機械仕掛けの天使

河野守

序章

第1話


 勢い良くドアが開かれ、三十代半ばぐらいの女性と、その女性に手を引かれた十歳前後の女の子が駆け込むように部屋に入ってきた。

「先生、先生! 娘のことなんですが!」

 椅子に座っていた櫂塚秋穂は目を丸くした後、思わず苦笑。名前を呼ばれるまで部屋の前の長椅子に座っていてほしいと事前に連絡しておいたのだが、どうやら女性の頭からすっかり抜け落ちていたらしい。まあ、それほどまでに女の子のことが心配なのだろう。

 秋穂は二人に対し、「まあ、伊藤さん、落ち着いて。お座りください」と、部屋の丸椅子に座るように促す。

 女性は言われるまま椅子に座ったが、相変わらずそわそわと落ち着きがない様子だ。一方、女の子は足を揺らしながら、部屋の中を物珍しそうに眺める。

 秋穂は机上のパソコンの画面を一度確認し、女性に向き直る。

「娘さん、何か不具、ではなくて体調が優れないそうですね?」

「ええ、ええ! そうです!」

 女性はつい前のめりになり、勢いよく何度も頷く。

 秋穂は「まあまあ」と落ち着かせるように、優しい声音でゆっくりと話す。

「具体的には、どういった症状ですか?」

「物をよく落とすんです」

「物を落とす?」

「はい」

 女性は左隣に座っている女の子の右腕を持ち上げる。

「遥香、娘は右腕にいまいち力が入らないんです。スプーンや箸など軽いものを握っても、すぐに落としてしまうんです」

「なるほど」

 秋穂は遥香と呼ばれた女の子に向き直る。

「遥香ちゃん、俺の手を握ってくれる?」

「にぎる?」

「そう。思いっきり握って。ぎゅーって」

 女の子は差し出された秋穂の右手を握る。目を瞑り、肩を震わせていることから、本人は力一杯握っているようだが、秋穂には力が全く伝わってこない。単に触れられているという感触だ。

 あー、なるほどね。

「ありがとう。もういいよ」

 女の子はぷはぁと空気を吐きながら、手を離した。

「伊藤さん、この子、右腕に怪我を負っていますね」

「怪我ですか?治るんですか!? どのくらいで!?」

 身を乗り出しくる女性を、秋穂は片手で制す。

「落ち着いてください。大丈夫、大丈夫ですから。。ちょっと確認しますね」

 秋穂は女の子に対し、部屋に置いてあるベッドに仰向けになるように指示。

 心配そうな女性を横目に、秋穂は横になった女の子の右腕の袖をまくる。

「伊藤さん、この子の中を見ますよ。もし、嫌なら後ろを向いていてください」

「は、はい」

 女性が背中を向けたことを確認し、女の子の右肩に触れる。そして、指を皮膚の下に入れ、皮膚をめくりあげた。皮膚の下から現れたのは、銀色に輝く金属製の腕。腕からは僅かながらモータ音が聞こえる。

 秋穂は胸ポケットからライトを取り出し、女の子の右肩を照らす。

 さて、どこかな?

 聞き耳を立てながら、指先からゆっくりと視線を下に向けて動かす。見た感じ、表面上の損傷は見受けられない。

 内部を確認する必要があるな。

 秋穂は机の引き出しから工具箱を取り出す。専用のドライバーを取り出し、ボルトを回し、女の子の腕の外殻を外す。たくさんの配線やアクチュエータを一つずつ確認していく。そして、ある箇所で目が留まった。

「ああ、見つけた。これだこれだ」

 掌の部分にある、握力を発生させるアクチュエータが僅かに変形している。これが原因だ。

「伊藤さん、最近何か、遥香ちゃんが重いモノを持ったりしませんでしたか?」

「重いモノ、ですか?」

「もった。パパの、くろいおもいの」

「パパの? あー、もしかしてあのダンベル? 三十キロの?」

「うん。パパのへや、ゆかにおいてあった」

「全く。危ないから片付けてっていつも言ってるのに」

 二人のやり取りに秋穂は思わず口元を緩める。

 そりゃ、三十kgのダンベルを無理やり持てば、腕部が破損するな。この子のモデルは

「伊藤さん、これぐらいの破損でしたら、自分でも今直せますがどうしますか?」

「はい。お願いします」

「すぐ終わるので、そのままお待ちください。遥香ちゃんもそのまま動かないで」

 秋穂は部屋の工具棚を開き、予備のアクチュエーターを探す。

「えーと、どこにあったかな、このモデルのは。ああ、これだこれだ」

 秋穂は慣れた手つきで破損したアクチュエーターを取り外し、予備に付け替える。

「遥香ちゃん、俺の手を握ってくれる? 全力で」

 秋穂は女の子の手に自分の手を合わせる。今度は力が伝わってくる。ちゃんとだ。

「これで大丈夫だね」

 捲っていた人工皮膚を元に戻し、服の袖を下ろす。

「伊藤さん、終わりましたよ。こちらを向いても大丈夫です」

「ああ、よかったです。それでお金はいつ払えば?」

「お金の方が大丈夫ですよ。今回の件は伊藤さんと契約しているサポートの範囲内ですから」

「そうなんですか。今日はありがとうございました。ほら、遥香も先生にお礼を言いなさい」

 女性に促された女の子は、秋穂に「ありがとうございました」と頭を下げる。

「先生、今日は本当にありがとうございました。こんな朝早くに対応していただいて」

「いえいえ、そんなお気になさらず。それと私は先生ではありませんよ。あくまでエンジニアであり、医者ではないので」

「いいえ。私たちからすれば大切な娘を治してくれる先生ですよ」

 まあ、確かに悪いところを身体から取り除くという意味では、医者と同じに見えるか。

「では、お気をつけて。遥香ちゃんも危ない遊びはしちゃだめだよ」

「うん。わかった」

 女性は秋穂に会釈をし、女の子の手を引きながらドアを開く。

 女の子は部屋の外に出る時にこちらを振り向き、笑いながら小さい手を振る。

 秋穂も笑顔で手を振り返した。

 ドアが閉じると、秋穂は自分の鞄から缶コーヒーを取り出し、机の椅子に座る。この缶コーヒーはここに来る途中で買ったものであり、本当は眠気覚ましとして顧客対応前に飲もうと考えていた。だが、秋穂が呼ぶ前に女性が部屋に入ってきてしまったため、飲みそびれてしまったのだ。

「さて、報告しないと」

 秋穂の作業はまだ残っている。会社に今回の件の報告書を提出することだ。

 すっかり温くなった缶コーヒーをちびちび飲みながら、パソコンのキーボードを叩く。

 「故障部分は右腕のアクチュエータの破損。原因は過度な重量がかかったこと。アクチュエータを交換して、機械天使の修理完了、と」

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