狐の嫁入り

十六夜

第1話 雨の日の転校生

十年前、三坂村有明地区にて、若年の少女の誘拐事件が連発。警察が捜索と調査を続けるも、誘拐された少女たちはおろか、犯人さえ特定することができないまま、その事件は有明地区に住む少女が一人もいなくなるまで続いた。被害に遭った少女たちは十二歳から二十歳までの総勢三十七名。最後の一人が行方不明になってから、事件はぴたりと止み、それ以外の年代の少女が巻き込まれることはなかった。

十年たった今でも、行方不明になった少女たちの生死は不明で、犯人の目撃情報なども一つも届いていない。三坂村における、史上最大の奇怪事件である。

他地区であっても三坂村民たちは皆、当然この事件を知っている。有明地区の隣の地区である東雲地区に暮らす私にとっても、他人事ではない。たとえそれが、十年前の事件だったとしても。



「今日は、皆さんに転校生を紹介します。」

ここは、三坂村東雲地区唯一の村立中学である。十年前の事件以来、三坂村を出ていく人々が年々増えていき、人口の減少が深刻になった。それに伴って、各地区で小中学校の合併・閉鎖が相次ぎ、ついに四年前、東雲地区の中学校はたったの一校になってしまった。現在では、東雲地区の全中学生約六十名がこの中学まで通っている。そんな三坂村の学校に転校生がやってきたという知らせは、ある意味で大事件であった。

 教室の中はざわざわと騒がしくなり、誰もが興奮を抑えられずにソワソワとした雰囲気を漂わせていた。ただでさえ新学期でみんな落ち着きがなかったのに、転校生と言う言葉がそれに拍車をかけた。担任の先生が転校生を教室まで連れてくる。転校生は、髪の長い女の子だった。みんながその子に目を向けて、教室が一気に静かになる。

「宮橋弥子です。先週、三坂村有明地区に引っ越してきました。でも、有明地区には中学校がないので、お隣の東雲地区のこちらの学校まで通っています。これからよろしくお願いします。」

それを聞いて、教室がまた少しだけざわついた。有明地区といえば、十年前の事件が起こって以来、お年寄り以外ほとんどの住人が出ていってしまったような廃れた地区だ。だから、事件が起こってすぐに、全ての小中学校が廃校になってしまった。そんな地区にわざわざ越してくるというのは、三坂村の住人からしてみれば意外なことであった。

弥子の紹介が終わると、担任はいくつかの諸連絡を伝えて教室を後にした。こんな日でも、いつも通り授業は始まるのである。そうはいっても、朝からこんなビッグニュースを聞いて授業に集中できるはずもない。森永舞は、黒板と自分の前の席に座った弥子とに交互に視線を移しては、なんて話しかけようか、どんなことを聞こうか、なんてことを考えていた。

ぼーっとしたままだらだらと適当にノートを取っていると、急にカーテンが膨れ上がって目の前に広がった。風が吹いているようだ。窓際の席だから、よくこういうことがある。邪魔だなあと思いつつ、カーテンを払いのけると、手に雫が落ちた。あれ、と思い窓の外に顔を出すと、晴れた空から雨が降ってきていた。

——天気雨じゃん。

さらさらと穏やかに降る雨だった。でも風があるせいか、雨粒が時折入ってきて舞のノートを濡らす。ノートが濡れては文字が書けなくなると思って、舞は窓を閉めた。その後は、雨の日って空気が臭くなるんだよなあ、とかそんなことを考えながら、やっぱり授業には集中できなかった。


休み時間は、弥子の話でもちきりだった。クラスのみんなが弥子の周りに集まって、珍しい転校生の話を聞こうと必死だった。中には、話を聞きつけた他学年の子たちが、教室の周りに集まって中を覗いていることもあった。

「歩いて来てるの?自転車通学?」

「ううん。お父さんが車で送ってくれるの。歩くのはさすがにちょっと遠いし、私、自転車乗れないから。」

「引っ越す前はどこに住んでたの?」

「隣の県だよ。でも、三坂村とはだいぶ離れたところかな。大きな山があるでしょ、あの山を越えたところが前住んでたところなの。」

「じゃあ、前住んでたところもすっげー田舎だったんだな。」

「そうそう。」

「もう三坂村の中見て回った?まだ?色々案内できるよ!今度行こうよ。……」


クラスの子たちが男女関係なく弥子に話しかけていたのを、舞はただ聞いているだけで自分から話しかけたりはしなかった。別に人見知りというわけではないが、ほいほいと話題がたくさん出てくるタイプでもないので、気づいたら聞いている側に回っていた。結局、授業中に頭の中でシミュレーションしたことは何も生かされないまま、また明日話しかければいいや、と思いながら放課後を迎えてしまった。


 空が少しオレンジ色になって、西日がまぶしくなってきた。舞は、放課後の図書委員の仕事を終えて、図書室から教室に向かって歩いていた。今日は、注文していた新刊が届いたというので、それの整理や透明のブックカバーをかける作業をしていた。おかげで通常より時間がかかって、気づけばもう五時になろうとしていた。

 足早に教室に入ると、教室にはまだ一人、人が残っていたようだった。教室の電気がついていないので、夕日のせいでシルエットしか見えない。その人影が、私が教室に入ってきた時の足音に気が付いてこちらを振り返った。

「森永さん?」

私の名前を呼ぶその声は、今日一日飽きるほど聞いた弥子の声だった。

「えっ、あっ……、えと、宮橋さん?」

「弥子でいいよ。私も舞ちゃんって呼んでいい?」

「あっ、うん、もちろん。」

「まだ舞ちゃん学校にいたんだね。てっきりもう私だけかと思ってた。」

「私は今日図書委員の当番の日だったから。弥子ちゃんは、なんで学校に残ってるの?帰り道分からなくなっちゃったとか?あ、でもお父さんがお迎えに来てくれるんだっけ。」

「そうそう。ただ、お父さんの仕事が終わらないと来てもらえないから、それまでどこかで待っていなきゃいけなくて。私まだこの村のこと全然知らないから、学校にいるしかなくてさ。」

そうだよね、と相槌を打ってから、舞は思いついてとっさに言った。

「公民館行ってみない?」

行ってみたい、と言った弥子の目は少し輝いていた。

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