暴れん坊陛下~皇帝陛下は掃除の邪魔だからと執務室を追い出されたので身分を隠し城下に降りて悪を討つ~
碧崎つばさ
第1話 暴れん坊陛下
陛下、城下に降りる
「出てってください!」
ドアが開け放たれ、一人の青年が追い出される。
転びそうになる勢いをなんとか留めながら、困ったように彼は振り返った。
「いくらなんでも……執務室から追い出すことはないだろう」
追放された執務室の扉は、すぐさま閉じられた。
重々しい扉は固く閉ざされ男の入室を拒む。扉の奥からは数名の女性達による嘲笑うかのような笑い声が聞こえてくる。
彼が執務室から追放された理由は簡単だ――掃除の邪魔だから。
「仮にも、この国の皇帝なんだがな……」
仕方ない、と諦めた青年は執務室を後にし、廊下を歩き出す。
纏った服は派手すぎず地味すぎず、しかしながら誰よりも風格があり赤いマントが力強く翻る。
二十を超えた年頃の青年にはまだ青さが残る顔立ちだ。しかし放つ威厳は年齢とはかけ離れ、彼が一歩歩き出すだけで場の空気が一気に引き締まっていく。
彼の名はバルド。バルドロメオ・ヴァルドリア・アリエスト。
このアリエスト帝国の若き皇帝である。
「これは、陛下」
彼が廊下を歩けば誰もが道を譲り丁寧に傅く。文官も兵士も、将軍でさえも。
皇帝とすれ違うなど、まして歩む先を横切るなどもっての外。ドラゴンの前を大股で歩く間抜けがいないように、それは帝国の臣民であれば当然のことだ。
「みな励んでくれ」
若き皇帝は彼等の忠信に、ねぎらいの言葉で応えていく。
偉ぶらず、卑下もしない。相手が誰であれ平等に優しく接する姿もまた皇帝として当然の行いでもあった。
何人かの臣下が頭を下げる廊下を進み、やってきたのは彼の私室。
中は皇帝の私室と呼ぶには些か不釣り合いな、特別豪奢でもない部屋。
だがそこは皇帝の彼にとっては、数少ないプライベートな空間でありその小さな佇まいを彼はよく気に入っていた。
「お帰りなさいませ」
使い慣れたソファに腰を下ろすと、メイドが一人やってくる。
こじんまりとした体。頭髪はレースのついたヘアキャップに収められていたが、うなじからかすかに、艶のある黒髪が覗けた。
彼女はまるで彼がこの部屋に戻ってくるのが分かっていたかのように、間を置くことなく紅茶を差し出すと、粛々と部屋を去っていった。
部屋に一人となった若き皇帝は、差し出された紅茶を一口。
澄んだ赤色をした紅茶は、雑味のない味を口の中へと広げ、甘い香りをほのかに香らせる。
「ふぅ……今年の茶葉の出来もいいようだ」
紅茶を飲んで、ひとごこち。
お茶の香りを楽しみながらソファに背を預け、見慣れた天井を仰ぐ。
「平和だな」
彼の治めるアリエスト帝国は平和である。
魔獣との大戦から十年。復興に時間はかかったが、それでもかつての混乱が嘘のように、大きな問題も無く平穏な日々が続いている。
そのため皇帝である彼の仕事はほとんど無かった。掃除で邪魔だからと執務室を追い出されてしまうほどに。
「暇になってしまったな」
読みかけの本でも読もうかとするが、それも先日読み終えたことを思い出す。
家臣達にも色々趣味を薦められたが、どれもパッとせず。仕事に至っては午前のうちに今日の分どころか、今月中に済ませねばならないものまで終えている。
「困った……やることがない」
平和なことはいいことだ。だが同時に暇を持て余すことも増えていた。
バルドは紅茶のカップを片手に、私室の窓から外を眺めてみる。
空は晴れ渡り雲一つ無い。その下に広がる城下は今日も平和。人々が街を行き交い、活気のいい賑やかな様子が窺える。とても楽しそうな光景であった。
その時、彼は思いついた。
「影、影はいるか」
「はっ」
若き皇帝が声を上げて振り返る。
するとどこから現れたのか、誰もいなかった私室にもう一人の男性が。
音もなく跪くその男。しかしながらその風貌は些か奇妙である。
若き皇帝と同じ服装をし、同じ背丈に同じ体型。さらには顔に至るまでそっくりだ。それはまるで――
「いつ見ても、鏡を見ているようにそっくりだな」
「でなければ影武者は務まりませぬ」
「それもそうだな。これから城下に行こうと思う」
皇帝そっくりの男は短く返事を返し、主の意向を推しはかる。
「視察でございましたら、近衛の方にお伝えし馬車とパレードの用意を」
「いや、そうではない」
しかし若き皇帝の考えは、影と呼ばれた男のものとは僅かに違っていた。
「公的な視察をするのなら、私から直接伝えている。お前を呼んだのは別な理由だ」
「お忍び、でございますか」
若き皇帝は静かに頷いた。
「城下の人々が、普段どんな暮らしをしているのか。それを知るのも皇帝の役目。人々の普段の暮らしぶりを知るには、大仰なパレードや視察では分かるまい」
「では私をお呼びされたのは、陛下が不在の間の替え玉ということで?」
「察しが良くて助かる」
いくら平時とは言え、突然城内から皇帝の姿が消えれば大騒ぎになってしまう。そのために影武者を置こうとバルドは考えていたのだ。
「頼めるか?」
「はっ。何卒お気をつけ下さいませ……と、申しあげるのも失礼でございますね」
若き皇帝にそっくりな男は、小さく笑った。
「かつて襲来した魔物の軍勢を退けた陛下には、余計な心配でございました」
フッ、と若き皇帝の口から子供のような笑顔が零れる。
「いや。その心遣い、確かに受け取っておこう」
そう言い残し、バルドはクローゼットに隠してあった一般市民の服にいそいそと着替えた。
そして大きな鏡の裏に隠された秘密の通路を通り、城下へと降りていく。
それはまる、で子供が外に遊びに行く時のような期待に溢れる足取りだった。
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