混沌と時計回り

式守伊之助

第01話 05:00 ハネツグ&キャロライン


 辺境の教会にはお宝が眠ってる。

 とんでもなく高価なお宝が。


 キャロラインの胸は躍った。

 たとえそれが場末ばすえの飲み屋で会った名も知らぬ女性スカベンジャー「ゴミ漁り」の言葉だとしても。


 だから数時間後、彼女はバイクを走らせてくだんの教会を見おろす丘の上に身を潜めていた。

 時刻は午前5時。そろそろ朝日が顔を出そうという頃合いで、まだみんな眠りこけている時間である。


 旧時代の野戦服を着こみ、黒髪を短くまとめたキャロラインは、一見すると少年と間違われる風体だ。

盗みを生業なりわいとする以上、身なりは機能的であるべきだという彼女なりの主義である。


「計画も立てずに侵入とか、普通ありえないけどね」

 ひとり呟き双眼鏡を覗く。ひなびたたたずまいの教会だ。

「チョロそうだし、やっちゃおう」


 教会に泥棒に入るなんて罰当たりな気もするが、そこに目をつぶればこれほど侵入しやすい場所はない。

 浮世ばなれした聖職者は防犯という意識がまるで無いから。


 双眼鏡を通して木に吊るされたブランコが見えた。

 お手製の肋木ろくぼくや木枠に囲まれた砂場まである。

 この教会は孤児院も兼ねているらしい。


 やっぱり止めようかな。


 ちょっと考える。


 これから私はもっと悪いことをして生きてゆくことになる。今回の盗みは自分がどれだけ非道になれるかという試練なのだ。

 そう自らを説き伏せて、彼女は風のように丘を駆けおりた。



         ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 教会に着くと、壁のそばで身を屈めながら侵入経路を考えた。

 遠くから見たときは気づかなかったが、この教会かなり老朽化している。

 

 とすると台所事情もたかが知れてるわけで、本当にお宝があるか不安になってきた。


 鐘のある尖塔を除けばほぼ箱型の木造2階建て。正面入口付近はホールになっていて、背後はおそらく寝室だろう。

 お宝があるとすれば2階のどこかに保管されているはずだ。


 反転して板壁を覆う蔦に指をかける。身体を密着させてするりと壁を登ってゆく。

 教会内から漏れる明かりはなく人の気配もない。おまけに2階の窓が少し空いている。


 壁から軽やかに飛んで窓枠をつかみ、難なく屋内に入り込んだ。

 我ながら完璧な侵入だとキャロラインは自分に感心した。



         ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 音もなく侵入した彼女の存在に素早く気づいた人物がいた。それは教会の代表者であり、ただひとりの聖職者、シスター・キングコブラである。


 その顔に刻まれた深いしわは彼女が相当の高齢であることを物語っているが年齢を正確に知る者はいない。


 ただ、寝室に立てかけた写真には、旧時代の救世軍精鋭部隊「アニマル部隊」の軍服に身を包んだ若かりし頃の彼女が映っているところからし量ると、すでに100歳は超える勘定になる。


