獣吼の咎者
凰太郎
~序幕~
モンスタースレイヤー
紅蓮の炎が舞った。
住み慣れた旧家造りの屋敷は忘却の
そんな理不尽な
うなじから伸びた束ね髪が熱風に泳ぎ狂う。フォーマルスーツを着こなした美女である。タイトスカートから生える脚線美が艶かしい。
有も無も内包しない純粋な存在があるとするならば、それは
その意識はぼんやりと霞掛かった
しかしながら茫然自失といった感覚とは少しばかり違う。
何故なら、己の心底に潜む
荒々しい崩壊音と共に、また思い出が燃え朽ちた。
こうして真綿で首を絞めるかのように、幸福の下で育んできた総ては残り数時間の内に灰へと帰すのであろう。
例え人生の大半を費やして築き上げたものであっても、それを失うに足る時間はほんの一瞬で充分なのだ……と、彼女は生涯分の教訓を学ぶ。その代償は大きい。
終焉を迎え入れようとしていたのは、この屋敷だけではない。自分が生まれ育った町全体が魔の宴によって、その歴史に終止符を打たんとしていた。
昨日まで当然の
何故、このような事態が引き起こったか……。
それを理解している者など、誰一人としていないであろう。
ただ一つ言える事は、何の疑いもなく信じてきた約束されし日々が、かくも砂城の如き脆さを露呈したという事実だけである。
しかし、彼女にとっては、もはやどうでもよい事であった。
灼熱へと消え去る幸せの面影も、渇き疲れ果てた心を揺り動かす事など無い。
そう、眼前で哀れみを請う母の言葉でさえも……。
「や……やめて……あなたは私の娘じゃないの! そうでしょう? 愛しい……愛しい娘じゃないの! それが、どうしてこんな……嗚呼、神様!」
この期に及んで〈神〉などとは、空々しくて苦笑も湧かない。
精一杯の哀れみを請う母の姿は、無様な〈
実娘の細美な指に硬く握り締められる銀光。
それは煉獄に
構造的にはオートマチック銃でありながらも、宿す武骨さは歴史の重みを噛んだリボルバー銃の
まるで鏡面の反射のように柔らかくも鋭利な輝きは、通常の金属が放つ鈍い光を一切帯びずに軽やかであった。さりながら、その中に静かなる威光を見せる金色の装飾群が、この銃の神々しさを暗に誇示している。極めて洗練された特異な外見は現存する
が、しかし、その秘めたる殺気にも似た鋭い不穏感は沈黙の内にあっても隠しきれずに醸し出されており、やはりこの銃が超一流の
総てが異様な要素で構築された光景であった。
燃え朽ちようとする屋敷──
阿鼻叫喚の如き無数の悲鳴──
そして、その手に硬く握り締められた白銀の銃────
だが、それらは一つの共通要素によって難無くの結合し、完成された不条理へと形成されていた
即ち、退廃感という共通要素によって。
そうした負の要素によって新生した彼女の姿は、まるで地獄の業火を従えた
戦慄に凍る実母の瞳にすら冷徹な死神としてしか映らなかったであろう事は想像に
何故ならば、一片の慈悲を
狂気に踊る炎熱に囚われて対峙する親子──いや、親子だった者……か。
その全身を尋常ならざる発汗が不快に照り湿らせていた。
はたして、それは業火の責め苦によるものか。
それとも、
視界の隅で、また一つ大きな炎塊が燃え朽ちた。
盛る炎は
万事への関心を忘れ去り虚を漂うだけの意識にも、この舞台の終演が近い事だけは察知できた。
ならば、決着の幕引きを急がねばなるまい。
そう、この悲劇の核でもある
もはや煉獄の処刑人と化し、意思の疎通すら定かではない
それを警戒に見据えつつも母親は、その胸に抱くものを全身盾として必死に庇い続けていた。
母性に抱かれて眠る巫女装束は、彼女にとっても掛け替えのない存在──妹。
その愛くるしい寝顔が虚の瞳に映り込んだ瞬間、無へと鎮まったはずの暗い湖面がサワサワと
ささくれ剥ける心が、魂には
──わたしも、お姉ちゃんみたいになりたいな。
妹の声が、まるで昨日までの日々のように脳裏へと響いた。その鈴の音のような心地よい声音が……。
無邪気に笑う癒しが木漏れ日へと融け、毒々しい赤の使者が再び酷な現実へと連れ戻す。
愛しい妹であった。
高校生になっても家族にべったりな甘えぶりが可愛かった。
その天真爛漫さに幾度と無く癒されてきた。
そして、
まるで俗世間に渦巻く悪徳とは無縁であるかのように、穏やかな安楽の表情を浮かべ……。
二度と目覚める事も無い永劫の眠りへと……。
その左胸には撃ち抜かれた非情の痕が、まだ生々しく赤を垂れ流していた。
手を下したのは、他ならぬ姉自身!
