僕らのご馳走

黒鉦サクヤ

お土産詰めて持って帰ろう!

 青空が広がり風もなく、今日は魚釣り日和だった。

 俺はいそいそと手入れをした釣り道具を車に積み、海へと向かう。

 今日は俺を含めた四人で沖釣りをする予定だった。船は予約してあるし、沖釣り用の仕掛けもバッチリだしライフジャケットも持ってきた。久々の沖釣りとあって、俺は気分が高揚していた。

 沖釣りにはいつものメンバーで定期的に行くことにしている。皆、気心のしれた間柄で釣りが大好きなやつばかりだ。

 防波堤付近での釣りもいいが、やはり釣れる魚の種類が違う。魚屋で並んでいるような大きめの魚も釣れるのが沖釣りの醍醐味だ。

 いつもは血抜きまでして持ち帰っていたが、今回は初の試みとしてエアーポンプを持ち込み、生きたままお持ち帰りしてみる予定でいる。まぁ、持ち帰りに失敗しても、釣り上げることに一番の意味があると思っているから良いんだが。

 なんにせよ、たくさん釣れれば今日の夜はご馳走だ。


 全員集まると、いつも頼んでいる船とは違う船で沖に出る。いつものところは今回都合がつかず、友人が今日にあわせてあちこちに電話をかけとってくれた船だった。

 船長は寡黙な人で、必要最低限の話しかしない。最低限のコミュニケーションがとれれば問題がないので、特に気にせず釣り場を任せた。


「ここら辺は何度が来たことがあるけど、この船長はいつもの船長と違うとこに行くんだな」

「お前もそう思ったか? 穴場でも知ってんのかもな」


 そこまで詳しいわけではないが、いつもと違う釣り場に向かっているのは確かだった。沖に出てしまえば、俺たちにできることはない。釣れる場所に連れて行ってくれることを祈るしかないのだ。


 連れて行かれた場所は波も比較的穏やかで、遠くで大きめの魚が跳ねるのが見える。これは期待できると俺たちは竿を準備し、仕掛けを投げ入れた。

 四人とも、面白いほどに入れ食い状態でバンバンと魚が釣れる。投げ入れればすぐに魚が食いつき、釣り上げる。こんなに勢い良く釣れるのは初めてだった。まるで自分たちから釣ってもらいに来ているかのようで、変な感覚に陥る。


「船長、こんな穴場を見つけてるなんてすごいな」


 そんな俺たちの言葉に、船長は軽く頷いただけで海面を見つめる。興味があるのは海と魚だけ、そんな感じがした。

 あまりにも釣れるので、途中からはキャッチアンドリリースで魚を海に返してやる。持ち帰りたくてもいくつも入れ物があるわけではないし、食べ切れる自信もない。

 海に戻される魚を、船長はただじっと見つめていた。


 時間だ、と言われ魚釣りを思う存分楽しんだ俺たちは、ホクホクとした気持ちで陸に戻る。沖釣りは楽しいが、やはり陸に降り立ったときのホッとした気持ちは陸に住んでいるからだろう。

 魚を入れたボックスを開けると、生きたままの魚が泳いでいる。俺は生きたままの魚を持ち帰る目的を達成できそうだとほくそ笑む。

 俺が釣った魚は比較的大きめで、よく見る魚に似ているような気もするけれど見たことがない魚だった。タチウオに似ているような気もする。入れくい状態で連れた魚は、どれも同じ種類の魚のようだった。

 船長に聞くと、その辺りでは普通に食べられている魚で、市場には出ていないものだから知らないのだと言っていた。そんなものか、と俺たちは深く考えずに魚を持ち帰った。


 ただいま、と帰宅すると子どもたちが駆け寄ってきて今日の成果を聞いてきた。まだ三歳と五歳だから沖釣りには危なくて連れていけないが、もっと大きくなったら連れて行くと約束している。


「ほら、今日の魚は生きてるんだぞ」

「本当? わー! 動いてる!」

「あら、見たことない魚ね。食べられるの?」


 妻もやってきてボックスを覗き込みそんなことを言う。船長から聞いた話をそのまま伝えると、そうなのね、とボックスを抱えてキッチンへと向かった。それに子どもたちもついていく。

 賑やかだが俺はそんな家族を気に入っている。

 靴を脱いで手を洗っていると、キッチンから声が聞こえてきた。


「新鮮だから美味しそうね」

「生きたままだったからだよ」


 そうそう新鮮だからな、と胸の内で答えつつ、俺は動きを止める。

 誰の声だ、今のは。


「このまま食べる? それとも料理する?」

「このままの方が新鮮に味わえるよ」


 なんの話だ。魚の話をしているんだよな?

