肆.愛を誓います

 何故だろうか。

 先ほどまで感じていた夏の暑さが無くなり、とても寒く感じる。

 それもそのはず。

 私は今、全身から大量の冷や汗を流しているのだから。

 勢いで相手にひと夏の愛をしようと言ったが、あれは小説の中で二人が愛を囁き合ったから起きた現象なのであって、出会って早々に言うセリフではないことに気付いてしまったからだ。

「やっ、えっと……違うの。えっと……」

 混乱して何を言いたいのかがわからなくなってしまった。

 そんな私を彼は先ほどとは異なり、真剣な眼差しでこちらを見てきた。

「あの……何かあったのであれば、力になりますよ」

 先ほどのチャラかった彼とは違い、真面目なトーンで話しかけてきている。

 本当の彼は今のような真面目な人なのかもしれない。

「あのね、私達……もしかしたら呪われてしまったかもしれないの」


 そう言うと、私は彼に説明をした。

 海の先、遠くの方にいる人らしき影に、これから起こるであろう惨劇について。

 そして、その呪いから逃げきるには二人が愛し合わなければいけないと言うことを。

 どう聞いても、頭のおかしい人に感じるだろう。

 なんて言ったっていきなり出会った女が、死にたくなければ私を愛せと言ってくるのだ。

 どう考えても狂気じみているだろう。

 彼は黙り込んだまま、考え事をしているようだ。

 そりゃあ、今のところ何も起きていない。

 それなのにどうしてこんな女の言うことを聞かねばならないと思うのが普通だ。


 彼が考えごとをしているので、私は影のいた海の先に視線を移動した。

 影は先ほどと変わらない場所にいる。

 どうして動かないのだろうかとじっと見つめていた。


(そいえば、影がセリフを言うのは二人が愛を囁き合ったからだったよな……)


 私はそんなことを思いつつ、あのドラマを思いだしていた。

 母親が夢に化けて出るのは、主人公か婚約者のどちらかがお互い以外の誰かに愛を囁いた時だった。

 それは本物の愛なのかと聞いてくるのが、当時の私には恐怖だった。

 なぜ幽霊が、人の恋愛に口出ししているのかと。

 子どもじゃないんだから、温かい目で見ろよと思っていた。

 まぁ、最後は主人公と婚約者が元鞘に戻り、ハッピーエンドかと思った。


 ……が、場面が変わって交通事故に二人が遭って死んでエンディングを迎えたのも衝撃的だった。

 父親は号泣してるし、母親は無表情で煎餅を食べているしで、私はどのような表現をすればよいのかわからない気持ちでいっぱいだったのを覚えている。

「……愛か」

 私はボソッと呟いた。

 その時、私の頭の中でキラッと輝くようなひらめきがあった。


(そいえば、私は影を見て焦ってひと夏の愛をしようとか言っちゃったけど、彼は何も言ってないじゃん!!つまり、まだ呪われていない⁉)


「ちょっ!!話を聞い……」

「あっ……愛します!!」

 彼はとうとう心に決めたようだ。

 私に対して、愛を誓ってしまったのだ。

「ああああああああああああっっっ!!!!!!」

 私は奇声を上げたが、時すでに遅しだった。


『ホントウニ⁇』


 その瞬間、身の毛がよだつ声と冬のような冷たい風が襲った。

 冷たい風に襲われて、身体を縮こませる彼を見つめていた。

 残念なことに、私の水着は温かいのだ。

 お店の人に、冬でも沼で泳げるよう作ったと言われるくらいだ。

 こんな風ではビクともしない。

 少しすると、冷たい風が止んだ。

 すると、先ほどまで明るかった海岸が、薄暗い世界に変わっていた。

 空は暗い紫色で、海はどす黒くなっていた。

「えっ⁉これって……本当に……」

 驚愕する彼を横目で見た後、影のいる海を見つめた。

 暗い影はゆっくりと浜に近づいてきた。

 近づくにつれて徐々に姿が見えてきたのだ。

 真っ白なぶよぶよの肌に、わかめのような真っ黒く長い髪、目や鼻は膨れた肌で潰れているが、大きな口だけはニヤリと笑っているのだ。

「ひっ……」

 彼は驚いて、後ずさっていた。

 だが、後ろに行ったところで、そこはもう行き止まりなのだ。

 身体部分が少しずつ見えてきたのだが、左肩部分は普通で、黒っぽく汚れたシャツが見える。

 だが、右肩側は無い。

 見えない部分は真っ黒くなっているだけで、血が出ているわけでもなかった。

 腰から下は溶けた様にくっついた足が潰れている。

 まるで蛇の舌のような下半身なのだ。

 そう、私の書いた作品通りの見た目なのだ。


「とりあえず、逃げるか」

 私は彼の腕を掴み、洞窟があると思われる方向へ走り始めた。

 彼はまだ状況が理解できていないようで、混乱していた。


「……ここでよし」

 私と彼は洞窟の陰に隠れて、声を殺していた。

 少ししたら、あのバケモノは洞窟の中に入っていったのだ。

「……あれ、マジなんすね」

 青ざめた顔で彼は私に聞いてきた。

 まさか彼に言わせてしまったその言葉のせいで、呪いがスタートしたなんて言えるわけがない。

 とりあえず、真面目な顔をして頷いておいた。

「……とりあえず、この呪いから解放される方法はあのバケモノの前で私たちの愛を見せつけなければいけない。だから……どうすればいい⁇」

 やはりここは、先ほどまでチャラい姿を見せてきた彼に聞くほうが良い。

 きっと彼なら、良い案を出してくれるだろう。

「……無理っす。俺、もともとただのスポーツ馬鹿で、彼女とか今までいなかったっす。好きな女の子に告白できずに、ここで鍛え上げようと来たくらいなんすから」

 そうか、やはり真面目な人間だったのか。

 好きな子に告白できないのに、チャラ男になってナンパする勇気には感心してしまう。

 だが、それ以上は厳しいのかもしれない。

 そう考えたら、ここは私が考えるしかない。

「何か……良いアイデア……」

 ブツブツと言いながら、悩んでいると彼はこちらをじっと見てきた。

「お姉さん、カッコイイですね」

「えっ何が⁇」

「こんな怖い状況でも、テキパキと動けて……俺、怖くて……訳が分からなくて何もできないって言うのに……本当に情けないっすよね」

 そう言うと、彼は体操座りをして落ち込み始めた。

 そりゃあ、私と違って彼は初めての体験だろう。

 何が起きてるかわからないのに、テキパキ動けたらそれこそ凄いと思う。

「よし!!私のことはと呼んで!!」

「えっ⁇どういう……」

「とりあえず、カップルっぽく愛を語るなら形からでしょ⁇私のことはみーちゃんと呼んでね!!君は……」

 彼の名前を聞いていないことに気付いたが、どのように聞けばいいのかわからない。

 今更名前を聞くに聞けない。

 頭をフル回転させて、私は言ったのだ。

「……ダリー!!ダーリンのダリーにしよう!!!!」

「だっだりーっすか⁇」

 彼は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして、こちらを見ている。

 私は力強く頷いた。


 だと結婚してそうだ。

 そうしたら、私の頭に思いついたのがだけだった。

 だが、彼をダーリンなんて呼んでいたら、私が恥ずかしくて居たたまれない気持ちになりそうなので、ダリーにしたのだ。

「じゃあ、ダリー⁇今から私達は愛し合うの。この夏、永遠の愛を誓うのよ!!」

 私はダリーに、力強い声で言った。

 私自身にも言い聞かせるように。

 ダリーは不安げな顔をしつつ、頷いたのだ。

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