この最愛の存在を殺めた瞬間から感情は静止した。
それは恐怖と絶望すら
「嗚呼、お願い……お願い! どうか……命だけは!」
またもや試みられる
聞き飽きた。
懐かしむ思い出に耳障りだった。
どうやら、微かにざわめき始めた感情の機微を
だが、そのあざとさは逆に彼女の心を凍てつく虚無へと再投獄し、果たすべき使命を呼び起こす皮肉へと結実したに過ぎない。
ようやくユラリと細腕が上がると、白銀の
「や……やめ……お願…………っ!」
「……さようなら」
掠れ漏れた
──銃声!
何もかもが無へと還って逝く中で、赤い意識が黒く暗転した。
一九九九年七月──日本という島国から、とある町が消失した。
取るに足らない小さな町であった。
「っ!」
自らが引いた銃声を耳に、彼女は跳ね起きた。
全身を湿らせる脂汗が不快な目覚めを強調し、なんとも心地悪い。
(……まったく)
やりきれない憤り。
幾度となく体感する悪夢は呪縛の如く彼女の魂を捕らえ、終わりなき責苦に傷つけては悦を味わう。
この時代には
フォーマルスーツ姿ながらもラフに着こなし、窮屈さを嫌ってブラウスの首下はボタンを外していた。タイなど論外だ。
そのはだける白さから覗く地肌の健康美は、豊かな胸の谷間と
とはいえ耽美な印象を封殺するのは、内包する明朗な性格が陽のオーラと滲み出ているからであろうか。
彼女自身の容貌は、あの惨劇の夜から何一つ変わらない。
つまりは二〇代前半のままであった。
細かい年齢は、流れる歳月に都合よく忘れ去った。
女特有の小賢しさとも言える。
ともあれ、
無論、老化は言うに及ばず……だ。
歳月を無視して維持される〝若さ〟というのは、当人にしてみれば忌まわしい
これでは、はたして自分は〝人間〟か〈怪物〉か……。
「お目覚めですか? ミス・ヨガミ?」
前席の操縦士が苦笑いに声を掛けてきた。
「ええ」
対話を現実認識への糸口として、彼女は取り繕う。
さりとも、体感的な悪夢は不快な鼓動を鎮まらせてはくれない。
荒げた心拍数を整えるべく、現実逃避の現実認識に視線を滑らせた。
閉塞的な暗室の中で細い呼吸を見せているのは、青や緑の微弱な蛍灯だけ。電子計器類が発する無機質な癒し。
ヘリコプターの後部座席だ。
芋虫を
いわゆる〈輸送ヘリ〉と呼ばれるタイプだ。
元来、兵士や物資を輸送する目的に使われた機体なだけに、本体内部は一人では多少持て余す。
そうは言っても機内は暗い。
外界が闇夜なのだから無理からぬ。
それも単なる闇夜ではなく
側面ハッチの窓越しに覗けば、巨大な漆黒の怪球が高空に〈月〉と鎮座していた。黒き月ながらも環光は白い月明かりと化して夜を演出する。存在の核として据えられた巨大な単眼は明確な意思力で地上を見下ろし続け、この
それが、この異常な世界の年号だ。
旧暦一九九九年七の月──
俗に〈
彼女〝
目的地はニューヨーク──。
「ところで、ミス・ヨガミ?」
「冴子でいいわ」
「じゃあ、サエコ? 遙々日本から渡米するのに、どうして空路を? それも飛行機ではなく、ヘリコプターで?」
「あなた、名前は?」
「シオン……〝シオン・バンデラス〟です」
シートへ深く腰掛けた冴子は、懐中から愛銃を取り出して軽く確認を始めた。
白銀の銃だ。
