美味しいものを、食べること。

園内晴子

赤いきつね

「馬鹿なことに、時間を注いでしまったわ」

私はまた、そう呟く。


 店内では、他のお客さんの声と、聞き慣れた男女3人のパーソナリティのラジオが響いていた。


 私はゴクッ、とハイボールを飲み干した。


「今日は一段と荒れていますね。」


 静かな男性の声が言う。顔を上げた。

 背が高く、キツネ目。いつも微笑を絶やさないマスターだった。


「荒れてる? 私」

「最近ずっと荒れていますね。特に今日は」

コポポポ、とグラスが琥珀色に満たされる。


私はグイッと半分飲み込み、カンッとグラスをテーブルに置いた。

「聞いてよマーちゃーん!私、また周りに迷惑かけちゃったの!!」

「そうですか。」

「いっつもそうなんだけどね! ほんっと、何で迷惑かけちゃうんだろ! もーやんなっちゃう!」

「そうですか。」

「私、今回初めて企画リーダーをやったの!! いや、最初の方はぜんっぜん大丈夫だったんだよ? これ上手く出来るんじゃねって思ってたの! でもさぁ、……」

頭の中にここ数日の記憶が流れ込む。

クソォ。

私はグラスの残りを飲み込んだ。


カンッ。


「……他のとこから借りた展示物のサイズ勘違いしてて、レイアウト大幅に変更になったり、飾ってみたはいいけど配置的に全然魅力感じなかったり、色々あって焦り始めちゃって……」

「そうですか。」

「新人ちゃん困らせちゃったり先輩方に手間かけさせちゃったり……もー……ほんと……焦るなんて馬鹿なことを…はぁ……」

ズーン、と机に突っ伏す私。


淡々と、コポコポ液体が注がれる音がした。

音がやみ、私はゆるりと顔を上げてグラスを口につけた。


追加のハイボールかと思ったら、水だった。

「薄っ」

「飲み過ぎですよ。頭冷やしましょう」

「いや、水って酷くない? 私疲れてるんですけど。」

「疲れた時に、お酒は飲んではいけませんよ。」

「あんたそれでもバーのマスターかっ! 売り上げ落ちるよ!」

「そうですか。」

「真面目に聞いてよ〜!」

と言いつつ、天然水で体を満たす。


───頭は冷えない。


「皆川さん。」

「……何」

「先程、僕は『疲れた時は飲むべきではない』と申し上げました」

「……そうだったね」

「そう申し上げた理由は、疲れ時にはまず、お酒を飲むより先に、するべきことがあるからです」

「……何? おつまみ作り?」

「違います。」

「カクテルを振るシュミレーション?」

「お酒から離れてください。」

「えー……分かんない」

「正解は、」

マスターは、微笑をいっそうにこやかにした。


「家に帰って、リラックスして、美味しいものを食べることです。」


─────────


「ただいまー」

暗い玄関で靴を脱ぎ、パチッと電気をつける。


 結局、帰宅してしまった。

 あのマスター、お客さん帰らせるとか……ほんと売り上げ下げる気か……


「潰れたらどうすんだよ……」

カバンとコートをかけ、マスクを捨てて手洗いうがい。着替えを済ませて冷蔵庫を開ける。何もない。


 そうだ。帰りにスーパーに寄る予定だった。忘れてた。


 仕方が無いので、戸棚を開ける。


 ガサーっと中身が崩れてきた。うわぁ……


「ん?」

たくさんの菓子袋の中に、丸くて赤いものが紛れていた。


あ。


「赤いきつね!」


──────


ピィ────っ!!!!


 プシュウ、とやかんを止める。


 小袋を出したことを確認し、お湯を注いでいく。


コポポポ


よし。


 スマホのタイマーを、5分30秒にセット。

 30秒長くするのが、皆川家のこだわり。


 テーブルに、ランチョンマットと箸をセット。そして座って待つ。


───さて。

にしても、なんで赤いきつねが家にあるんだろう。最近食べてなかったのに。


 カップ麺苦手だけど、何故か赤いきつねと緑のたぬきは食べれるんだよね。


──懐かしいな。

今でも覚えている。初めて食べた日のこと。

小学生の時。日曜日のお昼ご飯に、両親と弟と、テレビをつけながら麺を啜った。


「美味しい!」

思わず声が出た。カップ麺が、美味しい。

甘い油揚げと、麺。汁まで啜ってしまった。食べ終わったあとの、綺麗な器を見て、思わず頬が緩んだあの瞬間が、幸せだった。


幸せ……


ヴーッ ヴーッ


あ、タイマー鳴った。

スマホを見るが、なぜか目が潤んでいて、涙が画面に数滴落ちた。



……なんで、泣いてるんだ?


よく分からず、画面を拭ってタイマーを停止した。てくてくキッチンに向かい、赤いきつねの蓋を開ける。


ほわっ


と湯気が顔を包んだ。


温かい。


また涙がこみ上げそうになった。


慌てて目もとを拭い、小袋の中身を入れ、椅子に座った。


白い器の中は、キラキラ輝いていた。


……。


「いただきます。」

麺にフーフー息をかけ、スっと口に入れた。


ズルルッ


……うん。


次の麺に箸を向ける。


食べ終わり、また箸を向ける。


油揚げにかぶりつく。

甘く、こぼれでる汁を味わう。


止まらない。


ズルルッ


麺と油揚げが、噛むごとに幸せな気持ちを作る。思わず頬が緩む。


美味しいな。


目を閉じ、また麺をすする。


今日までの失敗や、迷惑をかけたことが頭の中をよぎる。


なぜか、その全てに意味があると思えた。


それらが起こったから、今私はこの幸せにたどり着いている。そう思えた。


嬉しくて、涙が出てきた。


ズッ


「ぅっ………うぅー……」


食べながら泣いていた。

悲しいことが、嬉しいことが、私の涙に変わっていった。



美味しい。本当に、幸せだ。



『家に帰って、リラックスして、美味しいものを食べることです。』


……今度、マーちゃんに何かお礼しよう。


最後に汁をすする。


幸せを、体に満たしていく。


ゴクッゴクッ……


「……ふぅ………」

器を置き、箸を置く。

麦茶は飲まなかった。こんなに一気に食べれるなんて。お腹が空いていることも忘れていたんだ。


なんだ、私、意外と元気だったじゃん。考えすぎてただけか。もう起きてしまったことを。


そうか……


「……大丈夫だ。」


この失敗から、何か学ぼう。そうすればきっと、明日から大丈夫になる。上手くいかなかったら、またこれを食べよう。


涙を拭った。そして、パンっと手を重ねた。あの日のように、ニッコリ笑う。


「ごちそーさまでした!」

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美味しいものを、食べること。 園内晴子 @always_enjoy

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