 1階の寝室で寝ていたシスターはパチリと目を開けて、ベッドから身を起こした。



「……ぞくだね」



 天井を見あげて無表情に呟く。

 白地にタンポポ柄の刺繍ししゅうが施されたネグリジェのまま、すり足で移動して壁にかけてある銃を手に取った。


 旧時代の突撃銃を我流がりゅうにカスタマイズした逸品である。

 つり紐を背中にまわして銃床じゅうしょうを肩にあて、若かかりし日を思い出しながら扉に近づいたときだった。



「……シスター」



 ささやきが扉の向こうから漏れ聞こえた。

 彼女が静かに扉を開けると、予想した通りの人物が廊下に立っていた。

 教会で育てられた青年ハネツグである。


 短く刈られた頭と朴訥ぼくとつとした顔のハネツグは困惑気味にシスターを見ている。

 シスターは彼に一歩近づき、


「子供たちを地下室へ」

「移動させました。内側から鍵をかけるようにも言いました」


 シスターは身を引いて彼を眺めたあと満足そうに頷いた。

「頼もしくなったねえ。ほんの少し前まで赤ん坊だったのに」


「それは昔の話でしょう。ぼくはもう17です」

「年を取ると時間が一瞬で過ぎてゆくんだ」


「そんなことよりシスター、2階から聞こえた音ってやっぱり」

「ああ、泥棒だろう」


「なんでうちは泥棒が多いのでしょう。今月で5件目です。なんだかかわいそうになってきました」

「子供たちがかい? そりゃ多少は怖い思いをさせているが」


「違いますよ。泥棒たちの方です。みんなシスターにコテンパンにされてしまう」

「神の御許みもとに物盗りに入る奴が痛い目みるのは当然の報(むく)いだ。いいかい、今回も慈悲は不要だからね」


 シスターは廊下を抜けて階段に向かったが、ふと足を止めて、

「ハネツグは庭で待機してな」と窓の外を視線で示した。



         ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 一方、無事に侵入を果たしたと思い込んでいるキャロラインは、板張りの廊下を進み、さっそく怪しげな部屋を発見した。

 扉に大きな錠がぶら下がっているのだ。

 この型の鍵なら家で何度も練習したから開けられる。


 ふところから開錠用の工具を取りだし、鍵穴にゆっくり差すとこちょこちょいじってみる。

 ものの数秒でカチャリと鳴って鍵が外れた。音を立てないよう注意しながらノブを回して扉を開けた。


 そこは小ぶりな祭壇室だった。

 棚に並んだ宗教書や祭事に使う聖具、薄っすら壁に浮かぶステンドグラスが小さいながらも神聖な雰囲気を装っていた。


 しかし、それよりも何よりも彼女の目を惹いたのは、祭壇にうやうやしくまつられている女神像だった。


 高さは30cmほど。胸に手をあて厳かな表情で前を見据えるその像は、形や大きななどいたって普通のものだったが、驚くべきはその像が部屋全体を照らすほどに青い光りを放っていることだった。


