爆死! かぎろ劇場2 ~アドベントカレンダー2021~

かぎろ

1日 【掌編/コメディ】殴れメロス

「待て。その人を殺してはならぬ。メロスが帰って来た。約束のとおり、いま、帰って来た。」


 メロスは大声で刑場の群衆にむかって叫んだつもりであったが、喉がつぶれて嗄れた声がかすかに出たばかり、群衆は、ひとりとして彼の到着に気がつかない。それでも最後の勇を発揮し、


「私だ、刑吏! 殺されるのは、私だ。メロスだ。彼を人質にした私は、ここにいる!」


 と、かすれた声で精一ぱいに叫びながら、ついに磔台に昇り、釣り上げられてゆく友の両足に、齧りついた。群衆は、どよめいた。あっぱれ。ゆるせ、と口々にわめいた。セリヌンティウスの縄は、ほどかれたのである。


「セリヌンティウス。」


 メロスは眼に涙を浮べて言った。


「私を殴れ。ちから一ぱいに頬を殴れ。私は、途中で一度、悪い夢を見た。君がし私を殴ってくれなかったら、私は君と抱擁する資格さえ無いのだ。殴れ。」


 セリヌンティウスは、すべてを察した様子で首肯うなずき、刑場一ぱいに鳴り響くほど音高くメロスの右頬を殴った。

 メロスと感覚を共有している暴君ディオニスは「ほぐぉっ。」と呻いて右頬を抑えた。

 セリヌンティウスはメロスに向けて優しく微笑んだ。


「メロス、私を殴れ。」

「あの。ちょっと待って。何故わしにまで痛みが。」

「同じくらい音高く私の頬を殴れ。私はこの三日の間、たった一度だけ、ちらと君を疑った。生れて、はじめて君を疑った。君が私を殴ってくれなければ、私は君と抱擁できない。」


 メロスは腕に唸りをつけてセリヌンティウスの頬を殴った。セリヌンティウスとも感覚を共有している暴君ディオニスは「何で。」と叫びながら引っ繰り返った。ディオニスは激怒した。必ず、この、なに?この不可解な現象を終わらせなければならぬと決意した。ディオニスにはわけがわからぬ。ディオニスは、シリアス要員である。

 そのような暴君のことなど気にせず、二人は、


「ありがとう、友よ。」


 同時に言い、ひしと抱き合い、それから脇の下をくすぐり合った。メロスとセリヌンティウスとディオニスは爆笑した。わけがわからぬ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る