 変な胸騒ぎを覚えて、俺はそっとキッチンを覗く。

 思わず叫びそうになるのを必死にこらえ、震え座り込みながら床に散った血を見つめる。

 ボックスの蓋は開いていた。魚の体が半分出ているが、話しているのはその魚だ。すでにボックスから出ている魚は長い体を肌色に巻き付けている。釣った魚はそこまで大きくなかったはずなのに、外に出ている魚は成人男性ほどに大きくなっていた。

 脳裏に人魚という言葉がよぎる。

 だが、あれは人魚というより魚人といったほうが良さそうだ。顔と下半身は魚のままで、体の色と同じ腕が生えている。

 それに、そんなことよりもっと重要なのは、その魚人が捕らえているのは俺の子供ではないのか。この床に散った鮮血は誰のものなのか。


「やっぱり新鮮な肉はいいね」

「そうだよね。僕たちだって新鮮なものを食べたいし。流れてくる腐りかけのなんて、もう食べ飽きちゃったよ」

「美味しいものを食べたいって言って良かったなあ。でも、僕らを海から出すのに釣ってもらうだなんて、じいちゃんもよく考えたよね」


 じいちゃんとはもしかしてあの寡黙な船長のことだろうか。海をじっと眺め、釣られる魚を眺めていたあの男。


「でもさあ、こっからどうやって戻るんだよ」

「そんなの決まってるじゃないか」


 ぐるり、そんな音が聞こえたような気がした。キッチンにいた魚人が一斉に俺の方を向いて笑う。魚の顔をしているから笑っているかどうかなんてわからないが、笑っていると俺は思った。


「俺たちの食事が終わったら、また海まで運んでもらうんだよ」


 口の周りを赤に染めた魚人が言う。

 とぷん、と定期的にエアーポンプが空気を送るボックスに戻る魚人たち。大きさが瞬時に変わるところを見ているだけで目眩がした。


「美味しいご馳走をありがとう」


 肉を咀嚼する音が聞こえる。生きたまま喰われた我が子と妻を俺は見つめるしかない。まだ温かい血が、俺の足元にまで流れてきた。

 ご馳走……俺が釣ってきた魚が今日のご馳走になるはずだったのに。

 とんでもないものを釣ってきてしまった。

 せめて、いつものように血抜きをして持ってきていれば、魚はご馳走になったはずなのに。

 生きたままの怪物を運んでしまったなんて、と俺は血に染まる手を見つめながらすすり泣く。


「塩味がついて美味しそうだねえ」

「こらこら、あれは食べちゃ駄目だよ」

「代わりばんこに見張りしながら、海に帰るんだからね」


 ボックスとエアーポンプがなければ死ぬんだから途中で、と思っていたのに釘を刺される。俺は彼らを海に連れていくしかない。家族を目の前で喰われている俺は、これからどうしたらいいのだろう。それに、同じ魚を持ち帰ったあいつらはどうなったのだろうか。


「海で合流できるかな」

「そうだ! お土産持っていってあげる? この中に少しなら詰められるよ。ほら、人間の真似だよ!」


 そう言って、ボックスの中に食べかけの腕や足を投げ込む。吐き気がする。でも、真似をするというくらいだから、釣った魚を血抜きしてボックスに入れるのと変わりないのだろう。魚が俺の妻と子供に変わっただけだ。


 頭が働かない。目の前が真っ赤に染まっていく。

 海にたどり着いた俺は、魚人を海に帰しながら一緒に妻と子供の欠片を海に撒く。


「あはははは、ただいまー! お土産だよー!」


 勢い良くボックスから海に飛び込んだ魚人が、海に落ちた腕を手にして他の魚人へと手渡す。

 そうだ、俺たちはご馳走だったんだ。

 俺は隣に立っていた友人たちを見渡す。それぞれがボックスの中身を海に撒き、呆けたように海面を見つめている。


「俺たちはご馳走……」


 小さく呟くと、隣からも同じ言葉が聞こえる。自分たちに言い聞かせるように、俺たちは狂ったように何度も何度も呟いた。そして、防波堤に海から伸ばされたいくつもの銀色の手に身を任せる。

 海に勢い良く引きずり込まれながら、俺は手首や足を噛み千切られるのを感じる。塩水が染みると思うより先に、ご馳走なんだから仕方がない、という言葉が浮かぶ。自分は美味しく食べられるために生まれた材料なんだと。妻や子どもたちも美味しく食べられたのだから、俺も美味しく食べられたい。

 目の端に同じように食べられていく友人たちを眺めながら、俺はただのご馳走になった。

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