「オーケー、シオン。まず『空路について』だけど、事故遭遇率──いえ〝怪物遭遇率〟と言い直した方が良いかしら──が低い方法を考えれば、実は航空手段こそが一番手っ取り早いからよ。海面は〈
そう説明しつつ、携帯していたラベンダーの香水を噴霧に浴びた。
この現世魔界の支配者は、もはや〝人間〟ではない。
旧暦時代から人類が空想存在と一笑に伏してきた〈怪物〉達である。
そうした背景
安全な場所など無い。
「次に『ヘリコプターを選択した理由』は、離着陸の利便性」未塗布の四肢に香水を噴霧する。「飛行機の場合は滑走路が必要となり、結果として着陸場所も
「ああ、つまり〈デッド〉ですか」
納得の苦笑を含むシオン。
地上には〝生ける屍〟が徘徊している。
便宜上〈デッド〉と呼称される喰人屍だ。
特定の場所に限った話ではない。
地上の至る場所で、奴等は彷徨していた。
その原因となっているのが、地表に
一見には〝漆黒の霧〟に思えるが、実質には〝魔界の
コレが死体の脳に干渉して〈デッド〉として再活動させている。
しかしながら、腐敗や損傷が
「でも、何だってアメリカへ?」
「あら? それが、あなたの仕事じゃないの? だから、依頼したのだけれど?」
「そりゃ、こちとら〝運び屋〟だ。報酬さえ受ければ、
「需要あるでしょうね」
多少皮肉めいた苦笑に浸る。
「おかげさまで」
共有に
「で? 何故です?」
「こちらも
「ボランティアみたいなものでしょう? 〈モンスターハンター〉なんて?」
「……〈
「どちらでもいいですよ、呼び名なんて。結局は依頼を
「だからこそ、
「それだけ?」
「さて……ね」
冷めた自嘲にはぐらかす。
実際のところ、割に合う個人業ではない。
この
おまけに報酬は、法外な大金というワケでもなかった。
精々〈食糧〉と、使用分+アルファの弾薬程度だ。
もっとも、仮に高額報酬であっても意味など無い。
世の支配者が〈怪物〉達である以上、人間の価値観でしかない通貨等は前時代的な遺物だ。コレクターズアイテムの価値すら帯びない。
それでも冴子が〈
どちらでもいい事だが……。
「ところで──」愛銃のチェックを終えると、冴子はシオンの背中へと質問を投げ掛けた。「──ニューヨークの実状は、どうなっているのかしら?」
「御存知ない?」
「ええ。
地上の支配権を
無力化した人類は、そうした地に於ける〈領民〉として子飼いとされているのが実情だ。
食料確保だ。
形態が何であれ、総じて〈怪物〉達の
だからこそ〝人間〟という脆弱種が絶えてしまえば、彼等自身も自己存在を維持できない。
本能のまま飽食する〈デッド〉から……。
歪んだ共生の在り方ではあるが、
「ニューヨークを支配している勢力名は〈
「ふ~ん? つまりは〈
「とは限らない。種々様々な〈獣人〉を傘下へ加えて、此処数年で急成長した勢力です。例えば〈狼男〉〈呪豹の血族〉〈蛇女〉〈蜂女〉──実態は多種多様ですよ」
「広義過ぎるわね……節操の無い」
「ああ、でも最低限の共通項はあります。それは〝人間〟になれるという事。つまりは〝変身体質〟ですね。だから〈ミノタウロス〉や〈ケンタウロス〉なんかは含まれない」
「成程……ね」
形式ばかりの納得に締めた冴子は、軽い悪戯心か、虚空に香水を噴霧した。
続けて
当面は充分だ。
「〈領主〉は?」
冴子の質問に、シオンは苦笑に首を振った。
「〈市長〉と呼んだ方がいい。怒られる」
