第二部 中級冒険者編
四章 湖のほとり
第53話 ex.旅神大聖堂
迷宮都市上級地区――旅神大聖堂。
旅神教会の上層部が集まるこの場所で、調査の報告が行われていた。
「それで、最後の議題ですが」
厳粛な空気の中、議長席に座る男……神官長ニコラスがパタンと本を閉じた。
神官たちのトップの地位にいるにしては、三十歳前後と若い。だが、日々の疲れが顔に浮かび、やや老けて見える。
「“魔物の男”について、対応を協議いたしましょう」
「つーか、間違いない情報なのか? 翼に尻尾、爪に鱗? なんかの見間違いじゃねーのか?」
「口を慎みなさい、ギルドマスター。
「あ?」
冒険者ギルド、ギルドマスターのヒューゴーが眉を寄せて凄んだ。
すでに引退したが、元々上級冒険者だった男だ。その威圧感は健在である。
この会議室には上級神官やギルド幹部も含め十人程度がいるのだが、二人のやり取りに口を挟もうという者はいないようだった。
「旅神の庇護下にある迷宮都市で、魔物の部位を持つ人間など存在してはならないのです! いや、もしかしたら魔物が人間に化けた姿かもしれませんっ! これは放ってなどおけない! リーフクラブが脱走した件にも関わっているようですし!」
神官長ニコラスはどん、と机を叩いて、甲高い声で叫んだ。
「魔神教会の手の者に違いない! 私は、即刻処刑を求めますぞ!」
「きゃんきゃんうるせーな……。いいじゃねえか、ヴォルケーノドラゴン倒したんだろ? そいつ。じゃあ魔神教会とは関係ないだろ」
「それが敵の作戦でないとどうして言い切れるのです!? 今回の件で、魔神教会は魔物を自由に持ち運ぶことが可能だと判明しました。いつ迷宮都市に魔物が解き放たれるかわからないのです! 対応は一刻を争いますぞ!」
頬杖をついて気だるそうなヒューゴーと、怒り心頭のニコラス。会議が始まってから、何度か見た光景だ。
先日、ドラゴン騒動の首謀者であるウェルネスの尋問が終わった。
だが、得られた情報は少なかった。どうでもいい小犯罪の証拠は山ほど出て来たが、肝心の宝玉の出どころについては「通りすがりの老人に貰った」とだけ。
相手の素性も場所も、彼は知らなかった。
「だったら、早く魔神教会を捕まえてくれよ。尋問の成果がなかったからってイライラすんな」
「だからですね! くだんの男を尋問すると言っているのです! だいたい、冒険者風情が教会に逆らうなど――」
「おい」
ヒューゴーの声が一段低くなった。鋭い刃のようなその一言で、ニコラスがうっと閉口する。
「冒険者は命を懸けて魔物を狩ってんだ。あんたらが信奉する旅神のためにな。死ぬ覚悟で、夢を追ってんだよ。確証もねえのに、冒険者の自由を奪おうってんなら――潰す」
「……ふ、ふん。旅神教会がなければ活動もできない奴らが偉そうに」
「それはお互い様だろうが」
ギルドマスターのヒューゴーは、かつてエッセンと同じように頂点を夢見た冒険者だった。
冒険者をしているような者は、みんな何かしら、命を天秤にかけてもいいと思える夢を持っている。それを、誰よりもわかっていた。
だから、引退した今では、そんな冒険者たちの夢と自由を守ることが使命だと考えていた。
「しかし私は迷宮都市のために……」
神官長ニコラスも悪人というわけではない。むしろ、強すぎる正義感を持つ故の行動だった。
疑わしい者を全員罰する。それができるだけの権力と大義が、彼にはある。あるいは、問題解決だけを目的とした場合、それが正しいのかもしれない。
ある意味、この二人がツートップにいることでバランスが取れているとも言える。
「ニコラス」
ぼそっと、か細い声がした。
その瞬間、会議室の空気が塗り替わる。誰もが手を止め、身じろぎ一つしない。まるで動いたら殺されるとでも思っているような緊張感。
「冒険者……信じてあげて」
「み、神子様……」
「ニコラスも……ヒューゴーも……おこらないで」
まだ年若い少女だ。
はっとするほどに美しい。ガラス細工のように、触れたら壊れてしまいそうなほど美しくて、幻想的だ。
陽の光を思わせる黄金の髪と、透き通る肌、小さな身体。全てが庇護欲を駆り立てる。
「ほら、神子ちゃんもこう言ってんだろ」
「ギルドマスター! 旅神の力をその身に宿す現人神であられるお方に、なんという口の利き方を!」
神官のトップは神官長だ。
だが、旅神教会で最も尊いのは、神子である。個人名は必要ない。神子、あるいは旅神の子と呼ばれる。
神子は必ず存在するわけではなく、神が危機を察すると産み落とすとされている。現存するのは旅神の他には、技神の子だけだ。
「こ、こほん。神子様がそうおっしゃるのなら、一旦様子見をしましょう。幸い、居場所はわかっているのですから」
「つーか、後ろめたいことがあったら逃げるだろ、普通」
「だまらっしゃい! 上級神官フェルシー! こちらに来なさい」
ニコラスが呼んだのは、彼が信頼する神官の一人だった。
「は~い」
「あなたはもう少し緊張感を……いえ、今はいいでしょう。あなたは“魔物の男”の監視につきなさい。可能なら接触し、確かめるのです。旅神教会に敵対する者なのかどうかを!」
「エッセン様にはボクも興味あったからね。任せてよ、しんかんちょー」
「あなたの信仰心は信頼していますよ。言葉遣い以外はね」
監視をつけることに否やはないのか、ここが落としどころだと判断したのかは不明だが、ヒューゴーは反対しなかった。ふんとつまらなそうに鼻を鳴らすのみだ。
「フェルシー……最初から疑ってかかったらだめ……だよ」
神子がおずおずと忠言する。
フェルシーは恭しく頭を下げると、踵を返して会議室を出て行った。
ぞっとするほど妖艶な笑みを浮かべて。
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