6 アラビウン料理「セプティミア」
店は拓也さんが目星をつけているようだった。悟君にとっては生まれ育った地元なのだろうけど、そういう人は地元では外食はしない人も多く、かえってこの町で一人暮らしをしている拓也さんの方が詳しいようだ。
「今日は前に見つけた特別な店に案内します。特にエーデルさんのために見つけておいた店なんですけど」
拓也さんはそんな説明をしながら、自分のアパートの脇を通り過ぎて、細い道をそのまま大通りに出た。
そこまで四、五分くらいかかったが、ここからバスに乗るのだという。俺たちが拓也さんのアパートに行くために降りた地下鉄の駅がこの近くだった。
「地下鉄でも行けるんですけど、ぐるっと大回りになるんですよ。途中乗り換えますし。しかもメトロと都営」
たしかにその乗り換えでは、余計な料金がかかる。しかもその都営地下鉄、メトロやJRなどほかの路線との接続駅での乗り換えがどの駅でもかなり不便なので有名だ。一度地上に出なければならない駅さえもあるらしい。
拓也さんはバスで行くことを、そのように説明していた。
バスは終点がJRの駅だが、それほど混んでいなかった。
片側三車線の大通りを進むそのバスに十分ほど揺られ、途中右折してからは高速道路の高架の下を走る形となり、再度高架下から離れて左折したときに拓也さんは下車ブザーを押した。
「降りますよ」
そこはかなりにぎやかな繁華街のようだった。すぐにその大通りから折れて細い道に入る。そこは飲食店が多数あって、雑然とした雰囲気の町だった。人通りも多い。
歩くこと二分くらいで、右側の雑居ビルのような四階建ての古めかしい建物の、写真屋と家具屋の間の入り口を拓也さんは示した。
「ここです」
入口の歩道の上には腰くらいまでの高さのぐるぐる回る四角い電光看板があるだけで、入り口には何の装飾もない。
看板には「Misbah」という店名らしき文字と、ランプの絵が描いてあった。その下にはアラビウンの文字があるけれど、当然読めない。
入り口を入ってすぐ左の壁に店のメニューが貼ってあるけれど外からはよく見えないので、誰もここにレストランがあるとは思わないだろう。看板も、店名だけでは何の店かもわからない。
少なくとも通りがかりの人がふらっと入るってことはなさそうだ。
入り口を入るとすぐに、狭い急な昇り階段となる。
それを昇った二階に店の入り口があって、ドアには「OPEN」と書いたプレートがかかっていた。そのプレートには「Misbah」ではなく「Septimia」と店名がなっていて、どっちなんだいという感じである。
ところが中はいきなり中東にテレポーテーションしてしまったのかと思えるような、まるで異空間だった。
いかにも中東という感じの音楽が流れ、装飾も完全に中東の世界だ。照明はぐっと落とされ、エキゾチックなランプのような照明(実際は電器だろうが)に照らされている。
俺たちは皆その異様さに驚いていたけれど、目を丸くして感嘆の声を挙げていたのはエーデルだ。
「おお」
「驚きましたか?」
拓也さんに言われて、エーデルさんは満面の笑顔でうなずいていた。
店はそう広くはなく、すでに何人か客がいたけれど、日本人は少なかった。
「いらっしゃい」
たどたどしい日本語と人のよさそうな笑顔で迎えてくれたラフな格好の店員も、中東の人のようだ。
店内には甘い香りが漂っていて、それがまた異国情緒を醸し出している。
テーブルは丸くて小さく二人掛け用の物が多かったけれど、ちょうど四人がけの四角いテーブルも窓際の方にあり、それを店員がくっつけて八人がけにしてくれた。そこに俺たち六人は座った。
店員がメニューを配る。
「見てもよくわからないから、コースにしましょう」
拓也さんの提案に、皆が賛同した。エーデルさんだけは食い入るようにそのメニューを見ていた。
「どこの国ということではなく、中東のいろんな国々の料理ですね。でも、かなり私の故郷のミツライムに寄せてる? 店の飾りもミツライムの雰囲気です。ただ、基本となっているのはソーリャの料理が多い?」
その言葉が店員の耳に入ったのか、彼は英語ではない外国語でエーデルさんに何か話した。多分アラビートゥの言葉だと思う。
「おお」
それを聞いてエーデルさんはすぐにそれを我われに伝えてくれた。
「このオーナーはソーリャの生まれだそうです」
俺が店員だと思っていた人は、実はオーナーだったのだ。
注文はメニューを見てもよくわからないので、拓也さんとエーデルさんに任せることになった。
ディナーコースというのがあって、バーミヤコース(オクラとお肉のトマト煮)、バーテンジャンコース(ナスとひき肉のトマトソース)、ケバブコース、クスクスコースの四つのコースから選べるようだ。それぞれカタカナで書いてあるし上の二つには説明もある。写真もあるけれど、写真を見てもわからない。
皆の意見はいちばんなじみのケバブコースにしようということになった。メインディッシュのケバブはシシカバブ、チキンケバブ、シシタウグの中から選べるようだ。シシカバブとチキンケバブは何となくわかるけど、誰もがシシタウグってなんだあ?って感じだ。
「このカタカナ、よくないです。シィシ・タウークですね。ソーリャ風の焼き鳥です」
エーデルさんが小声で説明してくれた。やっぱネイティブの発音はカタカナとは違う。
なるほど分かったけれど、やはり割と最近日本でも有名になっているシシカバブにしようということになった。コースはスープ、ホンモス、サラダ、ケバブ、ナンとなっている。また「ホンモスってなんだあ?」ということになった。
「大きな豆。それがペーストの中。でも、ミツライムにはほとんどないですね」
今度はエーデルさんの説明でもよくわからない。
「一般的にはフムスっていわれていますよよ」
拓也さんが補足してくれたけれど、一般的っていわれたってそっちも聞いたことがない。
「ま、出てきて、食べたらわかりますよ」
拓也さんは笑った。
ふと気になったのは、背後のテーブルの中東の人と思われるおじさんが、さっきからしきりに煙を吐いている。
たばこを吸っているのかと思ったけれど、明らかにたばことは違う。
アラジンのランプの背が高いものというか燭台というか、かなり大きな入れ物からホースのような管が伸びていて、その管の先を口にくわえて何か吸い込んで、そしてかなり大量の煙を吐いている。煙といっても煙たくはなく、どうも水蒸気に近いようだ。
実は入店したときにいい香りが漂っていると思ったのは、お香とかではなくこの煙だった。甘いミントのような香りだ。
「あれはね」
俺が気にしたので、拓也さんが説明してくれる。
「シーシャといういわば水たばこですよ。都内ではあれが吸える店は、そう多くはない」
普通のたばこよりも長い時間がかかるようだ。たばこ臭くはないので、たばこの煙が苦手な人でもこれなら大丈夫だろうと思う。
そんな異空間になじむまで、少し時間が必要だった。
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