「気取るわね」
「ニューヨークの構成は御存知で?」
「旧暦での
「ええ。で、
「ただの〈ラスボス〉と〈中ボス〉の図式じゃない」と、興醒めに呆れる。「で、何者?」
「市長? さて? 何せ、表舞台に出て来ない。
「ベート?」
聞き覚えのある名前に、少々厄介な相手と直感した。
相対した事は無い。
だが、
そう、
危険視すべき難敵と分かっていながらも、対抗策の手が打ちよう無い。
(最悪時、事を構える流れになれば、死闘は必至……か)
窓の外へ視線を投げる。
眼下には、まだ黒い潮騒が荒れている。
一瞬、黄色く淀んだ単眼と交差した気がした。
この
錯覚だ。
青暗い闇に呑まれる礼拝堂──。
うら若き修道女〝シスター・ジュリザ〟は、
百合のような白肌に、豊かな金髪が映える。
繊細さな美しさは、芸術彫刻の如き存在感を主張した。
彼女は
今日も何処かで
「
眼前の祭壇に飾られた神像は、膝折の祈祷を何も語らずに受け入れる。
それが、はたして
それでも
祈るしかなかった。
自己満足の免罪符と笑されようとも……。
「熱心ですね、シスター・ジュリザ……善い事です」
不意に呼び掛ける声に、意識は現実へと還った。
立ち上がって振り向けば、入口に柔和な物腰の修道女が立っている。
ジュリザよりも、一回り年上だ。
月光を黒艶に返す長い髪。
常に憂慮を
少女としての印象から脱せないジュリザと比べて〝大人の女性〟と呼ぶに
「マザー・フローレンス……」
視認を受けた女性教祖は、粛々とした所作にジュリザの
その横に並ぶと、二人して〈信仰神〉へと見入った。
奇異なる〈神〉である。
真に奇妙な容貌の〈神〉であった。
隆々とした筋肉美に、狼の頭部──しかも、獅子の
威嚇を吠える獣相で、足蹴に〈悪魔〉を踏みつけている。
正直、ジュリザにしても禍々しい印象は拭えなかった。
さりながら、本心は自戒に呑み込んでいた。
それを
その行為は
とかく〈宗教〉とは、そういうものである。
「大いなる〈モロゥズ神〉は、
ややあって語りだすマザー・フローレンス。
まるで己の心象を見透かされたかのようなタイミングに、ジュリザは内心ドキリとした。
しかし、それでも質問を呈したのは、心の何処かで好機を感じたからであろうか。
「〈
「ええ。その風貌が〈獣〉である事は、実質的な〝
新興宗教〈モロゥズ教〉──
そもそも〈怪物〉が現実に
明日の生死すら定かにない現世魔界には、
だがしかし〝絶対的な救済力〟へと依存するのも、また
人間の〝心〟というものは、それほど強くない。
残酷な現実を前に〈神〉を偶像盲信と
だから〈宗教〉は求められる。
矛盾していない矛盾であった。
「アントニオは……」 神像へと傾視を注ぐジュリザは、思い詰めたかのように暗い声音を紡ぎだした。「……アントニオは、まだ二歳でした。ヤンチャでしたが明るい子で、おおらかによく笑う子でした」
熱く込み上げてくる悲嘆を押し殺そうと、心が苦しみ
だが、抗えば抗うほど激情は
「衣服しか残っていなかった! 破れ裂かれた衣服しか! 後は、周囲に散乱した
「
「……はい」
マザーの穏やかな抑揚に、辛うじて平静を取り戻した。
「祈りましょう。あの子の魂の
「…………はい」
何故、あの子が死ななければならなかったのか?
何故、あの子が酷い殺され方をされなければならなかったのか?
