伍.初日の出

「なぁ。後どのくらいこんな状態なんだ⁇」

 猿がなぜか私について来ている。

 だが、仕方ない。

 お店の廊下が異様に長い一本道になってしまったのだから。

 うめき声をあげながら、ゆっくりと列を組んで追いかけてくるゾンビの数ももう数えられないほどだ。

「明日の日の出って何時だっけ⁇」

「はっ⁇えっ、確か七時前だった気がする」

「じゃあ今から後八時間くらい」

 猿が何か喚いているが、それどころではない。

 無視して歩き続けた。

 日の出が出たとしても、現状だとこの場所は室内だ。

 それではゾンビが陽に当たらないので、消滅する事なく追いかけてくる。

 とにかく外に出れそうな道でも見えたら、出なくてはならない。


「海藤……足痛くねぇの⁇」

「痛くない」

「俺、新しい靴で足痛いんだけど」

 だから何だと言いたくなるような話を、猿は私にしてくる。

 足よりも猿に話しかけられるほうにイライラが募っている時、私のスマホが鳴った。

「はい」

「あっ、みのみの!!生きてますかー⁇」

 ガヤガヤと賑やかな音とモリモリの大声が聞こえてきた。

「裏切り者のモリモリですか。何か用か」

 私はいつも発狂していたので、怒りが溜まると大騒ぎするのかと思った。

 だが、実際はそうではないようだ。

 冷静にキレているのだ。

「いやだなぁー、山田先輩がみのみのだけなら大丈夫だろうって言ってたんですよー」

 山田の野郎め、お前には禿げる呪いをかけてやる。

「で、なんで電話してきたの⁇」

「あっ、そろそろなんですよ」

 そう言うと、モリモリはカウントダウンを始めた。

 もしかしたら、私を助ける手立てでも見つけたのだろうか。


「五、四、三、二、一……ハッピーニューイヤー!!新年あけおめーっすよ!!!!」

 モリモリの声と共に、後ろでドンドンと音がする。

 多分、花火でも上がっているのだろう。

「モリモリ」

「はい、なんでしょう⁇」

「末代まで呪ってやっからな」

 そう言うと、私は電話を切った。

 モリモリは頭の回転がは早いが、脳内お花畑の野郎だ。

 人が危機に陥っていても気にしない上に、自分が危機的状況でも楽しんでいるやつだ。

 一瞬でも可能性を感じた私が馬鹿だった。


「うわぁっ⁉」

 電話からどのくらい経ったのかわからないが、未だに廊下を歩いている。

 まるで同じ場所をずっと歩いている気がして、嫌になりそうだ。

「ちょっ、海藤!!」

 舌打ちをして振り返る。

 ドタッという音がしたのだから、予想はできていた。


 猿はコケたのだ。


 小説通りにコケたのだ。


「上手く立ち上がれねぇから手を貸して!!」

「来世では人間に生まれろよ」

 そう言うと、私は猿に背を向けた。

 もしかしたら、小説の通りに猿がゾンビに襲われて死んでしまうかもしれない。

 だが、これからずっと猿の話題さえ聞かなければ死んだかどうかもわからない。


 そう、これは夢だ。


 夢の中だから、猿を無視しても大丈夫だ。

 それに、ゾンビとの距離もかなりあるから自力で頑張ればよい。

 私は私を説得させて歩き出そうとした。

「待って、マジで!!助けてくれたら、お前に関わる秘密を一つ教えてやるから!!」

 その言葉に私は、歩き出そうとする足を止めた。

 そして猿を見つめる。

 俺を信じろと言わんばかりな目でこちらを見つめ返しているが、私に関わる秘密って事は、私が知っているのが当然ではないか。

「マジでビックニュースだから!!ねっ!!お願い!!」

「ちっ、仕方ない」

 そう言うと、私は猿に向けて足を出した。

「えっ……⁇」

「手は触りたくないから、足で」

「逆に掴みづらいに決まってんだろ⁉諦めて手を出してくれよ!!」

 顔を赤らめて猿は文句を言っている。

 顔が赤いと本当の猿と何が違うのかわからなくなりそうだ。

 私は諦めて、洋服の袖口をできるだけ伸ばして手を隠し、猿に手を貸した。

 猿はお礼を言いつつ私の手を掴んで立ち上がった。

「ったく、猿のせいでゾンビ達との距離がかなり近づいたじゃん」

