第09話 13:00 屠殺人&キャロライン


 魔女の店をあとにしたキャロラインは放心状態だった。

 あの彫像が値打ち物だと踏んではいたけれど、金貨100万枚などという途方もない値段がつくとは思っていなかった。

 マジョリカは値段の根拠について丁寧に説明してくれたが、彼女にはいまひとつピンときていない。


 雑多な雰囲気の通りをあてもなく彷徨さまよっているうち、自分が滅多にない幸運を掴んだのだと気づきはじめ、ようやく気持ちが高揚してきた。


 しかし、それは三代先まで遊びほうけても余る金額を手に入れたことが理由ではなく、大きな窃盗を成し遂げたことで、裏世界で自分の名声が広がることに舞い上がったのだ。


 あの人が私の存在に気づいてくれる日も近い。


 自然と顔が緩み、歩調も軽やかになった。


 背後から声をかけられたのはその時だった。

 浮かれ気分で振り返るとクラボットが立っていた。

 機械人形にも対話機能があったのかと感心しつつ、腕を組んでクラボットを丹念に眺めたあと、きちんと聞き取れるよう滑舌かつぜつよく「なにかしら」と言った。


「エナジーコアを渡しなさい」


 キャロラインの笑みが消えた。

 身体がにわかに緊張してあとずさる。クラボットは彼女を追うでもなく、その場に立ったまま頭の円盤を回転させてレンズを代えたり絞ったりしている。


「渡さなければ、あなたは屠殺人とさつにんに殺される」

「屠殺人? 誰それ、わたし家畜じゃないよ」

「屠殺人はあなたを地の果てまで追いかける」


 10mは離れただろうか。

 今だ、と頭の中で叫び身体を翻したとたん、何かに額を打ちつけて目の前に火花が散った。


 その場で派手に尻もちをつき、腰を擦りながら視線を前に戻したとき、キャロラインの目に奇妙なものが飛び込んできた。

 それは恐ろしく巨大な長衣の裾部分と地面との間に ある空間から並んでこちらを見ている二匹の豚の顔であった。


 慈愛あふれる笑みをたたえたまま微動だにしない豚二匹……。


 もしかして、これ、くつなの? 