世を席巻する理不尽──さりとも、それが〈
「アントニオを……召された魂を〈モロゥズ神〉は御救い下さるでしょうか?」
「もちろんですとも。ジュリザ、あの足下を御覧なさい? あの踏みつけられた〈悪魔〉は、
「
「ええ。
「嗚呼、モロゥズ様」
深く……深く……祈りへ沈んだ。
威光を噛み締めるように…………。
差し込む月明かりに融け映える白肌──。
繊細な線に形を与えられた清廉──。
溢れる金糸越しに伏せた眼差しが美しい────。
彼女の清廉なる純潔は、マザー・フローレンスにとって何者にも代え難いものであった。
「さあ、もう行きましょうか。今宵は冷えますから……」
マザーに
並んで退室する際、ジュリザは天井を仰ぎ見た。
ステンドグラスだ。
赤が多い。
蓮獄の情景──。
「そう言えば〝日本〟の様子は、どうなんです? 確か〝日本〟では、旧暦時代から〈ヨーカー〉とかいう怪物が平然と生息していたんですよね?」
会話の種に尽きたか、シオンが好奇心で質問してきた。
「……〈妖怪〉ね」
醒めて訂正する冴子。
「ああ、それそれ」
「似たり寄ったり……ではあるけれど、西洋諸国よりはマシかもね。そもそも日本人は〈妖怪〉と共存してきた……旧暦時代からね。だから、パワーバランスが逆転しただけ」
「日本人ってのは、旧暦時代から〈怪物〉の奴隷だったんですか?」
「
「冗談よして下さいよ? 怪物と人間が共存ですって? そんな事が有り得るはずがない。
「恩恵もくれるわよ?」
「まさか?」
「例えば川に棲む妖怪〈河童〉なんかは
「人間を守るですって?
「……〈妖怪〉ね」
「どっちでもいいですよ、呼び名なんて」
相手の興醒めを嗅ぎ取り、冴子は講釈を再開した。
「確かに害悪も
「そいつぁ頼もしい
この能天気な概念には、さすがのシオンも皮肉たっぷりに首を振る。
冴子にしてみれば、今更な反応だ。
西洋人との感覚差は、もう慣れた。
同時に思うのだ──いつから西洋人は〈自然神〉への畏敬を失ったのだろう……と。
(そもそも〈妖怪〉とは〈
〈
その尊大なる影響力へ畏敬を抱いて崇め奉る鎮魂概念が〈
(そして、それは〝日本〟に限った話ではない。いえ、
確かに〝日本人〟は、そうした概念への依存が
大いなる自然の猛威を
しかし、旧暦史実に
また等しく冴子は思うのだ。
(おそらくアメリカを始めとした先進国では〈科学〉という新たな唯物論信仰が拍車を掛けていた背景も大きく影響しているんでしょうね。その証拠に文明洗礼の影響が薄い牧歌的地域では、脈々と土着神が息づいている。そして、
軽く刻んだ夢想から現実へと返ると、冴子はミントタブレットを一粒含んで確認した。
「ところで、シオン?」
「何です?」
「
「…………」
操縦士は、急に押し黙る。
何故、冴子は「
それを推察すると、シオンは腹立たしさすら覚えるのであった。
「心配せずとも着きますよ……
「〝
後頭部にチャキリと向けられる金属音。
視認せずとも判る。
「……危ないですよ」
深刻な声色に警告するも、彼に焦燥の色は見られない。
まるで想定内のアクシデントといったかのように落ち着き払っている。
「どのみち
背後に立つ冴子は、動ぜずに
「
シオンの沈着な
冴子も冷静を
「目覚めてから」
「上手く
「あなた、
「フッ……ひどい
「鼻に突いたのよ。微かな血臭が……それに生臭い獣臭もね」
「成程……本番直前に欲は出すものじゃないな」
「
今度は冴子が同じ質問を向ける。
無論、異なる意味合いだ。
しかし、
「一回、中継施設へ着陸したんですよ……給油にね。御気付きにならなかった?」
「私が仮眠している時?」
「ええ」
「その際に
早い話、その着陸時に
後はシャアシャアと〈怪物〉が入れ替わっていたワケだ。
「本当に喰いたかったのは、
「悪趣味ね。無抵抗な乙女を襲おうなんて」
「乙女は脳天に
「襲えなかったでしょう?」
「ええ、何故か」
「……〈
「何ですって?」
「私を守護してくれている。あなたが襲えなかったのは、私が無防備な時には結界と化して威嚇してくれているから」
「ああ、さっきの〈ヨーカー〉とかいう腑抜け共ですか」
「……〈妖怪〉ね」
ガクンと機内が揺れた!
何喰わぬ顔で高度を上げる暴挙に出たからだ!
「クッ!」
体勢を崩された冴子は、後方へと尻餅に沈む!
乱暴に機首を上げられたのでは、立ち堪える事など出来ようはずもない!
