第2話 富士山とエースのピッチャー

「おい。おい。おいって」

 どかっ。

 後ろの席の男子生徒が椅子を蹴り上げてきた。私は真顔で振り返って彼を見た。

「おまえ、鏑木の推薦生の荻野弥生だろ。おまえ授業サボってどこ行ってんだよ」

「なんで私の名前を知ってるの?あなたはどなた?」

 私はクラスメイトである彼に警戒心を緩めることなく慎重に話しかけた。

「推薦生の生徒って学年にひとりしかいねえから目立つの。俺は渡部。サッカー部のキャプテンやってんだ。情報通だからなんでも聞いてよ。あ、でも俺の彼女やきもち焼きだから気を付けてね」

 渡部、と名乗った生徒は早口でまくし立てた。

「そう。よろしく」

 私はそれだけ言うと前に向き直って、続きのページを捲った。

 どかっ。

 私は再度振り返った。

「なんで授業サボってんのか訊いてんの」

「サボってたんじゃなくて、聖歌隊に入るように言われて講堂で賛美歌を暗唱してるの。聖書の先生がちゃんとついていてくれているのよ」

 聖歌隊?それは初耳だなあ、と渡部くんは呟いた。情報通なんじゃないんかい。

「それよりおまえ、部活どうすんの?まだ決めてないだろ。もし帰宅部なら俺の駒にする」

 駒?私は首を傾げた。渡部くんの言葉を無視して前に向き直った。

 どかっ。

 三度、椅子を蹴り上げられた私は、読みかけのページに栞を挟み、本を鞄にしまって席を立った。

 担任の先生に座席の位置を変えてくれるよう、直談判した。

 私は廊下側のいちばん後ろの席になった。隣の席は、坊主頭の剣道部員の佐々木くん。

これで静かに過ごせる、はずだったのに、渡部くんまで座席を移動させて、また私の後ろの席に。

「なんでついてくるの?」

 私は不機嫌を隠さず渡部くんに言った。

「俺、素行不良で問題児だから、模範生の後ろなら大人しくしますって言ってこの席にしてもらった」

 渡部くんは嬉しそうに言った。素行不良の生徒を一介の女生徒に押し付けるんかい。担任の先生は信用できないな。私はため息をついた。

「その席なら大人しくするって言ったなら、約束通り大人しくしてろよ」

佐々木くんが言った。

「そんなにふたりして嫌がんなよ。お詫びになんでも教えてやるよ。情報通って言うのは嘘じゃないぜ」

「サッカー部の情報なんて、真に受けない方がいいって」

「 まあ、そう言うなって」

剣道部の佐々木くんは、サッカー部の渡部くんのことをあまり良く思ってないみたい。私は少し考えて、

「”富士山”ってわかる?」

 と渡部くんに訊いてみた。

「”富士山”ってあれだろ。藤原さんのことだろ。もちろん知ってるよ。下北沢の王様」

渡部くんがそう言うと、佐々木くんが、それじゃあわからないだろ、と言って教えてくれた。

「藤原さんはね、音楽の甲子園と呼ばれる大会で優勝したひとなんだよ。バンドのボーカルとギターを担当していて、日本一になったその曲は藤原さんが作詞作曲したものなんだ。だから“富士山”って呼ばれているんだよ」

「自分で曲作って唄って弾いて、日本一なんて凄いね」

「俺もそう思うよ。日本で一番なんて想像もつかない」

「藤原さんの日本一の偉業はすげえよ。影響力は半端なくでけえよ。藤原さんはな全国制覇して、今度はこの学校を制覇しようと狙っているんだよ」

 渡部くんの言っていることが飛躍し過ぎて、把握しきれない。

「藤原さんは音楽で全国制覇したあと、なんでうちの学校を制覇したいの?」

「理由は、俺にも、わからねえ。とにかく頂点の覇者で逆らえねえ。俺はサッカー部の先輩にも逆らえねえが、先輩も逆らえねえから余計逆らえねえ」

  渡部くんは、わかってねえなあとでも言いたげな顔をした。

「逆らえねえなんて言ってんのサッカー部だけだろ」

 佐々木くんが言った。

「この学校の頂点は、野球部のエースのピッチャーだって聞いたよ。一番信頼できるのは野球部員だってことも」

 私は理花子先輩から聞いたことを思い出しながら話した。

「おまえは馬鹿か、そんな表向きの優等生の言うことなんて戯言なんだよ。大体おまえはなんでそんなに野球部員を信じてるんだ」

「共学にするときに野球部員は特別枠だったんだって。理事長の肝入りで、共学にする学校を守るためにそうやって部員を集めたって聞いたよ」

「剣道部の先輩がこの学校の理事会もほとんどの人が野球部のOBなんだって言ってた」

「野球部員だって男だろ」

「高校球児は尊いよ」

「おまえは甘すぎるね。この学校を裏で牛耳ってるのは”富士山”と呼ばれる藤原さんの一味で、誰も逆らえないんだって」

 渡部くんは大袈裟にそう言った。私は渡部くんの話しを聞いて、疲労感が増した。

「誰も逆らえない、なんてこと、ないだろ」

「そうだよ」

 確かに藤原さんの影響力は大きいかもしれないけれど、私は学校を守るために、学校を背負ってマウンドに立つ、この学校のエースのピッチャーを想った。その一球は、私たち生徒にとっては、”富士山”の日本一にも劣らず、大切な一球なのではないかしら、と思った。

 ”富士山”と呼ばれ、皆から音楽の神様と言われる藤原さんってどんなひとなんだろう。藤原さんの日本一の曲ってどんな曲なんだろう。私の大好きな草野正宗さんより素敵なんだろうか。我が校を背負ってマウンドに立つ、エースのピッチャーよりかっこいいんだろうか。

私は多くの女子生徒をバンギャルちゃんにしてしまう、“富士山”こと音楽の神様と呼ばれる藤原さんの存在を不思議に思った。


 



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