マツバとわたしの3日間

まび

第1話


 久方ぶりに大勢の人で賑わう我が家で、この家の一人娘である柳谷椿はうんざりしていた。

 今日は1日、「これが一番お似合いです」と3時間の試着の果てに選ばれた藤色のドレスを纏い、微笑みをたたえながらスカートの裾をつまんで「ごきげんよう」なんてご挨拶をしなければいけないのだ。年頃の女性らしく。見栄えよく。愛想よく。そんなことはもうわざわざ言われやしないが、女優じみた笑顔はもう身体に染み付いている。

 ドレスの裾が重い。

 コルセットでお腹が苦しい。

 踵の高い靴で脚が痛い。

 だけど女のオシャレは我慢から。背筋をすっと伸ばして、せめてみっともなくないように。

 今日1日の辛抱だと気合を入れた所で、後ろから声をかけられた。


「こんばんは、椿さん。お誕生日おめでとうございます。」


 振り向けば、丁寧に一礼するドレス姿の女性があった。頭の中で、その人に関連するデータを引っ張り出す。最近父の取引先として台頭してきた鳴宮家の一人娘。会うのは二度目。この家に来るのは初めて。趣味はテニスとキツネ狩り。直前に頭に叩き込んだ情報を思い起こしながら、おおげさに喜んでみせる。


「まぁ、遥さん!ありがとうございます。」

「お招きありがとう。本日は父の名代で参りましたの。佳き日にご同席できて嬉しい限りですわ。」

 深々頭を下げる遥に、慌てて顔を上げさせた。

「鳴宮家の方にこんなに頭を下げさせたと知られては、きっと父に叱られます。」

「まぁ。椿さんってほんとうに面白い方。」

 年上のお客さまはふふふ、と手を口元に添えて上品に笑う。

「今日あなたとお酒を楽しめないのが残念だわ。再来年にはご一緒致しましょうね。」

「えぇ、もちろんです。」


 遥は穏やかに笑顔を絶やさず椿にお祝いの言葉を述べておとなしくしているが、その興味は椿の後ろ、ソムリエが控えるワインセラーにあるようだ。柳谷椿の誕生日には毎年この日のためだけに作られた特別なワインが用意されていることをきっとどこかで聞いたのだろう。

 鳴宮遥は、柳谷椿よりもぶどうのお酒がお好きらしい。気持ちがすっと冷えて、貼り付けた笑顔が引きつるような思いがした。


 遠くに控えた部下の鹿賀原に視線をやれば、勿論目が合う。鹿賀原はスッと近寄ってきて、「お嬢さま、あちらでお待ちの方が。」と頭を下げた。一筋の乱れもない老執事のオールバックに視線をやりながら、椿はめいいっぱいの愛想を持って、柔らかい笑顔を作って見せた。


「まぁ、お待たせしては大変ね。遥さん、失礼します。今日は楽しんで行って下さいね。」

「ありがとう存じます、椿さん。いってらっしゃい。」


 手をふる遥に見送られて、鹿賀原の後をついていく。勿論、椿を待つ人なんていない。


「ありがとう、鹿賀原。」

「いえ。では、私は控えておりますので。」


 鹿賀原が立ち去って見れば、この広いテラスには椿以外誰もいなかった。流石鹿賀原、気が利いていること。椿はひとりごちて、ベンチに座ってため息を吐いた。


 あぁ、今夜は長い夜になりそうだ。



 顔をしかめた椿は退屈そうに床を蹴っ飛ばした。どうせ誰もいないんだ、お行儀が悪いとひそひそ話をされることもない。

 『オタンジョウビパーティー』なんてのは名ばかりで、心の底では誰も彼もが椿のことなどどうでもいい。パーティー会場で椿がやることといえば、にこやかにあいさつをかわし、無難に、そして印象良く振舞ってお客様に楽しんで帰っていただくことだけ。

 柳谷という家に生まれながら、華やかな世界を楽しみきれないことが椿の不幸だ。どんな言葉にをもらったって心の底から喜ぶことができない。だって、ここで会う人の一人だって、柳谷の娘でない椿と親しく付き合ってくれるだろうか。今日我が家に招かれた人々は皆父の仕事の関係者で、椿が自分の意志で呼んだ人なんていやしない。この会場の誰と話そうと、父の立場がつきまとう。そんな事情に、もう疲れてしまった。いっそ仕事だ義務だと思ってお仕着せされていた方が楽かもしれない。


 ――――――――誕生日なんて面倒臭いだけじゃない。


 ふと覗き込んだ噴水の水鏡に映った、疲れた顔をのぞきこむ。


「やぁ、こんばんは。」


 爽やかな軽い調子の声に視線を向ければ、若い男が一人。正装に合わせたつばの浅い帽子を被っている。それくらいしか特徴が無いような、どこにでもいそうな男だった。

 けれども、ただ挨拶をしただけだというのに、椿はその男が普通の人ではないような気がした。まるで舞台の上でスポットライトが当たっているかのような存在感が有るのだ。


 この爽やかな声と芝居がかった話口調。もしかして役者さんかしら。


 椿がそんなことを考えている内に、男は長い脚でスタスタ距離を詰めてきて、直ぐ側から椿を見下ろした。

「柳谷椿さん。華族のお嬢様にお目にかかれるなんて、光栄だなぁ!」

 まぁ、なんていかにもうさんくさい。

「———こんばんは。本日はお越し頂きありが「あぁ、良いんだ。俺はお上品な形だけの挨拶を聞きに来た訳じゃない。」・・・・・・・はぁ。」


 呆れたことだ。正直にも程がある。思わず口から気の抜けた言葉が出てきたのを咳払いでごまかして、背筋を伸ばす。柳谷の娘らしく上品に、気高く、凛としてなきゃ。ぐっと顎をひいて、男の目をまっすぐ見つめる。このばか正直な世渡り下手が次に何を言うのか、少しだけ楽しみにしながら。

「そうですか。では、何をしに?」

 椿の視線をまっすぐ受け止めながら、男は嬉しそうににっこり笑って帽子のつばをちょいと持ち上げ、椿にだけ聞こえるように言った。


「誘拐さ。」

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