銀弾吼える! Chapter.2
「ほら」
同僚の年配刑事が珈琲を手渡す。
「……どうも」
冴子の直感通りに、署内は安全を確保していた。
押し寄せる死者達を阻むバリケードは急造策ながらも強固に機能し、籠城をしている分には問題は無い。
安全性は確保されている。
そう、籠城に徹している限りは……。
それは、
刑事部屋には普段の
末路は想像が着く。
自分は幸運だったのだ。
まだ近所へ出向いたばかりの段階で悪夢が生じたのだから。
(それにしても、つくづく不可思議な性質……)
こんな状態に
職業病だ。
(此処も、そうだけど……建物内部や車内には魔気が入って来ていない。地続きな
(だけど〈黒霧〉はそうだとしても〈
温もりを
(互いの性質をフォローしあっているかのようね……霧と死体が…………)
有り得ない……そう思いつつも、すぐに頭を切り替えた。
事実、ここまで
ただ、
(まるで
軽くゾッとした。
これまでの人生経験から培ってきた常識観念が、次々と打ち砕かれる。
虚脱の感慨に眺める自分のデスクは、雑多な散らかり様に普段を刻んでいた。
資料の下から顔を覗かせているのは、密かな息抜きと隠していた映画雑誌。
それを見るなり、冴子には乾いた苦笑が染まる。
ゾンビ映画の表紙であった。
「ハリー・クラーヴァル、何が起きているの」
鉄格子に隔たれながら、冴子は
まるで彼自身を〝元凶〟と糾弾するかのように……。
直感から無関係ではないと判断し、冴子は留置場へと足を運んだ。
銀の弾丸による射殺──〈狼男〉──致命箇所を一撃で
そして、現状にて世界を
ともすれば、無縁と考える方が愚かしい。
少なくとも、何らかの〝
ベッドへ腰掛けていた男は、静かに顔を向けた。
その沈着な微笑を見て、冴子は一瞬にして汲み取る──この男は外界の騒動を知っている。
「どうやら始まったようだね」
「やっぱり……」
「今日は相方の刑事は見えないようだが? 確か〝織部刑事〟と言ったか……」
「何を企んでいるの」
「誤解があるようだな、夜神刑事。コレは私が仕組んだものではない。予見こそしていたがね」
「予見ですって?」
「
「一九九九年七月──」思い当たってハッとする。「ふざけないで! コレが『ノストラダムスの大予言』だとでも言うの! そんなバカげた話が──」
「だが、
「──ッ!」
息を呑んだ。
ぐうの音も出ない。
紛れもない〝現実〟を突きつけられては……。
いや、何よりも彼の鋭い
途方もない理不尽に絶望感が増長する。
ドス黒い荒波が心を難破船と呑んだ。
無力に
深呼吸を自己鼓舞とし、冴子は気丈を取り戻す。
「……話して頂戴、知っている事を洗いざらい」
瞳に宿る正義の意志。
決して折れる事は無いであろう芯の強さ。
嗚呼、気高い……この者ならば、
そう確信したからこそ、ハリー・クラーヴァルは賭けてみても良いと思えた。
世界は〝新たな時代の幕開け〟へと進んでいる。
破滅という名の〝幕開け〟へと……。
カーラジオから流れてくる緊急生放送。伝えてくるのは
死体とはいえ、無差別に跳ね殺すのは気分のいいものではなかった。
それでも冴子はアクセルを
「……馬鹿げている」
爆走するパトカー!
規律性を強調する白と黒のツートーンカラーが、赤黒い押し花で汚されていく!
「馬鹿げている!」
また一体を跳ねた。
フロントガラスから視界を奪う赤をワイパーで払う。
「飛ばすのはいいが、事故を起こさないでくれたまえよ?