 突如、上空から豪雨のごとき殺気が降り落ちてきて、咄嗟とっさに上げた視線の先には雲を突くような大男が立っていた。


 まるでその人物にあっては三次元が極端に強調されたと錯覚するほどの大伽藍だいがらんが、眼下でへたり込むキャロラインに向かって禍々しい物体を振り下ろそうとしている。


 尻もちをついた姿勢のまま手足をメチャクチャに動かして背後に逃げてすぐ激しい地響きがあって周囲に砂が舞い上がった。

 少し前まで彼女がいた場所には動物の頭部があった。


 今度は牛だった。


 だらしなく開いた口から長い舌がだらりと垂れ、眼球が落ちそうなほど見開かれた目はあらぬ方向を見ている。

 首から先は脊髄せきずいだけが伸びていて、岩石のようなふたつの手がそれをがっしりと掴んでいる。


 キャロラインは確信した。

 いま自分の目の前にいる人物が屠殺人だ。もしもこいつが屠殺人じゃないなら、本物の屠殺人は彼に名前をゆずるべきだと思うほどに屠殺人だ。


 キャロラインはスラッシャー映画のヒロインさながらの悲鳴をあげ、立ち上がるのもそこそこに身体を捻って駆けだした。

 だが焦る気持ちに身体がついてゆけず、数歩走っただけで足がもつれて顔から地面に胴体着陸した。


 刹那せつな、身体の少し上を何かが風切る速さで飛んでいった。

 顔をあげたとき、彼女は急速に遠ざかってゆく豚の尻を見た。豚は地面と平行に飛んで、彼女の逃走ルートの延長線上に立つクラボットの腹を直撃した。


 クラボットを顔に押しつけたまま、豚はとどまることなく飛行をつづけ、騒ぎで集まりはじめた人々を水しぶきのように弾いてゆく。

 呆気に取られる間もなく、大きな破裂音が聞こえたかと思うと、次の瞬間、見物客の背後にそびえる煉瓦れんが造りの建物が土煙をあげて崩壊してゆく。


「オズ博士!」


 屠殺人の悲痛な叫びが聞こえた。

 彼の顔は深く被った頭巾のせいで見えないが、おそらく悲しみに打ちひしがれた表情をしているだろう。


「きさま、よくもオズ博士を!」


 身体の各部は正確に駆動しているものの、全体としてはかなりいびつな動きで屠殺人はキャロラインに迫った。

 手には鎖のついた鉄球のように脊髄のついた牛の頭部を持ち、それをぶんぶん振り回している。


 クラボットが吹き飛んだ原因はどう考えても屠殺人にある。また彼はクラボットと一緒にオズ博士も死んだと思っているが、彼はスローターハウスでぴんぴんしている。


 加えて言うなら、博士の死に激昂げきこうしている屠殺人の頭からは、すでにエナジーコアを強奪するという本来の任務は綺麗さっぱり抜け落ちている。 

 愚鈍ぐどんさゆえの怪力と粘り強さをもつ傑物(けつぶつ)、それが屠殺人である。


「やい、化け物!」


 どこからか聞こえた罵声に屠殺人は敏感に反応した。二匹の豚を地面にめり込ませる勢いで急停止し、声のした方を見た。


 「俺は、化け物じゃ……」と言ったあたりで屠殺人の胸元で爆発が起こり彼は大きく仰け反った。

 遠巻きに煽(あお)り立てていた群衆も爆発でパニックになり蜘蛛の子を散らすように逃げてゆく。


 そんな中、キャロラインは2発目の擲弾てきだんをロケットに装填している男性を見つけ、それがマジョリカの傭兵アレン大佐だと気づいた。


 屠殺人は数歩後退して体制を立て直した。擲弾が命中した胸元は長衣が吹き飛び、数種類の金属と動物の皮がデタラメに継ぎ合わされた皮膚らしきものが露出している。


「俺は!」と屠殺人は再び叫んで頭巾を後ろにはねた。


「おれはっ! 人間だあああっ!!」


 頭巾の下から現れたのは、人間の顔をしたマスクを被る機械の頭部であった。

 複数の動物の皮を縫い合わせたそのマスクは、あらゆる肌色の斑模様で覆われていて、中心からやや上に横並びに空いた穴からはいびつな球体ガラスに色を塗ったふたつの瞳が全くの飾りであることを隠すでもなく配置されている。


 その下にある鼻にいたっては小さな穴がふたつという記号的配列にとどめており、きわめつけは口である。

 人間らしきマスクの下半分を縁だけ残して繰り抜いたそれは、大きさからして化け物じみていて、しかもその口から屠殺人の視覚や聴覚を司る機器が吐き出されるようにニョキミョキ出ているものだから、もう完全にスプラッターである。


 屠殺人は背中に手をまわし、背負っているランドセルから豚のしっぽをまみ取ると、むちを振り下ろすフォームで前方に投げつけた。


 アレン大佐めざして滑空する豚は既に適切な配置で銃を構えていたワイルドギース隊員たちの銃弾を浴びて空中で爆発した。

 流れる動作で隊員たちは屠殺人の頭部を撃ちつづけ、ひるんだ彼の脚に大佐が擲弾をお見舞いした。


 キャロラインは地面に座り込んだまま、目の前で展開されている戦闘を別世界の出来事のように眺めていたが、銃声と爆音に混じって大佐の「逃げろ!」という声が耳に入り、やっと我に帰った。


 そうだ、逃げなきゃっ!


 フラつきながら立ち上がり、おぼつかない足元をことさら踏みしめて走りはじめた。

 そんな彼女をレンズに捉えた屠殺人が追いかけようとするが、再び脚に擲弾を喰らって堪らず地面に両手をついた。


 キャロラインは屋台の椅子につまずき、逃げ惑う人々にぶつかりつつ、その度に身体を立て直して走りつづけ、やがて重厚な壁に行く手をはばまれた。


 旧時代に兵士の居住区として造営されたその構造物はマジョリカの店と同じく対爆用バンカーとしても機能する構造を備えており、厚い永年コンクリートは百年を越えた現在も堅牢けんろうであった。


 強度を保持するため窓はなく出入口も最小限の数で、しかも屠殺人では入れないほど小さい。今のキャロラインにとっては格好の避難場所だった。

 しかし見たかぎり唯一の出入口は、誰が捨てたのか鶏の剥製はくせいが室内から大量にあふれでていて使えない。


 他に出入口はないか左右を見わたすも延々と壁である。残された手段は壁に沿って屋上へと伸びている外階段だけだ。

 これを上り、たぶん存在しているはずの塔屋とうやから内部に入る方法しかない。


 キャロラインは赤さびの目立つ外階段を上りはじめた。

 片方の手で手すりをつかみ、他方の手をコンクリートの壁に添えながら黙々と足を動かし続ける。

 中腹まできたとき、ふと視線を眼下に移すと四つん這いの屠殺人が銃砲火を浴びながらも豚爆弾を闇雲やみくもに投げていた。


 そのひとつが偶然にも傭兵たちのいる一角を吹き飛ばし弾幕に途切れが生じた。

 屠殺人はすばやく身体を起こして視線を周囲に巡らし、キャロラインにぴたりと目をとめた。彼女は背筋が凍る感覚を覚えた。

 カカカカンッ! と踏面を鳴らして必死に階段を駆け上がる。


 屋上が見えてきた。

 下階へ向かう塔屋もあり扉は開け放たれたままだ。キャロラインの顔に笑顔が浮かんだ。

 が、それもつかの間、足を乗せた階段の下方数センチで豚爆弾が破裂した。


 強烈な爆音が聞こえてすぐ世界は無音となり、爆風でふわりと浮いた身体は屋上よりも高い位置にあった。

 身体が落下をはじめ、屋上の縁に向かって必死に手をのばしたが僅かに届かない。


 笑顔が泣き顔に変わった。


 身体の正面に空気の壁を感じながら、急速に近づいてくる地面を見つつ、キャロラインは幼い頃に父から聞いた話を思い出していた。


 人は死ぬとまずまばゆい光に包まれるという、次に天から大きな手が伸びてきて死者の身体をいだき、魂だけを両手ですくって天界へと連れ帰るのだ。


 薄れゆく意識のなかで、彼女は運命的な存在に抱きしめられる感覚をおぼえた。

 これが神の御手みてだとして、眩い光とやらはどうしたのだろう? 

 そう疑問したとき、外からの振動が身体を揺らし意識を取り戻した。

 どういうわけか死んではおらず、地面に倒れてもいない。


「間に合ってよかった!」


 知らない青年の声が降ってきた。

 喜び半分、安堵半部といった声色だった。そこでようやく彼女は自分がその青年に抱きかかえられていることに気づく。


「僕はハネツグ、きみを捜していたんだ」

 ハネツグはキャロラインを地面におろすと、もの問いたげな彼女を「待って」と制した。


「話しはあいつを倒してからにしよう」

 そう言いおいて、ハネツグは力強い足どりで屠殺人に向かって歩き出した。

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