第12話 16:00 ハネツグ&アレン大佐
屠殺人は外階段から落下するキャロラインを見て死ぬものと確信し、攻撃の矛先をワイルドギースに転じていた。
よく訓練されたワイルドギースは数人一組となって、屠殺人の死角から死角へと移動を繰り返しながら、絶え間なく銃撃を加える。
さすがに勇名を馳せるワイルドギースの司令官だけあって、判断は的確で指示もすこぶる
この上なく組織的で効果的な攻撃を繰り出しているが、ワイルドギースは徐々に劣勢に立たされていった。
急いで建物に逃げ込む隊員たちのあとを追いかけるように豚が飛び、彼らと一緒に建物に入った直後に爆発し、開口部から黒煙と血しぶきが吹き出す。
兵はどんどん削られてゆく。しかし屠殺人に弱っている様子はない。
長衣はだいぶ前から焼失しており、艶のない金属板と炭化して黒ずんだ動物の皮がメチャクチャに配置された身体を露出させて元気溌剌に攻撃をつづける。
アレン大佐は険しい顔で状況を見ていた。
「大佐、どうするよ!」
アレン大佐のとなりで彼の右腕、オウ曹長が叫ぶ。
身長2メートルに体重130キロ。
一見すると近づきにくい武骨者の風情だが、その実、ワイルドギースで最も頼られる兄貴分のオウ曹長は、一方の手で重機関銃を抱え、他方の手で給弾ベルトを器用にあやつりながら一発も漏らさず屠殺人に当てている。
でもすべて弾かれ銃弾があちこち跳ね返っている。
手持ちの武器で屠殺人を破壊するのは不可能のようだ。
ガンシップに搭載された武器ならあるいはと考えたが、あれはいま盗人街にない。
どうすればいいんだ。大佐は心の中でつぶやいた。
『対物ライフルの配置完了しました』
通信機からイソルダ曹長の声が聞こえた。
アレン大佐とオウ曹長は互いを見て顔をほころばせた。
大佐は急いでマイクを手にとった。
「マジョリカが貸してくれたのか?」
『ええ、ふたつ返事で』
「よかった。こっちはちょうど煮詰まっていたところだ。発砲のタイミングは任す」
ワイルドギース唯一の女性隊員であり、オウ曹長と並ぶアレン大佐の副官イソルダ曹長は魔女の店の屋上にいた。
双眼鏡を覗きながらイヤホン越しに大佐の指示を受けると、傍らに置いてある対物ライフルの背後に移動してふく射の姿勢をとった。
銃床に肩を当て、距離、風向き、湿度などを元にあらかじめ計算した数値に基づいてスコープを調整してからトリガーに指をかける。
屠殺人の頭にレティクルの十字を重ねてトリガーにそっとあてた指をしぼってゆく。
すると突然、屠殺人の近くに見知らぬ青年が現れた。
ライフルの火力を考慮するとあの青年も巻き込んでしまう可能性がある。
イソルダ曹長はそんなことを気にする性格ではないがアレン大佐は大いに気にする。
大佐に褒められんがための狙撃で逆に叱責されるなんてまっぴらだ。イソルダ曹長はスコープから目を離した。
「ああもうっ! なんだよあのガキ!」
赤毛の短髪を掻きむしりながら無線を手にし、呼吸を整えてから話しはじめる。
『近くに民間人がいるので中断します』
ハネツグの姿はアレン大佐も確認しおり、彼の指示でワイルドギースは一切の発砲を止めていた。
ハネツグから最も近い距離にいるにもかかわらず、もっとも遅く彼の存在に気づいた屠殺人はかなり狼狽すると反射的に牛を振り下ろした。
ハネツグは攻撃を巧みに回避して軽いステップで牛の頭に足をのせた。
滑るように脊髄を駆けあがり屠殺人の首元にある鉄板の僅かな隙間に思いっきり手を突っ込んだ。
野獣の
その手には複数の神経線維コードと血管ゴムの一部が握られていた。屠殺人の首から真っ赤な不凍液が噴水のように溢れ出した。
両手の握力がなくなったのか、掴んでいた牛の頭を地面に落とした。
屠殺人は身体中を真っ赤に染めながら猛り狂ってハネツグに迫る。
常人なら血相変えて逃げ出すところだが、ハネツグは至って冷静で、むしろ屠殺人に向かって静かに走り出した。
両者が交わる直前、ハネツグは身体をかがめて足の下を滑るように抜けて反転し、今度は屠殺人の右足にある筋肉と鋼板の間に手を滑りこませ神経コードをブチブチ引き抜いた。
屠殺人は苦悶の声をあげて右足をぴんとのばした。
これで右足は動かせまい。
