第6話 文永の役 赤坂山の戦い
「待て、待つのじゃ五郎」
江田又太郎が五郎を呼び止めた。
「又太郎殿、我らはすでに敵と戦う覚悟ができています。今さら止めないでいただきたい」
「がっはっは、何を言うとる。止めるのなら最初に止めとるわい」そう言って豪快に笑う。
「おい、焼米! 昨晩から作っていた飯を渡してやれ」
「御意に、里の者らと丹精込めて作った握飯です」
そう言いながら焼米五郎が携帯食を渡す。
「これはかたじけない。急いで出立したので実はまだ飯を食べていないのだ」
「はははそうじゃろうそうじゃろう。――本当はワシも共にゆきたいが、郎党どもを放り出すわけにはいかん。すまぬな」
「問題ない。我らとて無茶をしに行くわけではない。あくまで菊池一門の中での立ち位置を明確にするために出るだけだ」
竹崎と江田は菊池一門の行動が飛び火して、自らの一族の立場が危うくなることを懸念していた。だからこそ「言質」を取って戦う五郎と、少弐に従って待つ又太郎に別れた。
「五郎、こっちの準備はできたぞ」三井三郎がいう。
「よし、旗を掲げよ。皆の者出陣だ」!
「応」
五郎たちが息の浜から打ってでた。
――赤坂山。
赤坂山はその名の通り、斜面に露出している土が赤色であることからそう名づけられた。その性質は保水性が良い粘土質の土である。それは騎兵で攻めるには足場の悪い土地でもある。
この赤坂山は東に冷泉津という入り江が、西に鳥飼潟という干潟が、南には大休山という山がそびえている。この二つの山の間の峠道が赤坂となる。
つまり大軍が戦いづらく、戦略上の価値が薄い場所だった。
この地が評価されるようになるのは入り江が砂に埋もれた戦国時代の終わるころ、黒田官兵衛が福岡城を築城してからとなる。
「全騎突撃せよ!」
「おお!」
赤坂に陣を構える〈帝国〉兵に菊池たち弓騎兵が襲い掛かる。
数にしておよそ百名弱の〈帝国〉斥侯部隊だ。
〈帝国〉兵は矢を斜め上に放つ。この曲射をする事で距離を稼いでいるのだ。
「もう矢を討って来たぞ!」と
「この程度の矢で死ぬなよ!」と菊池武房が応えた。
「ははは、討ち上げた矢にやられるほど我らは軟弱ではありません」
討ち上げた矢は重力によって落下してくる。しかしその程度の力で大鎧を貫通することはできない。兜が、鎧が、矢を弾いていく。そして
矢が雨のように降る中で、あっても彼らはその勢いが衰えることなく赤坂山を駆けあがる。
「ぐ、うわっ!?」
しかし足場が悪いので何騎もの騎兵が転げ落ちる。
「兄者、この距離なら矢があたりましょう」菊池次郎の弟「三郎」有隆がいう。
「よし、弓を引けぇ!」
菊池次郎の号令で二百を越える無数の矢が赤坂に放たれる。
矢が次々と刺さり〈帝国〉兵がバタバタと倒れていく。
「いよっし、一気に駆けあがるぞ!!」
その時――。
赤服の〈帝国〉将校が『ヒャゥッ!』と甲高い声をあげた。
すると数十騎いるだろう弓騎兵たちが一斉に山頂から現れて、矢を直射して
「がはぁ……」無数の矢が
「な、
落馬した
「おのれ、あの将軍を射るのだ!」
すぐさま反撃の号令をだす。
しかし、赤服の〈帝国〉将校は笑いながら去っていった。
山頂にはわずか十数人の〈帝国〉兵だけが残っていた。彼らは殿として残ったのではない。
――置いてかれたのだ。
そのことに〈帝国〉兵隊長が気付き慌てて逃げ出した。
菊池有隆は恐慌状態となった敵兵長に矢を射る。
「はっ!」
「ギャッ…………」
有隆が放った矢が敵兵長を射抜いた。
「このまま畳み掛けろ!」
「おおっ!!」
そこから置き去りにされた〈帝国〉兵は総崩れとなった。
菊池武房が山頂に来た時、〈帝国〉兵たちはすでに山を下り干潟へと逃げていく。