 お宝とはこれに違いない。


 女性スカベンジャーの話は正しかった。


 毒の外気と太陽熱を避けるためとはいえ、顔も身体も布で覆い尽している外装は怪しい事この上なかったが、あの美しい声と同様、顔も心も美しい人に違いない。


 キャロラインはさっそく女神像を手に取って小さな肩かけバッグに入れた。

 さてズラかるかと身を翻したとき、廊下から足音が聞こえた。

 キャロラインは息を殺して開けっ放しの扉の横に張りついた。腰に差した銃にそっと手を添える。


「いるんだろう、分かってるよ」

 枯れきった老婆の声。安堵のため息とともにキャロラインは銃から手を離した。


 年寄りなんて相手にする必要はない。

 ゆっくり窓から飛び下りても逃げおうせるだろうと思い、余裕の表情で廊下に出たとき、その顔は一瞬で蒼白になった。


 廊下に仁王立ちしている老婆が身の丈を越えるほどの銃を彼女に向けていたのである。


 ほとんど無意識に部屋に飛び戻った直後、空気が破裂するような銃声とともに銃弾の光りが廊下を埋め尽くした。


 キャロラインは床に張り付いたまま恐怖で悲鳴をあげるが、銃声に搔き消されて自分の耳にも届かない。

 唐突に銃声が止んだ。弾倉を入れ替える音が聞こえる。


 このままでは蜂の巣にされる。恐怖が彼女を奮い立たせた。

 立ち上がるが腰が抜けそうで前屈みになり、それを勢いに変えてステンドグラスへ走った。


 再び銃声が空間を満たし、廊下と祭壇室をへだてる壁に無数の穴を開けてゆく。そんななかキャロラインは悲鳴をあげながらステンドグラスに突っ込む。


 浮遊の感覚が一瞬だけ身体を支配したあと、真っ暗な夜へ落下した。木の枝に背中を強打し、納屋の屋根に尻で着地してからゴロゴロ転がって最後はわらの山に突っ込んだ。


 それでも恐怖は消えることなく、即座にピンッと起き上がり教会の正面に回って、バイクを置いた丘へと転げるように走った。


 そんな彼女を、ハネツグは教会わきの草むらから見ていた。

「こいつはひどい、今まで見たなかで一番お粗末な泥棒だ」


 彼は音もなく身体を起こし、全速力で走る泥棒の横合いから影のように忍び寄ると、一気に体当たりした。


 泥棒は身体の正面から地面に倒れた。ハネツグはすぐに起きあがり泥棒の肩をつかんで仰向けにした。

 そして気づいた。

 服装と所作から勝手に男だと思っていた泥棒は女の子だった。


 短く切りそろえた黒髪と我の強そうな瞳を持ったその子を眼前に捉えたとき、ハネツグは自分の心臓が大きく鼓動するのを感じた。


 顔が真っ赤に上気して彼女から視線を逸らすことができない。 

 彼の心に去来きょらいした感情をひと言で表現するなら『一目惚ひとめぼれ』であった。


 ここは紳士的に自己紹介から始めようと姿勢を正した途端、キャロラインの拳がハネツグの頬を強烈に殴りつけた。

 空気の抜けた声をあげてハネツグが地面に転がった隙に、彼女は再び逃走した。


 ハネツグが鼻を押さえながら立ち上がったとき、2階から降りてきたシスターがそばに立った。

「なにやってんだい!」


 ハネツグに一喝してから銃を構え、丘を駆け上がる彼女の背中に照準を合わせた。

「シスター、待ってください!」


 気づいたとき、ハネツグは銃口を塞ぐように立っていた。

「おどき! 早く撃たないと女神像を奪われちまう!」


 シスターは一歩横に移動して再び狙いを定めるが、ハネツグも移動して再度彼女を阻んだ。

 シスターは銃を降ろしハネツグを睨みつけた。その目力に怯みながらも、彼は「僕が取り返しますから」と弁明した。


 丘の上からエンジン音が聞こえ、すぐに遠ざかってゆく。

 シスターは銃を肩にかけてからしばらく音を追うように丘を見ていたが、やがてハネツグに視線を戻した。


「女神像がどれほど大事なものか、あんたに教えているはずだ」

 はい、とハネツグはすまなそうに頭を垂れた。


「あの像は女神アルテミスを模して造られた。アルテミスは運命を司る女神であり、信仰に厚い者を寵愛する。それが貧者なら金貨の雨を降らし、愛を乞う者なら運命の人にめぐり会わせる」

「シスターを止めた理由も実はそこでして」


 ハネツグは面をあげて「僕、めぐり会った気がするんです」と夢見るような目で言った。

 シスターはいぶかしげに眉を寄せて、

「めぐり会ったって……何にだい?」


「運命の人です」

 シスターは数秒のあいだ頭を傾けて考えていたが、はっと気づくと泥棒が去った丘とハネツグの顔を交互に見て、それから丘を指さした。

「あれ泥棒だよ! 教会から女神像を盗む不信心者だよ!」


 ハネツグはいやあ、と照れながら頭を掻いている。

 なるほど、若干17歳にしてシスターの地獄の特訓を耐え抜き、本人も知らぬ間に旧時代最強と謳われたアニマル部隊にも引けを取らない戦闘力を有するハネツグが、一度は捕えた泥棒を逃がしてしまった理由はそこにあったのか。