助手席から釘を刺すのは、同行したハリー・クラーヴァルであった。
「だって、馬鹿げているわよ! こんなの!」
「魔術秘密結社〈
「
「
「時代的な価値観差だな。現代では
「……学校じゃ教えてくれなかったわよ」
露骨に皮肉めいて返す。八つ当たりだ。
それでも、彼は何も言わずに受け止めた。
真実味を欠く説明に、彼女は常識と現実の狭間を葛藤している。なればこそ、無理からぬ……と。
その上で、彼は淡々と補足を続けるのである。
必要な事だ。
これから先、この〝夜神冴子〟という娘には……。
「魔術秘密結社〈
「あなたは、その組織の一員……だった」
「ああ。確かに、かつては
「何故?」
「不毛に思えたのだよ。とりわけ〝永遠の
「……これが『
反抗的に
「組織では事象そのものを予測していたが、災厄の原因までは探究していない。彼等が重要視したのは〝未然に防ぐ事〟ではなく〝
「この状況を?」
「いいや、現状況は発端に過ぎない」
「何ですって!」
驚愕に染まる冴子!
まだ、これ以上の災厄が訪れると言うのか!
絶望と恐怖を噛み締める様を目の当たりにしながらも、ハリー・クラーヴァルは平然と続ける。
「やがて〈死者〉よりも恐るべき怪異が人類を襲う。それは現世を喰い潰し、
「何なの……
「…………」
無言。
回答は無かった。
「夜神刑事」
そう言って懐中から取り出したのは、件の銀銃だ。
大方、署内の混乱に乗じて奪還して来たのであろう。
「
嫌悪感も
「これから先、必要になる」
「ナンブが有る」
「いいや、この銀銃は〈
「引けないでしょ!」
「
「何でよ!」
「
ハリー・クラーヴァルから注がれる
だから、冴子は気迫呑まれに確認した。
「……
「名は〈ルナコート〉──
「やっぱり〈錬金術〉絡みか……
「私が組織逃亡時に強奪し、ついでに量産不可能となるように設計図も燃やし尽くした。
「何故、設計図も?」
「新たな時代の幕開けは、有象無象の混沌から始まるだろう。そんな中で、こんな優勢で武装した
「随分と毛嫌いしたものね」
淡く
「ルナコート……か」
はたして、それは
多少でも『ゾンビ退治』に効果的ならば、騙されたと思って使用するのも悪くない。
何よりもニューナンブの手頃感は
スッと伸ばした手が重みを受取り、
気が付けば、いつしかラジオは無言と化していた。
時折聞こえてくるのは、物品が崩れる乾音と低い唸り声のみ──そういえば、数秒前に悲鳴に彩られた喧騒が流れていたようにも思う。
目的地までの疾駆を重い沈黙が支配した。
そう、目的地──〈
自分が〈刑事〉としての道を歩んでから、実家の責務である神事は妹へと継承された。
とはいえ、妹は現在高校三年生──
卒業すれば、そのまま跡継ぎとなってしまう──これは冴子にしても後ろめたい負い目であった。
それでも、妹は笑顔に言ってくれた──「お姉ちゃんは、やりたい事をやればいいんだよ」と。
どうして?
「だって、お姉ちゃんには〝自由〟が一番似合うもん」
ごめん。
「それに、お姉ちゃん〈刑事〉になるんでしょ? それって〈正義の味方〉じゃない? かっこいいもん!」
そう……かな?
