第5話 文永の役 菊池武房
竹崎五郎を含めた菊池一門はかつて肥後の国で最大の勢力を誇っていた。
その現当主の名を菊池「次郎」武房という。
少弐景資が軍議を開くと言うので息の浜の小高い丘の上に来ていた。
彼ら菊池と鎌倉幕府は少々微妙な関係である。先の大戦である源平合戦の勝者と敗者の関係だからだ。
だがたとえ源平合戦に負けたとはいえ、肥後の国の一大勢力を誇っているのが菊池である。
その実力を鎌倉は恐れていた。だからこそ菊池をけん制するために周囲を囲むように東国御家人――少弐、大友、島津を配置している。
周囲を潜在的な敵対勢力に囲まれて育った菊池武房にとって東国御家人とは自分たちを恐れる腰抜けでしかなかった。
特に肥の大将を自任する少弐景資を快く思わなかった。
彼の祖父である武藤「小次郎」
そして九州の旧平家方である菊池を監視するという名目で大宰府に就き、貿易で莫大な利益を出している。
要するに互いに潜在的な敵対勢力でしかなかった。
「これより〈帝国〉に対する軍議を始めます」
息の浜の丘の上に各氏族の代表が集まっていた。
「では僭越ながら、この野田三郎二郎がこたびの合戦の方針を述べましょう。まず守りに適しているのは川に囲まれたこの博多の町であり――」
菊池次郎は野田三郎二郎のはなしを黙って聞いているが生ぬるいと感じた。渡河してくる軍勢を矢で射抜き撃退する守りの戦法。
その後、相手が疲弊した段階で大宰府の軍に呼応するように攻撃する、と述べているがそれは菊池の目的と合わなかった。
――彼ら菊池一門は別の目的でこの戦いに参加していた。
「――よって皆々様の兵の半分をこの息の浜に、残り半分を住吉神社に集結させることといたします」
「待った」菊池武房が言うと皆が注目する。
「それでは息の浜に敵が攻め寄せなければ、我らが騎兵百騎で駆け付けた意味がないということになる。すでに敵は浜に上陸していると見る。準備の整っていない今のうちになぜ敵を叩きに行かぬのだ」
「うぬ……その通りじゃがここから西は干潟になり――」
「――騎兵が活躍しにくくい土地です。ですのでよほどの事がない限り私どもはここで戦うべきと考えます」景資が引き継ぐように述べた。
「だからそれこそ――」
「急報! 敵が赤坂に進軍しました!」
その知らせに軍議が一時中断となる。
赤坂山を見ると見慣れぬ旗が数本立っていた。その旗の下には百名前後の兵がいる。
「見よ、敵はすぐ目の前まで来ているが、明らかに数が少ない! 敵が揃うまで待つ意味がどこにある!!」
菊池が声を荒げると周囲の武士たちも騒然となる。
「軍議など終いだ! 我が菊池は赤坂山の敵を一気に討ち取ってみせよう、誰か共にゆく者はいないか!」
「その意気込みやよし、我が託磨氏も共に参ろう」
「待て、待つのじゃ。参戦する際に交わした言質を違えるというのか!」
「そんなこと元より覚悟の上、ご免!」そう言って菊池次郎は一門と共に早々に息の浜を駆け出した。
「ええぃ、景資殿、郎党が勝手に動かぬようにいってまいりますゆえ、しばしお待ちを!」息の浜の兵をなだめるために野田含めて武将たちが陣を離れていった。
少弐景資はひとり菊池について思いを巡らす。
「この戦に参加したのはただ自らの武勇を内外に示すためということですね」
菊池一門の内情について少弐の耳にも入ってきている――彼らは分裂しつつあった。
竹崎氏や江田氏が菊池一門であって別行動をすることからもそれがうかがえる。その一門を再結集させるために、武士らしく武勇をもって示そうとしていたのだった。
少弐景資は菊池一門の背を見ながらつぶやく。
「――しかし、だからこそ菊池は常に警戒されるのですよ」
ざわついた陣営が落ち着きを取り戻し軍議が再開された頃、遠くで「まてまて、まずは馬を降りられよ」という声が聞こえる。声の主は少弐の付き人である太田左衛門だ。
「今は戦の時、弓箭の道を進む者として降りるわけにはいきませぬ」と竹崎五郎が言い切った。
戦場で事あるごとに馬から降りていたら何のための弓騎兵なのかわからなくなる。
少弐景資はまさにその通りだと思った。それと同時に面白い男だと感じた。
「左衛門! 通しなさい」
「は? ……はっ!」
左衛門は主の命に従い五郎たちを通した。そして江田又太郎が大将に声をかけた。
「大将少弐殿、肥後の国の竹崎郷から騎馬武者が参られたのでここに連れてまいりました」
「竹崎の五郎季長と申します」
「同じく三井三郎資長と申します。そして以下郎党になります」
菊池の中であって菊池と別行動をする一門。少弐景資は少し身がまえた。
「よく参戦してくれました。これから共に戦いましょう」
「はっ、その件ですが折り入って申し上げます。我ら本所へ参陣いたしましたが、郎党が未だ揃いません。進んで参戦するにも僅か五騎、これで合戦をしても我らにできることはございません」
「ふむ」たしかに五騎ではほとんど戦いにならないと感じた。
「我らにできることは誰よりも先に敵に仕掛けるのみ、先懸をしたいと存じます」
それに対して野田が割って入る。
「先ほどの菊池一門のようにそのような勝手をされては困るのじゃ、ここは人数に関係なく一同揃って合戦をすべきでございましょう」
この野田の忠告ももっともだと思った。
「…………」少弐景資は無言で思案する。
――そして。
「いいでしょう」
「なんと!?」
「この少弐三郎も戦いで生き延びるかわかりません。互いに生き延びた暁には将軍に報告しましょう」
それを聞いて五郎は感謝する。
「ありがたき幸せ、皆の者ゆくぞぉ!」
「応!」五騎が駆け出していった。
「よろしかったのですか?」
「ええ、すでに菊池一門が言質を違えて出ていきました。このまま合戦が終わったらどうなりますか?」
「ふむ……そうですな。その場合は第一の功はやはり菊池……まさか!」
「そうです。ここで大宰府の命を受けて先懸をした者が、それも同じ菊池の一族にいた場合は彼ら竹崎が第一の武功者となるでしょう」
「……そうなればたとえ菊池の出であっても恩賞はでると示すことができ、なおかつ命に従わない者には恩賞がでないと周知することになる。いや考えましたな」
野田が感心する。
「もっともそこまで上手くはいかないでしょう」
そうは言いつつも少弐景資は政略で成り上った一族に違わぬ知略を垣間みせたのだった。
この戦は〈帝国〉に対する防衛戦、つまり恩賞はほとんど期待できないと皆が気付いていた。
だからこそ菊池は武勇を示すことにこだわり、江田は一定の忠誠を示そうとし、少弐はのちのための政略として合戦を利用していた。
決して一枚岩ではない〈島国〉の実情が早朝から浮き彫りになる。
だがそれぞれの思惑が交差するなか、百道原と呼ばれる浜から上陸した〈帝国〉は不気味な動きを始めた。
それにまだ誰も気が付いていない。
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