六章三話
部屋を出たアルンとイーケンはクレアスの先導に従って第三艦隊の執務棟へ向かう。オーカとトーラもその後ろからついて来た。クレアスの姿を見た者は皆一様に驚いて道を譲る。さして長くもないその道中で、イーケンは聞き慣れた声をかけられた。
「大尉殿?」
振り向くと、よく日に焼けた男が呆然と立っている。片手には上着を持ち、もう片方の手には彼のものではない長剣を持っていた。彼はかつてイーケンの教育を担当した第三艦隊海兵隊の猛者、レイユ・サガン曹長である。
「今は立て込んでいるから後で話そう、サガン。執務棟で全て説明するから非番以外の者はなるべく集めておけ」
クレアスの姿を見て敬礼しかけていた彼にそう言ってやると、彼は何も問わずにキレの良い敬礼だけを返した。だが目の中には困惑の色が見える。イーケンは隣を歩くアルンに声をかけた。
「天竜乗り、後で部下達にこれまでの不在について説明する時間をくれ」
「構いませんよ」
少し歩くと第三艦隊の執務棟が見えてくる。クレアスが扉を開くと内側にいた数名の将校が驚いて目を丸くしていた。彼は迷わずに階段に足をかける。二階に上がるとクレアスは目の前に現れた扉を押し開いた。
「ルオレ!」
クレアスの腹の底から発された低い声が部屋中に響く。部下らしき人物と何かを話していた黒髪の偉丈夫が驚いてクレアスを見た。彼の目線はクレアスに固定された後、その後ろのイーケンに向く。
「閣下、どうされました?」
黒髪の偉丈夫は灰色の目を瞬かせた。だがクレアスの語気は荒いままだ。
「貴様には一つ聞かねばならんことがある」
「でしたらお呼びくだされば良かったのに。閣下のお呼びとあれば何を置いてでも参上しますよ」
「そういう無駄口はいらん」
「は、失礼致しました……。それで一体何事でしょうか?」
深い声で応じたユーギャスの目の前にアルンが一歩踏み出す。革筒の王家の紋章を見せると表情が凍りついた。
「ユーギャス・ルオレ、あなたには他国との内通の嫌疑がかけられています」
アルンはそう言いながら一枚の紙を取り出す。手にした白い紙をユーギャスの眼前に突きつけた。
「あなたは汰羽羅諸島連合の河野利昌と通じて軍用物資である痛み止めを横流したうえに、河野の協力者であるコージュラ、ギッシュの者達が国内に逗留できるように場所を手配した。我ら天竜乗り部隊はその件について調査を行いました。そして調査の結果、あなたの関わりが明白となりました。調査結果と女王陛下並びに元帥閣下の直筆の罷免状をもって、本日付けであなたを罷免します」
「そこまで言うなら、その結果とやらを見せてもらおうか、若き天竜乗りよ」
ユーギャスはそう言って革張りの椅子に腰を下ろした。それからゆっくりと足を組み膝の上に組んだ両手を乗せる。その動きからは一種の風格が滲み出ていた。アルンは待っていましたと言わんばかりに、持っていた書類の写しを全て机の上に展開させる。イーケンはその様子をアルンの後ろから見ていた。
「まずはこちらの地図を見てください。再開発が中止になったことで現在はほぼ人の住まない区域です。この区域の最南端に河野の一味の潜伏先がありました」
アルンは地図の一点を指で示し、また違う地図を広げる。
「次はこちらの地図です。十一年前に海軍の総本営を移動させるために確保されていた建物の場所と、河野の一味の潜伏先が一致するのはお分かりいただけると思います」
「それで? なぜ私が関与していると断言できる?」
その言葉を受け、イーケンは迷わずに口を開いた。わずかに自分の声が震えているように感じたがそれは無視する。
「総本営の移動先についての情報を得られるのは当時の関係者以外にはいません。一度選ばれた移動先が再び選ばれることはなく、その情報を外部に出すことも禁じられます。さらにその情報を公開されるのは上層部の中でもごく一部です。そのため、当時の資料を調べました」
ユーギャスの目がすうっと細まり、鋭い目線がイーケンの目を射抜く。第三艦隊所属の者達は皆ユーギャスのこの目線を恐れている。「黒獅子」とあだ名されるユーギャスの目は常に物事の真実を見抜くという噂があちらこちらに回っているのがその理由だ。だが今のイーケンには怯んでいる余裕はない。
「王宮に保管されていた機密書類の写しによれば、十五年前から十一年前まで情報を開示されていた将官は第三艦隊では三名です。そのうち一人は既に退役していましたが、退役後の記録を追うと三年前に死亡していたことが分かりました。さらにもう一人は二年前の南方遠征で戦死。そして、最後の一人が閣下でした。……死者が情報を他者に与えることは、不可能だと考えます」