「小細工を!」
すぐさま立て直そうと身を足掻くも、操縦席では
メキメキと骨肉が軋む音を隠らせ、体毛生やしに膨れ上がる!
フロントガラスから射す月明かりの逆光に、山が隆起していく様を演出した!
「
発砲!
が、しかし、今度は大きな横揺れに
意図的に操縦幹を横弾きにした妨害工作であった!
横崩しに投げ倒される冴子!
無駄弾がフロントガラスを貫く!
敵は無傷だ!
そして、先程まで〝人間〟であった男は、
狭い操縦席を埋めるかのように、前屈みの猫背にてどうにか収まっている
のそりとした重い動きに、獲物へと身を向ける!
腹立たしさも露骨に冴子は獣を視認した。
「狼男……か」
「満月でもなしに……か? クックックッ……必要無いんだよ、この〈
「魔力で変身するって? 便利な世界になったものね」
無様に伏した体勢ながらも、毅然とした敵意に向け据えられる
絶対的な優位性に酔うかの如く、眼前で這い崩れる艶かしさに舌嘗めずりを示していた。
繊細に
両者の間を邪魔立てる操縦シートを鷲掴みに引き抜くと、進路障害の塵とばかりに機外へと投げ捨てた!
それは側面ハッチをブチ破り、遥か眼下の海面へと沈む。
耳障りに破水音が狂騒するのは、はたして海妖達が好奇心に群がって来たからであろう。別段、興味は無い。
魔獣の関心は、この愛らしい
ズシリと体重が乗った一歩を踏み刻んだ。
さて、どのように
機体上昇は、この展開を楽しむ
落下までは
更に一歩。
冴子は軽い焦燥を噛みながらも、冷静に状況を把握した。
煽り入る暴風がうざったい──その煩わしさに誘われるまま、
(気は進まないけどね……下手したら一蓮托生だし)
すぐさま正面へと注視を戻した。
見定めるのは獣人ではない。
その背後に
更に踏み込む人狼!
無力に床這いの体勢ながらも、冴子は
「無駄だ!
「……うん、よ~く知ってるわよ」
構わずに弾かせる閃光!
銃声の三連奏!
連発であった!
が、弾丸は狼男の脇腹を掠めて滑り抜ける!
喜悦に牙が覗いた。
「ヘタクソが!」
不充分な体勢で放った銃撃だ。当たらぬも不思議ではない──と言いたいところだが、至近に立ちはだかる
「所詮、女如きが実践射撃をこなせるかよ!」
獣人シオンが侮蔑の嘲笑に浸ろうかという瞬間、予期せずして機体が大きく暴れた!
「な……何ィ? うおおおっ?」
強い横回転が荒れ狂う!
まるで暴れ馬の胎内だ!
「
「な……何ィ?」
では、
肩越しの獣眼が見定めたのは、本機の操縦幹!
それが不自然にも傾斜に固定されている!
不可解な事象ながらも、シオンは〝
「テメェ? 最初から
「うん、弾いて止めた☆ 」
軽く茶目っ気でおどける愛顔。
つまりは、こういう事だ──最初の二発で操縦幹を直撃に傾かせ、三発目は根本へ
その機転と腕前に、微々たる慄然が獣にチリつく!
(コ……コイツは〝ズブの素人〟なんかじゃない!
制御皆無に暴れ狂う閉鎖空間!
巨大な暴力に保ち堪えようと、シオンは体幹バランスを模索する!
中腰に膝を落とした瞬間を、冴子は見逃さなかった!
スライディング紛いの床滑りで一気に間合いへ飛び込むと、間髪入れずに膝裏へ美脚を叩き込む!
「ぐぁ! テ……テメェ?」
獣人が動揺を
ブリッジジャンプの要領で至近から放つリバースキックは、彼女の全体重を加味した大砲弾である!
「グアッ!」
後方ベクトルに圧され、足裏が地を離れる感触!
宙を舞う!
眼下に
蹴り出されたのだ!
即座に対応せねば……落ちる!
海妖達の
「クッ!」
機内縁に鋭爪を咬ませる!
寸でのところで踏み留まった!
