白雪姫の憂鬱

@kunimitu0801

第1話「雇い主」

 大学生の俺にとって日当一万円と言うのはかなり魅力的な条件だ。

 だからちょっとくらい面倒くさいことでも気にしない。そう思っていたのだが。

「もう無理よ。どうせ私がボロボロに負ける姿を写真に撮って盛り上がるのよ。所詮私は引き立て役にすぎないのよ」

 ベッドの上で枕に顔を埋めながらヒステリックな声で泣き叫ぶ雇い主を前にして、思わず今日は帰ろうかなと思ってしまった。

 とても俺と同じ今年で二十歳になるとは思えない。昔と変わらず子供のように泣きじゃくっている。

 俺は冷静に時計を見る。声をかけたくもないけどそろそろ出ないと間に合わない。

「ユキ。そろそろ行くぞ」

「……………」

 ベッドに顔を埋めたまま無反応だ。

「ユキ。早く行かないと遅れるぞ」

「……………」

 全く反応がなかった。これはもう強制手段しかない。

「ほら。いいかげん起きろ」

 俺は布団を剥ぎ取った。これで動きがなければ無理やり引っ張り起こすしかない。

 布団を剥ぎ取られたユキはゆっくりと顔を上げた。

「コウ。私勝てると思う?」

 期待に満ちた目で俺を見て来る。

「大丈夫。勝てる勝てる」

 俺は棒読みで答えた。

「ちょっと。軽いわよ!」

 棒読みで言ったのがばれてしまった。

「ごめんごめん。でも別に今日は大した相手じゃないだろう。なんでそんな風にヒステリックに喚いているんだよ」

 対局相手に失礼だなと思いながらもそんな風に励ました。

「……ヒステリックとか言うのやめてよ」

 ちょっと拗ねた感じで文句を言ってきた。

「わかった。それで何が不安なんだ?」

「優勢だったのにポカして負ける夢を見たの。それでこの前の負けも思い出しちゃって」

 それで目覚めてすぐにあんな風になっていたのか。

「そんなことを考えるなって、普段の力が出せれば十分勝てるから」

「そうかな?」

「そうだよ」

 さっきと違って心からのセリフだ。

 そんな俺の言葉でユキが落ち着いて行くのがわかる。

「わかった。すぐに準備する」

 俺の雇い主はなんとかやる気を出してくれた。

「ああ。待ってる」

 ユキが立ちあがったのを見て俺は部屋を出た。

 励ましておいて何だが、こんなのがトップ棋士の一人なのだから女流棋士の未来が心配になる。

 ユキは将棋の女流棋士。この情けない姿からは想像できないが女流棋士界を代表する実力者でもある。


 改めて、俺の雇い主を紹介しよう。

 白峰雪子(しらみねゆきこ)。十九歳。北海道出身。茨城県在住。

 女流王位・倉敷藤花のタイトルホルダー。

 タイトル通算3期。タイトル戦登場回数5回。

 女流棋士の七つのタイトルのうち二つのタイトルを獲得しているトップ棋士の一人である。

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