「うん!」
屈託の無い
愛しい。
「あーぁ……私も、お姉ちゃんみたいに〈正義の味方〉になりたいなぁ」
……ごめん。
「ほら、また
でも……。
「私は私で〈巫女〉になるの! それで、困っている誰かを助けるの! お姉ちゃんみたいに!」
そして、また無邪気に
「頑張ろうね? 私達、二人で〈正義の味方〉だよ?」
自宅内に人の気配は無かった。
しかしながら、冴子には軽く心当たりが浮かぶ。
大会堂──本堂裏からの渡り廊下で境内奥へと
この神託相談を、夜神家では〝
さりながら〈宗教〉と〈信仰〉は密接にありながらも、厳密には異なる──と冴子自身は思うのだが。
ともあれ二人の探索者は、そこへと足を運ぶ。
はたして妹は
まともに妹の巫女姿を見たのは、おそらくこれが初めてになる。仕事柄、家族と擦れ違う時間が増え、
自身の後ろめたさから……。
純白の清廉さが無垢な性格に映え、
姉である自分でさえ
こんな局面でなければ、きっと
そう、
「な……何を……しているの?」
ようやく絞り出した冴子の声は、ワナワナと震えていた。
信じ難い光景に……。
慄然と驚愕に……。
そんな姉の動揺を感受する事もなく、愛らしい巫女は柔和に
「お姉ちゃん、今日は早かったんだね?」
童顔が内包する深い慈母性。
だからこそ、ゾッとする。
「何を……何をしているのかって
妹の背後に
老人もいる! 子供連れもいる!
知った顔も見知らぬ顔も!
ある者は毒薬の吐血に息絶え、またある者は腹部を刃物で
直感が悟らせる!
これを先導したのは……妹だ!
これだけの
「どうして? 何で、そんな物を向けるの?」
無垢な表情が小首を傾げる。
戦慄に拍車が掛かった!
そこに演技は無い。
心底、本当の疑問だ!
「集団自殺……か。
並び立つハリー・クラーヴァルが平静な抑揚で追求するも、その眉間は不快を刻んでいた。
「おじさん、誰?」
戦慄の無垢が
「この状況を利用して、絶望を
「うん、そうだよ?」満面の
「何て……事を!」
「ねえ? お姉ちゃん、見て! わたし、こんなに、たくさんの人を
嬉しそうに……誇らしそうに両手を広げて回り、
しかし、純潔が誇示するのは鮮血の悪夢!
それ以外の何物でもない!
「あなたは……あなたは、自分が何をしたか分かっているの!」
吠える激昂!
円舞が止まった。
「お姉ちゃん、何を怒っているの?」
まただ。
また邪気無き悪意が無垢に向けられた。
やめて──それ以上、
「みんな沈んでいた……みんな嘆いていた……『もう終わりだ』って……『明日なんか来ない』って…………」
心底からの慈愛。
それは一転して屈託の無い邪気へと明るく歪んだ。
「でもね? だったら早々に〈
違う──。
「そうだよ。これは御慈悲。これは〈
──違う!
何故なら〈
私の
怒りに
あなたへ牙を剥き出している!
「信仰は
狂乱の笑いから一転に鎮まり、妹は不思議そうな表情を向けた。
「どうして? どうして、お姉ちゃんはそんな事を言うの? お母さんは褒めてくれたのに?」
「……え?」
「だって、そうでしょう?
「お母……さん?」
まさか?
そんな?
いつから?
いいや、
この家は……この信仰は
「
「決まっているでしょ? 〈
「はたして、そうかな?」
意味深な指摘に、妹はピクリと反応する。
ハリー・クラーヴァルの示唆は、微かに
それでも、次の瞬間には再び狂喜が踊り舞う。
まるで不都合な言葉を忘却しようとするかのように……。
「みんな幸せ……みんな救われた! わたし達だって、そう! きっと〈
冴子は見た──その演舞に
外界を賑わす魔気とは微々と異なる
──
考えてみれば、
言い替えれば、
なればこそ、
例え、小石程度の
優しい子だ──。
自分を殺してしまう子だ──。
私とは違う────。
嗚呼、未熟な心に
その苦しみを想うと、冴子の自責は心を濡らし染めた。
この子を台無しにしてしまったのは、私の──母の──夜神家の──エゴイズムだ!
「……ねえ? お姉ちゃん?」疲れ果てたかのように鎮まり、
──銃声!
慟哭に崩れ落ちる残酷な英断を、ハリー・クラーヴァルは
それしか無かった。
掛ける言葉すら見つからぬ。
左胸を射抜かれる瞬間の寂しそうな
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