とはいえ、宙空吊るしの晒し者だ。
無様ではある。
腕力任せに這い上がろうとするも、それを実践させじと刺客が立ちはだかった。
夜神冴子だ。
煽りに見えるタイトスカートからの脚線美は、やはり扇情的肉感であった。迂闊に
向けられる
「背後は誰? やはり〈
「言うと思うか!」
威嚇発砲!
肉食の顔脇を掠め、僅かな獣毛が弾けた!
「フッ……フフッ……だから何だって言うんだ! 普通の銃弾如きで──」
「──〈ルナコート〉」
「な……何?」
「この銃の名前──そして、名前の由来となった性質」
銃声が獣の左肩を射抜く!
「グアッ!」
走る激痛に、堪らず縁から手を放した!
(ダメージ? この俺が……不死身の獣人が? あり得ない!)
得てして〈獣人〉は高い生命力を内包する。
それに起因する再生能力も……だ。
それらは生物学に準拠した性質ではなく、人知範疇外の〈魔力〉に起因するものであった。
だからこそ〝通常の銃器〟では殺せない!
よほどの代物ならばダメージを負わせられるかもしれないが、所詮、それすらも一過性。
並の銃器による射撃など、蜂に刺された程度のダメージに過ぎない。仮にマシンガンで五体バラバラに吹き飛ばされようと、肉片は繋がり再生する。
それが〈魔〉たる特性だ!
にも
不死身の獣人たる
が、真に驚愕すべき現実は、
「回復しない?」
「銀弾だからね」
「なっ?」
血の気が引いた!
彼等〈獣人〉にとって致命的な切り札だ!
唯一、不死身の肉体を
「
「そ……そんな超科学を〝人間〟風情が?」
「
何故、たかだか
何故、こんな小娘が〈怪物〉から忌避されているのか!
ともすれば、それはそのまま〈
「ちなみに、私の残弾数は二〇発……アンタをベニヤ板にしても御釣りが来る」
非情が改めて
今度は眉間だ!
「ま……待て! 待ってくれ!」
「言う気になった?」
愛らしい温顔が、腹立たしい自信の裏打ちをにっこりと
まったく厄介な死神が来てくれたものだ。
「ア……アンタを襲撃するように指令を受けた! 〈
「私が渡米するのを察知した?
「あ……ああ。
「……
冴子が軽く思考を刻んだ瞬間を、狡猾は見逃さなかった!
好機!
艶かしい色香に生えた美脚を、粗暴な
「ちょっ?」
沸いた慄然を押し殺した冴子は、すかさずハッチ
女の華奢さで耐え凌ぐには、全身でしがみつくしかない!
と、いう事は……
「放せっての! このスケベ!」
「銃を捨てろ!
「こ……ンの!」
渾身に身を寄せて引き落とされないように踏ん張る!
おまけに横荒れに狂喜するヘリの慣性が、無慈悲にして無責任な暴力と乱れ狂う!
正直、下半身から千切られるかとさえ思えた!
「
妖名を吠えた!
途端、呼応に不可視が空間を躍り舞う!
そう、
視認出来ない存在だ!
しかし、確実に
(な……何だ!)
鋭敏に感じ取る狼男!
野性の直感が警鐘していた!
空気中に示される
そして、ややあって
勢いが外へ飛び出す!
ゾクリとした感触を背筋に咬みながらも、獣人には正体を見極める事が叶わない!
(だが、
確信に怯えた直後、隆々とした背中が切り裂かれた!
「グァァァッ!」
その
構える
狙いを据えるは、
「コレ、キャンセル代ね」
破裂音に非情の閃火が花開く!
「ガッ?」
眉間に
その刹那、ようやく
(な……何故だ?)
それは冴子の
何故〝人間〟などに加担するのか?
それも、
到底納得できない不服を辞世に、遥か数十メートルの眼下へと落下していく。
黒い海面が潮の白を激しい撹拌に暴れさせていた。
とは言え、海面へ呑まれるまでもなく〈獣人〉は消えた。
一呑みで喰われたのだから……大きな潮騒を轟かせて跳ね上がってきた〈
冴子にしてみれば、
「さて……と」
強引
そして、淡い苦笑いを楽観的に浮かべるのであった。
「どうやって墜落しようか?」
呆れたかのような
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