 シスターは腕を組んでしばし黙考したあと、ハネツグの胸に軽く拳を当てた。

「あの娘が女神像を盗みだし、体よく逃げることができたのはおまえの責任だ。だからおまえが女神像を取り返してくるんだ」


 ハネツグは「はい」と言って真剣にうなずいた。

「それと」とシスターは含みのある笑みを見せながら、


「あの娘も連れてきなさい。ああいう性根の腐った奴には私が直々に神の教えを説いてやる」


 シスターはくるりと身を翻し、大股で教会へと歩き出す。

「そうと決まったら準備をするよ」


 ハネツグはシスターのあとを歩きながら、さてどうしたものかと考えた。女神像を取り返すにしても、あの子を連れ帰るにしても、行き先が分からないことには手の打ちようがない。

 そんな彼の疑問に答えるかのように、シスターは立ち止まって振り返る。


「この辺で盗みを働いた奴が行く所なんざひとつしかない」

 そう言ってシスターは東の空を指さした。

「悪人の巣窟『盗人街とうじんがい』へ向かったに決まってる」


 丁度そのとき、東に横たわる稜線りょうせんから太陽が昇り、ふたりの顔を明るく照らした。



         ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 シスターがのばした指先の遥か延長線上をキャロラインはバイクで爆走していた。

 いまだ興奮は醒めず、身体の震えも止まらない。


「あのシスターなんなの!? 会っていきなり殺す気満々って、どういうこと!? あれが神に仕える者のすることなの!? 本当に神がいるなら、あんな奴こそ地獄に落とすべきよ!」


 教会で泥棒を働いた自分を完全に棚上げしてシスターへの罵詈雑言ばりぞうごんをひとりまくし立てるが、その間も頻繁に恐怖が背中を撫でて背後を振り返らずにはいられない。


 やがて、いくつかの峠を越えて追手の姿もないと確信したあたりから、ようやく恐怖の波は引きはじめ、代わりにキャロラインの中で嬉しさがこみ上げてきた。


 誰にも気づかれずに盗むという当初の目論みは狂ってしまったものの、結果だけ見れば生まれて初めての悪事に成功したのだ。

 しかも獲物は素人目に見てもかなり高価な代物である。


 キャロラインはハンドルから片手を離してバッグの口を開けてみた。

 眩い光りが彼女の顔を青く照らす。

 これ素材は何だろう? 宝石のたぐいのようだが、家にたくさんあるダイヤやサファイア、エメラルドなんかと違い、内側から光りを発している。

 いずれにせよ高価なものに違いない。


 キャロラインが求めているのは像を売って得る金貨ではなく、この像が高く売れたという事実である。

 言い換えるなら、彼女が価値のあるお宝を盗み出したという事実である。


 その事実は裏の世界で彼女が名を上げるのに大いに役立ってくれる。今回のような活躍を続けていれば、いつかきっと裏の世界に生きるあの人の耳に私の名前が届くはずだ。


 キャロラインは意気揚々とアクセルをふかした。そのときふと教会での場面が頭を過った。

 2階から飛び降りたあと、懸命に走っていた彼女に体当たりをかました人がいる。


 月明かりの逆光で顔は見えなかったが、男性だったと思う。あの人のこと力任せに殴ってしまったけれど大丈夫だろうか。 

 キャロラインは何だか申し訳ない気持ちになった。


 そんなことを考えているうち、空と地平の境目に薄っすらと目的の街が見えてきた。

 あれこそ盗品売買なら他の街に並ぶもの無しと評され、このあたりの悪人があまねく寝ぐらとする街「盗人街とうじんがい」である。


 女性スカベンジャーは盗品を売るなら盗人街が最も都合がよく、わけても魔女と呼ばれる商人が一番高い値段で買い取ってくれると言っていた。 


 彼女が言ったとおり教会にはお宝があったのだから、魔女に売るのが一番という言葉も本当だろう。


 すべてが上手くいく。


 キャロラインはそう確信して歓喜の声を上げた。


 ハネツグの一目惚れによって、まんまと女神像を盗みおうせたキャロラインだったが、そのことが引き金となり巨大組織の策略に巻き込まれる事になるとは、このときの彼女には知る由もなかった。

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