左脚も同じようにすれば後はいかようにも料理できる。そう考えて移動が一瞬遅れたのがいけなかった。
素早い動作で振り返る屠殺人に危険を感じてすぐ、ハネツグは巨大な拳で横殴りに殴りつけられたと認識したとき、すでにその身体は放物線を描いて宙を舞っていた。
地面に衝突してからも丸太を転がすように回転してようやく止まった。
キャロラインは声にならない悲鳴をあげた。
彼を助けたい。とはいえ自分ではどうにもできない状況なのは明らかだし、だったらこんな所にいないで逃げたほうがいいのは分かっている。
でもハネツグを助けに向かっている自分は一体どうしてしまったのだろう。
同じ光景を見ていたオウ曹長は「ありゃ死んだな」とつぶやき、同意を求めるように隣へ視線を移したが、そこにいるはずのアレン大佐がいない。
彼はすでに2階から飛びおりてハネツグの救出に向かっていた。
つかのま気を失っていたハネツグは屠殺人が立てる地面の轟きを身体に感じて目を覚ました。
口の中に鉄臭い血の味を感じながらむくりと立ち上がる。
背後からキャロラインがやってきて「大丈夫!?」と心配そうにハネツグの顔を覗き込んだ。
ああと答える彼を見てキャロラインは驚きを隠せなかった。彼が生きていることを切に願ってここまで来たが、本当に生きているとは思っていなかった。
しかも結構余裕があるように見える。
シスターの地獄の特訓を経験したハネツグにしてみればこの程度の攻撃は何ほどでもなかった。
屠殺人は関節が曲がらなくなった右足を引きずり、肩から吹き上げる不凍液で身体を真っ赤に染めてハネツグに接近してくる。
「はやく逃げよう!」
キャロラインが彼の肩に腕をまわしたときだった。
ハネツグは押し寄せる屠殺人の人型マスクの額に小さくて赤い光の点を見つけた。
あれって狙撃用のレーザーポインタだよな、とハネツグが思った次の瞬間、銅鑼を鈍器でぶっ叩いたような大音量が響き、屠殺人は身体を大きく仰け反らせて背後に倒れた。
死闘の場に到着したアレン大佐は大の字に倒れた屠殺人を見おろした。
パンチの効いたマスクは完全に吹き飛び、機械でゴテゴテした頭部は上半分が大きくへこんでいる。
死んだのかなと顔を近づけると、
「俺は人間だ!」とスピーカーから絶叫が飛び出した。続いてひしゃげた頭部から静かな電子音が鳴りはじめる。
「まだ動くのかよ……」
アレン大佐は後ずさりながらとどめを刺す方法がないか考えた。
肩に掛けたライフルではどうにもならない。電子音が大きくなり屠殺人が身体を起こしたとき、ふと背中のランドセルが目に入った。
あの中の豚を爆破できればと屠殺人の背後へ忍び寄る。屠殺人は上体を起こして半分へこんだ頭部を左右に動かしながら状況を把握している。
大佐は彼の背後に立ってランドセルの中を覗き込んだ。
大量の豚がこちらに尻を向けてみっちり詰まっている情景に少し怯みつつも、目を凝らすとこの豚たち、屠殺人の背中を突き抜けて身体の内部にまで収納されている。
ということは、このランドセルは屠殺人の外部装備ではなく身体の一部であり、また、この豚を爆破できれば屠殺人を内部から爆破したに等しい。とはいえどうすれば起爆できるか分からない。
そこでやっと彼はベルトにぶら下げたグレネードの存在を思い出した。急いでグレネードを取り出してピンを抜きランドセルに放り込んだ。
「爆発するぞ!」
そう叫んで転げるように走りだした。
アレン大佐の声を背後から聞いた屠殺人はすぐに事態を察してランドセルに手を回すけれど握力が喪失していて、指がグレネードに触れているのに握れない。
同じくアレン大佐の声を背後から聞いていたキャロラインは、肩にまわしたハネツグの手の感触を失った。
なんだろうと思う間もなく彼女の身体がふわりと浮き、気づくと猛スピードで走るハネツグに抱きかかえられていた
。
ハネツグは視線を落として、それが見上げるキャロラインの視線と交わった。
「大丈夫、転ばないようにするから」
死地にあってこの余裕。鼓動が早くなり身体が燃えるように熱い。キャロラインは目もくらむほどハネツグにときめいていた。
なんなのこの人、超絶かっこいいんですけど……。
彼女が心の中で呟いたきっかり1秒後、グレネードが炸裂した。