「なるほど。そこまではよく分かった。だが私と河野とやらの繋がりを示すものは? それが無ければ私は罷免を認めない」
ユーギャスの目が揺れることはなかった。イーケンは黙ってその目線を受け止める。その隣でアルンがもう一枚の紙を取り出した。
「こちらの書状がその証拠になります。汰羽羅の者が持っていたものを翻訳したものがこちらになります」
彼女はトントンと紙面を叩く。
「ここに海軍上層部に内通者を用意したと書かれています。これまでの証拠と合わせますと、閣下の関与は決定的だと考えられます」
「だが私の関与が明白だとされているわけではない。罷免の理由としては弱すぎるのではないのかね?」
アルンは無言でユーギャスを見下ろす。天竜乗りの黄昏色の目は冷たい。
「閣下、天竜乗りは王家よりあらゆる特権を賜っております。天竜乗りと陸軍近衛兵の最大の違いは王家より賜った権限の広さにあります。なぜこの場に私がいるのかと疑問に思われませんでしたか?」
「権限だと……?」
ルオレの片頬がぴくりと痙攣する。アルンは青灰色の外套の内側から一枚の薄い金属板を取り出した。銀灰色の金属板を机の上に置く。その金属板には細かく文字が刻まれていた。
「天竜乗りの権限は対象の身分、年齢、性別に関係なく発動できます。誰であろうとその権限の前には無力です。我らが持ちうる中で最強の手札が、王家より賜りし権限です」
イーケンは金属板の文字を辿りながら乾いた唇を湿らせる。刻まれている文字列は、ありとあらゆる非合法な行為を王権のもとに許可するという内容だった。長々と文言が続き、最後には王家の紋章が刻印されている。それを突きつけ、ユーギャスを冷然と見下ろしたアルンは堂々と宣言した。
「権限をもってユーギャス・ルオレ、あなたを内通の疑いで拘束します」
天竜乗りの一言にその場が騒然となった。イーケンは慌ててアルンの胸ぐらを掴む。
「何を言っているんだ! そんなものに効力があるのか?」
「あります」
短く断言したアルンが右手を動かすと、背後に控えていたトーラとオーカが動き出した。二人はユーギャスに近寄ったかと思うとあっという間に彼の両腕を縛る。見ている方もやられた方も驚いて開いた口が塞がらない。いっそ暴挙とも捉えられる指示にトーラとオーカは黙って従っている。アルンの胸ぐらを掴んだままだったイーケンはガクガクとアルンを前後に揺らした。
「正気か、貴様ァ! 仮にも海軍大将をこんな強引なやり方で……!」
「我ら天竜乗りの権限は対象のあらゆる要素を無視して行使することが可能です。証拠は十分ですし、彼は書類上では既に罷免されています。最早海軍大将ではなくただのユーギャス・ルオレでしょうが」
イーケンは思わず言葉を失った。頭を強く殴られたような衝撃が走り、両目を大きく見開く。反対側の冷たい黄昏色がイーケンを見つめていた。
「あなたは、一体何を見ていたんですか?」
「それは……」
アルンの襟から手を離し、イーケンは唇を噛み締めた。ついでに目も閉じてから押し殺した声で応じる。
「そうだな。ここで憂いを絶たねばもう手がつけられなくなる。多少の暴挙も、最悪の結末に比べれば安いものか」
「もう彼は大尉の上官ではありません。内通者であり、許されざる大罪人です。誰であろうと罪は罪。そして罪は……」
「すべからく、償わねばならない。それがあるべき正義の姿だ」
かすれた声が床に落ちる。扉の向こうに消えていくユーギャスの背中を追って、イーケンは廊下に飛び出した。アルンが慌てて追いかければ彼はユーギャスに向かって敬礼している。ユーギャスが階段を下って見えなくなると、右手を下ろしたイーケンが目を合わせずに言った。
「俺の才を見抜き、然るべき場所に配置してくださった。あの方がいなければ今の俺はいなかったはずだ。私情を挟むべきではないと分かってはいた。だが、そう簡単には割り切れなかった」
ぎり、という歯の軋む音をさせたイーケンに、アルンは淡々と告げる。
「私は戻って尋問に参加します。白苑殿下には私から委細をお伝えします」
「俺の仕事は? それにテーカンは?」
「テーカンの尋問は既に開始されています。大尉は私からの連絡を待ってください」
それでは、と言って一礼したアルンはイーケンを残して建物から出て行く。その銀髪の残滓を目で辿りながら、イーケンも一歩踏み出した。
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