「……」


 私は再び歩き始めた。

 ゾンビは五メートルくらいの距離まで、近づいてきてしまった。

 これだと、また頑張らないと途中で休憩ができない。

「あっ、海藤。あれ」

 考え事をしている私の横で、猿が考察の邪魔をしてくる。

 イライラしつつ猿の指差す方を見ると、扉があった。

 確か、ここのお店の入口だ。

 本来の構造ではこんなところにはないのだが、流石は小説の世界だ。

「外に出るよ」

 そう言うと、私は扉を開けた。


 外はまだまだ暗い。

 スマホで時間を確認すると、夜中の二時を過ぎたところだった。

 だいぶ歩いたのか、異世界と現実世界の時間が違うのかはわからない。

 ただ、私はまだまだ歩ける気がしている。

 そして、夜道をあの日のトンネルの事を思いだしながら歩き始めた。


「い……ま……なん……じ」

 死にそうな猿の声が聞こえてくる。

 このくらいの運動で何を言っているのだ。

 しかも、少しだけ早歩きをしているだけだ。

 走ったり、筋トレとかをしたわけではない。

 ただただ歩いているだけだ。

 私は猿を馬鹿にしてやろうと、声を出した。

「ひっ……あ……あと、すこ……し」

 残念な事に、私も死にそうなのだ。

 あれから何時間歩いているのかわからないが、段々と足の裏が痛くなってきて、ふくらはぎ、太ももの順に鉛のように重くなってきた。

 変な動きをしたら、すぐに肉離れしそうなほど足が震えている。

 上半身は少し疲れたかくらいで、まだ頑張れそうだ。

 それなのに、足はもう限界を迎えている。

 後ろから追いかけてくるゾンビは相変わらず、ゆっくりと上下に震えながら追いかけてくる。

 ゾンビも疲れる設定でも入れておけばよかったと今更ながら後悔している。


 だが、あと少しだ。


 空が少しずつオレンジ色になり始めているのだ。

 もう少し頑張れば、呪いに打ち勝てるのだ。


 ぎゃぁっと言う悲鳴が聞こえてきた時、私は後ろを見た。

 ゾンビは歩くのを止めて、その場で暴れ狂っていたのだ。

 そう、日の出の時間になったのだ。

 太陽の光に浄化されて、溶けるようにゾンビ達は次々と消えていった。

 私と猿はその場で倒れ込んでしまった。

 もう猿は騒ぐ事はない。

 そして私もそれどころではなくなっていた。

 呪いに打ち勝つ事はできたが、最早歩いて帰る事すらできないのだ。


「……なぁ、海藤」

 だいぶ落ち着いたのか、猿が私に声をかけてきた。

 本当に元気だとよく喋るやつだと感心してしまう。

「さっきさ、海藤の秘密って言ったじゃん。あれなんだけどさ……」

 早く言えばいいものを、言葉に詰まっているのか何も言ってこない。

 もうそんな事聞く気もなく暇つぶしにスマホを開くと、タイミングよく早紀さんからメールが来た。


『明けましておめでとうございます。さっきは本当にごめんね!!後輩には帰ってもらったから一緒に初詣行こ⁇』


 山田やモリモリと違って、良心のある言葉に涙が出そうだ。

 私は猿が一人でまだもごもごして、話をしてこないので早紀さんに今から向かうと返信した。

 そして鉛の身体を気合で動かし、ゆっくりと立ち上がった。

 集中して歩かないと、倒れてしまいそうだ。

 小鹿のように震える足を抑えつつ、猿を見た。

 まだもごもごしているし、こちらが立った事にすら気づいていない。

 私は声をかけずに、猿をそのまま放置して早紀さんの元へ向かった。

 現在地が何処なのかわからないので、とりあえず大通りに出てみよう。

 そうしたらわかるかもしれない。


 そう、私は知らなかった。

 置いていった猿が、私がいなくなった後ももごもごしていた事を。

 決心して中学の時からずっと私を好きだった事、そして今もまだ気になっているのだと盛大に叫んだ事を。


 私が知る事は、生涯ないだろう。

 なぜなら猿とはもう、二度と会う事は無いのだから。

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