学校を少しの間おやすみして現金一括で購入したオートロックの新築マンション、一軒家でもよかったのだが、それだとボロアパートと変わらない。出来る限り警備が厳重な場所、変に大声でも出そうものなら警察か契約してある警備会社の人間が飛んでくる。

 最近のマンションは思っていたより広く今までのアパートに比べて三倍近い広さがある。家具の数からして部屋も二つくらい余る。物置か書斎になるだろう。


「……明広、お父さん昔からの夢を叶えたいと思うんだ」


 家具の設置が一通り終わった後、互いに温かいほうじ茶を啜りながら切り出される。明広は笑みを見せて父親の話しを待つ。


「お父さん、お好み焼き屋を開きたいんだ」


 ハーレム・スティールでよく登場する【お好み焼き・アキ】、この店はお好み焼き屋をやってみたいという長年の夢を形にした産物。だが、だが! この店は明広の物語の中で三回も爆破される。もちろん設備の不備によるものではなく、ヒロイン達との関係で半グレや国際テロ組織に爆破、明広の日記には三回としか書かれていないが明広は何度も爆破された現場を目撃している。最大の救いは死傷者が一人も出ていないことだ。後は保険でどうにでもなる。


「いいんじゃないかな、父さんずっと借金に追われてて夢なんて見れてなかったし。この際、やりたいことをやりたいだけ」


 明広は湯呑のお茶を飲み干し新しいお茶を急須から入れる。

 涙もろい父は嬉しさのあまりに号泣している。そして思うのだ。この人の息子として生まれてよかったと……。



 なんやかんやで引っ越しや親族の襲撃から開放されて久しぶりの学校。

 宝くじを当てて成金になったことは奥様方の井戸端会議で拡散され子供達にもある程度は共有されているらしく、いつもだったら顔を見た瞬間に嫌味を言ってくる子達も席から立つこともなくチラチラと見てくるだけだ。


「おはようございます」


 明広が朝の挨拶をする。返事は帰ってこないが軽い会釈は帰ってきた。

 今までの貧乏人で借金まみれの子供という概念は消え失せて非の打ち所がなにもない。いじめる理由が存在しなくなった。

 それでも引きずる人間は存在する。


「おう、借金野郎が金持ちになったからって調子に乗るんじゃねぇぞ!」


 主犯は明広のことを見ていつものようにいじめようと歩み寄ってくるが、冷たい瞳によってそれが出来ない。


「駄目だよ、理由もなく人をいじめたら」


 明広はポンポンと主犯の肩を叩いて自分の席に座る。そして外国語の指南書を開いた。

 いじめる理由があるなら好きなだけいじめればいい。でも、いじめる理由が無ければそれは犯罪。いや、暴行は立派な犯罪なのだが、理由のない犯罪というのは容認し難い。

 クラスメイト達は明広の姿を見て強い変化を感じた。

 いつもなら主犯に殴られ蹴られて何度も謝罪の言葉を紡ぐだけの存在、それが余裕とプライドをもって立ち振る舞っている。お金だけの変化ではない、まるで自分達より年上になったような、そんな変化。

 最初に居ても立っても居られないと思ったのは、


「あの……相沢くん……」

「新島さん? どうしたの」


 この世界のヒロイン、新島さくらが申し訳無さそうな表情で明広の前に立ち、深々と頭を下げる。


「わ、わたし……ずっと見てみぬふりしてて……」

「大丈夫。俺は大丈夫だよ。でも、新島さんは素直なんだね、素直だから自分を許せなかった」

「相沢くんって難しい言い方するね……でも、うん。自分弱さを許せなかった」

「……ふふっ、じゃあ、ノート写させて。学校休んでたから」


 さくらがそんなことでいいの? そう答えるが、明広にとっていじめられていたという事実は深堀りする必要性がなく、全くの無意味。今はこの世界の歪みを正し、来る物語に備えて走り続ける。そして最後は……。

 さくらは急いで自分のノートを持ってきて汚い字だけどと渡してくれた。


「汚いなんて、俺よりずっと綺麗な文字だよ。文字が綺麗な人は心も綺麗って本に書いてた」

「っ!?」


 普段見ることのできない明広の優しい笑みに赤面する。

 パパっと信じられないスピードで休んでいた部分を継ぎ足してさくらにノートを返却する。西暦と同じくらい日本人をやっていればこの程度のことは出来るのだが、傍から見れば気持ち悪いと思われるだろう。


「ありがとう。これで先生に怒られなくて済むよ」

「うん、おやすみした時にはいつでも頼ってね!」


 ガシガシと床が軋む音が響き、音の方向に視線を向けると同時に明広の頬が思い切り叩かれた。

 そのまま明広の頬を叩いた張本人は新島さくらの親友、立木結衣。

 わからなくはない、今までいじめられてきた人間がいきなり自分の親友と親しく会話しているのだ。お金を使って仲良くしろと言われた。そういう表現もできる。


「ゆ、結衣ちゃん!? ひ、ひどいよ……」

「あんた! さくらに何吹き込んだのよ!!」

「はは……いじめられっ子に信頼なんてないか……」


 ごめんね。

 明広は久しぶりに謝罪の言葉を使った。もちろん、意味のない謝罪ではなく、意味のある謝罪。

 さくらは悲しそうなその言葉に心が苦しくなる。

 

 

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