鼓膜を直接叩くような爆音を伴って天高く火柱があがり、直後、それは黒煙に変貌したあと巨大なキノコ雲へと成長した。
熱風が一気に広がり周囲の家屋は瓦解し、大量の土砂が吹き上げられる。
辺りに噴煙が舞い、建物のヒサシやテーブルの脚、石ころや屋台の鍋、ありとあらゆる物が降り注ぐなか、オウ曹長はいち早く爆心地に走りアレン大佐の姿を捜した。
地面に打っ伏している彼を見つけ出すのにそう時間はかからなかった。大佐のそばで膝をつき名を呼ぶと、彼は二日酔いのような苦悶の表情で薄目をあけた。
「……どうなった?」
オウ曹長は周囲をぐるりと見渡してから「わかんねえ」と答えた。
アレン大佐はオウ曹長の差し出した手を握って立ち上がり、とぼとぼと屠殺人のいた場所へ向かった。
粉塵が収まって徐々に視界が晴れてくると彼らの前に大きなクレーターがあらわれた。
「屠殺人はどこに行ったんだろう」
「爆発で消滅したと思うが」
「若者ふたりは?」
「あそこにいるぜ」とオウ曹長の指さす先には、互いを見つめ合ったまま佇むハネツグとキャロラインがいた。
「屠殺人が爆発する寸前に彼氏が楯になって彼女を守ったんだ。あいつなかなかのもんだ。ワイルドギースにほしいくらいだよ」
「大佐ぁっ!」
イソルダ曹長の悲鳴にも似た叫び声が何故か上空から聞こえて、アレン大佐とオウ曹長は揃って顔を上げた。
そこには対物ライフルを箒に見立て、その上に両足を揃えた姿勢で空を飛ぶマジョリカと、恐怖で顔を引きつらせながらそのライフルにぶらさがっているイソルダ曹長がいた。
ライフルが下降をはじめるとイソルダ曹長はライフルから飛び下りて、大佐に抱きつかんばかりの距離まで詰め寄ったが、直前ではっと我に帰り急停止した。
土壇場になって恥ずかしくなったのか、あるいは背中にサクサク刺さるマジョリカの殺気に怖気づいたのか。
イソルダ曹長は身なりを整えると顔を引き締めた。
「ご無事でなによりです」
いつも鏡で練習している完璧な笑みをアレン大佐に披露した。
「見事な狙撃だったよ、イソルダ」
「あんなもの、朝飯前です」
冷静に答えるイソルダ曹長。内心は有頂天である。
ふたりに漂うねんごろな空気を裁断するようにマジョリカが割って入った。
彼女は大佐の正面に立つと、親指を立てて肩越しに背後のイソルダ曹長を指した。
「あの娘をなんとかしてちょうだい!」
露骨に眉をひそめて言った。
「断りもなくわたくしの箒(対物ライフル)を使うわ、ここに飛んで駆けつけようとしたら勝手にぶらさがるわ、おかげで到着が遅れてしまったではありませんか」
大佐はやれやれという感じで頭を掻きながら、
「ああ、すまん」
「この埋め合わせはしていただきますから」
「わかった、なんでもいう事をきく」
「何でも、本当に何でもですよ」
「だから分かったって」
マジョリカは満足気に微笑むと、身を翻してその笑みをイソルダ曹長にも披露した。
むっとして顔をそむける曹長に言いしれぬ愉悦を感じ、マジョリカの笑みがものすごくゴージャスになった。
そのときふと曹長の肩越しにキャロラインの姿を認めた。
どうやら元気そうだとマジョリカは安堵した。
「ことの経緯を教えてください」マジョリカが大佐に訊いた。
「学者はキャロラインがエナジーコアを持っていることを知っていた。あれを渡せと言われて彼女が断り、屠殺人が大暴れしてこの大惨事だ」
マジョリカの顔に凄みがさした。
「こうなったら、学者に直談判しなければなりません」
そこで一旦言葉をとめると「その前に」と小さく前置きしてから言葉をつづけた。
「屠殺人が完全に死んだか確認しましょう。あれを放っておくと再び襲ってきますから」
「え? 消し炭なったんじゃないのか?」
アレン大佐が戸惑いながら訊くが、マジョリカは答えることなく代わりに空の一点を指さした。
みんながその先を見ると、夕暮れのあかね色から夜の藍色へと変化しはじめた空を、真っ赤な炎を纏った物体が街の東側へ斜めに落下してゆく。
それは大爆発で雲の空域まで上昇したあと、重力に引かれ地上へ帰還しつつある屠殺人であった。
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