10 洞穴
先生は歩きだした。
「さ、もうすぐそこが洞穴だよ」
先生の言う通り、すぐに立て看板が見えた。「この洞穴は危険ですので絶対に入らないで下さい」と書いてある。
「あれ? せっかく来たのに入れないんですか?」
俺は思わずつぶやいた。
「いや、この洞穴は奥が六十メートルくらいあるようでそんな奥には入れないけれど、ほんの入り口くらいまでなら行ける」
とにかく、そう言う先生について行くしかなかった。
そこからすぐに少しくぼんだ所へ降りるようになっていて、黄色と黒の細いロープが手すりのように張られていた。
すぐにスロープは終わってそこが洞穴の入り口のようだ。
比較的新しい説明板がある。
そこにはこの溶岩洞窟としての洞穴の成り立ち、古くは富士道者巡拝の霊場だったこと、今では堂内は落石の危険性があるので立ち入り禁止になっていることなどが書かれていた。
その看板のすぐそばの石碑の後ろにさらに下の窪地に降りる石段があって、木が生い茂る下の大きな岩盤の下に小さな
先生はその前にまで降りていく。
胸の高さくらいのはっきり言って朽ち果てた祠だけれども、小さな賽銭箱は設けられていた。
その向かって右には、さらに小さいサイズの別の祠が寄り添うように立っている。
「祠のように見えるけどね、れっきとした神社の本殿だよ。氏子もいらっしゃるし、今月の頭には毎年恒例の祭礼も行われた」
ここがいわゆるパワースポットなのかと思う。
パワーが感じられるかどうかということになると、感じるような気もするしそうでない気もする。ただ、大きな岩の下の洞窟の中に挟まれている感じで祠が立っているので、なんか窮屈そうだなあという感じは受けた。
先生はさっそくその祠の前に立つので、俺たちもその後ろに整列した。
先生は柏手を三つ打ち、頭を下げて延々と真剣に祈っているので俺たちも同じようにする。
ここは洞穴の入り口で、少し中に入った形になるので急に空気がひんやりとしていた。
ただそれはさっき感じた寒気というのとは全然違って、心地よい涼しさだった。
やがて先生は顔を上げて、俺たちの方を見た。
「この神様は水を司る女神さまなのだけど、じゃあ水の系統かというとどうも龍神でいらっしゃる。龍神だったら火の系統だ。説明では『古事記』にも出てくる神様のお名前が書いてあるけれど、神社が公表しているご祭神は実際に鎮座ましましておられる御神霊と必ずしも一致するとは限らないんだ」
なんだか忘れかけていたことを思い出したような気がする。
そういえば俺たちの部は「超古代文明研究会」だったのだ。
「かつてこの辺りは巨大な一つの湖だった。でも富士山の噴火の溶岩がその湖を分断して、今では四つの湖になっている。つまり溶岩の『火』が『水』を分断してしまったってことだね。何かしらそういう超太古の因縁があるみたいだ。詳しくはいずれまた勉強しよう」
そう言ってから先生は右の、小さな祠を見た。
「こちらの御祭神は富士山の神様で、うちの婆様のご守護神様だよ」
「先生」
悟が言葉をはさんだ。
「この神社がすごいパワーなら、なんでこの周りはさっきまで、あんなに浮遊霊が集まっていたんですか?」
「救われたいからだろう? 樹海は広いけれど、その樹海の霊がほとんどここに集中している。この神社のパワーを求めて、救われたくて集まってくるんだろうね」
――よきこと。汝ら吾に代わりて万霊の救いをせよ
え?
俺は慌ててあたりを見回した。俺たちのほかに人はいない。だけど確かに今、俺の頭の中にかすかだけれども声が響いた。
それは先生の声でも島村先輩の声でも、悟の声でもなかった。
そう言った耳に聞こえる声ではなくて、胸の中に直接響いてきたのだ。
俺は思わずブルブルッと頭を震わせた。
「康生、どうした?」
先生が聞く。
「いえ、大丈夫です」
でも先生は何かを知っているかのように、笑んでうなずいていた。
その神社より奥の洞穴は、立て看板にあったように立ち入り禁止となっているので、俺たちは先生の車に戻った。
「さあ、帰るぞ」
先生は車を発進させた。県道に戻ると、来たのとは反対の方向へ進んだ。
「せっかくだから、湖のそばの道を走ろう。本当は富士山に連れて行こうと思ってたんだけど」
「富士山って、車で登れるんですか?」
俺の言葉に、先生も先輩も爆笑していた。
「いくらなんでも車で登山は無理だ。でも富士山の五合目までは車で行かれるので、せめてそこまで行こうと思ってたんだけど、考えてみたらそこに行く有料道路のスバルラインはこの時期はマイカー規制で通れないんだ。残念だけど、また今度ということで」
今度って、来年の今ごろってこと?
「本当は富士山に鎮座ましました御神霊に関する超古代の話とかしたかったんだけど、まだその時期じゃないってことだな」
先生は一人で納得した世に笑っていた。
そんな話をしているうちにすぐに道は、大きな湖沿いに走るようになった。
湖の向こうは緑の山だ。
昨日の富士山を見た湖よりもはるかに大きく、道は湖畔べったりに走っている。五分くらいそのままくねりながら湖に沿って道は続いていたので、相当大きな湖だ。
「昨日見たのが五つの湖のうちの西の端。うちの近くが二つ目、そしてこれが三つ目」
その三つ目の湖がやっと終わると、ちょっとした峠道のようになった。
もう樹海も終わって道の左右は普通の田舎の風景が続き、民家もぐっと増えてきた。
勾配を降ると、別の湖が見えた。今度はもっと大きな湖だ。
民家もかなり多くなっている。
これが四つ目の湖で、昨日の湖からこの湖までが太古には一つにつながった大きな湖だったことになる。
車が湖沿いの道から離れて町中に入っても、湖はさらに向こうに広がっているようだった。
こうして洞穴から約二十分くらいで高速の乗り場となり、例の巨大ジェットコースターがある大きな遊園地越しに富士山を今度は右手に見て、やがて高速の本線と合流した。
このあたりからものすごい渋滞となって車はほとんど進まず、昼食にと入ったサービスエリアも駐車スペースを見つけるのがやっとというくらいだった。
さらにまた渋滞に巻き込まれ、本来ならここまで一時間くらいで着くはずの圏央道に降りるインターチェンジまで四時間ほどかかった。
お盆明けのUターンラッシュに、もろにぶつかってしまったのである。
こうして昼過ぎには帰る予定だった自宅に着いたころは、もう薄暗くなり始めていた。
(「第7部 夏風邪」につづく)
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