「何人討ち取った?」
「首十ほどになりましょうか」
「そうか、もう少し多いと思ったのだがな」
「何を言いますか。守りやすい地に陣取った相手を一撃で蹴散らしてこれならば十分でしょう」
「ふ、それもそうだな」
そこへ弟の有隆が駆けつける。
「やりましたな兄者」彼は討ち取った大将首をもって戻ってきた。
「ああ、これで我らが菊池の武を知らしめることができたというものだ。なあ皆の者」
「応! 応! 応!」と菊池一門が鬨の声をあげる。
「よし、その首を薙刀に刺して凱旋だ」
分捕りの功を示すには討ち取った首を持ち帰らねばならない。その都合から一会戦したら首級を持って一度戻る必要がある。
それはいかに効率よく殺すかという近代的な発想のない時代である。
「ええ、そうしましょう。――それにしてもアレは山が燃えているのでしょうか?」
「あそこは確か
菊池武房たちがいる赤坂より西には鳥飼潟という干潟があり、そこを越えた先には百道原という浜辺がある。そこには麁原山という小高い丘ぐらいの山がある。その山を中心に一帯が〈帝国〉によって燃やされていた。
――大量の煙が麁原を覆っている。
五郎たちは住吉神社から川船に乗り対岸の小松原にむかう。
「五郎、もう鬨の声が聞こえるぞ」
「出遅れたな。だが戦いはまだ始まったばかりだ」と五郎が言う
「ああ、その通りだ。あそこに陣取ったのは斥候のたぐいのはずだろう。ならば我らでも大将首を狙えるはずだ」
「そうとも大将首が前線をうろつくなどまずありえん。船頭、船を寄せたらすぐに離脱してくれ」
「わかりやした五郎の旦那」彼は水夫に無理を言って住吉神社から冷泉津を一気に横断させたのだった。
船を降りたら小松原を突き進んで赤坂に出た。
そして五郎の目に映ったのは――。
戦いが終わり凱旋する菊池一門だった。彼らが持つ薙刀には先ほどまで戦っていた〈帝国〉兵たちの首が刺さっている。
その先頭を進む騎兵に五郎は目を奪われた。
なんと見事な
それは全ての武士が身に纏いたい、しかし持って生まれた才能のように、容易には手に入らないものを帯びていた。
――畏敬だ。
畏敬の念を禁じ得ない武将がそこに居た。
「そこの御仁はどなたか? 誠に立派な姿、感服しました!」
「肥後の国、菊池『次郎』
「おお、やはりご同門でしたか! 拙者は竹崎『五郎』季長と申します」
「竹崎……」
菊池武房と竹崎季長の立場は言ってしまえば、やはり微妙である。武房は菊池家の家督を継いだ十代目当主という立場にある。対して季長は菊池家の分家筋で、さらに宗家が参戦した戦に対して瀬戸内海警固を理由に参加を見送った川下の一門になる。
それは武房が嫌う軟弱者だった。
「この季長の先懸をご覧頂きたい」そう言って五郎は駆け出した。「ちょっ待て!」追うように郎党たちも後に続く。
「ふん」
「兄者、行ってしまうのですか!」
菊池と竹崎の立場は微妙だ。
昔なら菊池一門の当主が参戦するのなら馳せ参じて当然であった。ところが鎌倉の世になってからその宗家の影響力が低下している。この二人の、いや江田氏を含めれば三人の行動の違いからもそれは顕著だった。
「五郎殿、どうやら菊池は見届けずに行ってしまわれましたよ」籐源太がいう。
「そうか、まあそうだろうな」
五郎も菊池一族の微妙な立場の違いは肌で感じ取っていたので答えを聞かずに駆けだしたのだった。
「今は目の前の敵を狩るのみ行くぞ」
「応!」郎党たちも気持ちを切り替えた。
鳥飼潟を逃げている敵を追った。
その奥には煙に包まれた麁原山が見え隠れしている。
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