老人と竜〜 七千文字短編ファンタジー小説

伯爵

第1話

 塔が雲をつらぬいている。

 むげんと思える階段と無数のとびら。苔むした塔の周りでは、木が雑草にみえた。雨風による風化もなく、地震によるヒビもない。


 いつ、どんな目的で建てられたのか。知る者はほとんど生き残っていない。

 五百人余りの人が住んでいた。原初の民の末裔である。

 異国人との商いや、森での狩り、山菜とりによく励んだ。そうやって長いあいだ、静かな営みが続いてきた。


 古い家のものは上にすみ、新入りは下にすむ。上と言っても、塔の半分に達するものさえいない。

 たった一人、途方もなく高い部屋に、老人がすんでいた。想像も出来ないほど昔から、老人はそこにいた。


 昔は、塔全体が一つの国だった。

 勢力を繋ぎとめていた王家がほろぶと、内部分裂が起こった。謀殺の応酬で多くの血が流れたが、王を継ぐ者は現れていない。

 王の亡霊が塔にいるという噂のせいだった。


 実際のところは、王の魔法が、死んでもなお働いているのだった。

 ある部屋では、ものが意思を持った生き物のように動くのだという。最後の王が崩御してから、百年近くたっていた。



 塔のはらむ雲が、赤く染まった。

 サラスは茫洋ぼうようと、窓のそとを眺めている。白い髪とひげは床に付かんばかりだ。顔には深いしわがあり、手は節くれだった木の様だ。

 空を眺めているようで、何も見てはいない。見る者によっては、亡霊と間違えたであろう。


 皿が飛んできて、机のうえに行儀よく待機した。サラスが気付かぬほど、さりげない。焼きたてのパンと肉。銀のさかずきと水差しが飛んできた。熱い茶が注がれる。


「ありがとうよ」


 茶の音に気付いて、サラスが言った。しかし彼の他に、人の姿はない。サラスがうつむくと、ふたたび静寂がへやを満たした。

 まきが宙を舞い、暖炉の火に飛び込んだ。

 扉を叩く音。

 サラスはそちらを見ただけで、何も言わない。さらに表情がくもる。間を置いて、扉のかんぬきが一人でに外れた。


 客が、黒い砂を肩からはらった。茶色のマントを着た老人だ。銀髪をみじかく切りそろえている。目つきは長年の苦労を思わせた。

 マントが擦り切れていた。ながい距離を旅してきたのだろう。

 水差しと杯がとんでゆき、茶をいれる。


「ウィルだな。どうしてここが分かった」


 サラスはたずねた。ウィルは茶をのみ干した。


「長い旅の賜物じゃよ。久しぶりじゃな、サラス」


 サラスは弱々しく首を振った。


「無駄なじかんを費やしたな。わしの力はとうの昔に枯れた。分かっていたじゃろう」

「知恵がいるのだ。ほかの事は若い者に任せればいい」

「もはや教える事はないと言ったじゃろう」

「あんたにしか分からない知識が、山ほどある」

「この世にひつようの無い知識じゃよ。その様な知識は、わしが墓場まで持って行く」

「私なら、その知識を有意義につかってみせる」

「あれの過去を知らないから言えるのだ」

「名の無い怪物が迫っているのだぞ」


「あいつの狙いはわしだよ」サラスが言った。「出て行ってくれ」


 ウィルは寂しげに頷いた。

 少し迷ってから、ウィルは言った。


「わたしは諦めたわけではない。再びあなたの前に現れる」


 ウィルは退出した。


「すまない」サラスがつぶやく。控えめに音を立てて、かんぬきがはまった。



 別の日の夕方。

 大嵐だった。無数のまどが、強風に打ち震えている。ときおり雷が天を断ち、雷鳴が空気をつんざく。

 外で商いをしていた者は、一階の広場にテントを移した。


 サラスはまた外を眺めている。

 窓は開け放たれていた。雨も風も、部屋の中まで入って来ない。見えない何かで、せき止められているのだ。

 木のへらが一人でに、沸騰ふっとうする鍋をかき回す。隣では、包丁が人参をきざんでいる。


 鼓膜をつんざく様な、大きな音。細かい振動が床をはしる。サラスが立ち上がった。雷でない事はすぐに分かった。窓の外をのぞいた。

 雨風がたけり狂っては、壁を打ちすえる。十数フィート先に、ふたつの異様な物体がある。


 一方は黄色い玉虫のような光沢を持っていた。苔が、まだらに赤く染まった竜もいる。その周りに、無数の黒い何かが浮いている。

 どこからかすっ飛んできた耳栓が、耳を塞いだ。咆哮で、床がまた震えた。


 それほど遠くない。牙と鱗がぶつかる。苔むした竜が、ふかでを負っていた。翼はさけ、腹から血を流している。玉虫色の竜は一回り大きい。鱗のさびぐあいから見て、若いオスだろう。


 黄金の竜が吼えた。空気が爆散した。水の塊が塔に当たってくだける。無数のなにかが墜落した。幼竜だ。苔むしの竜が失神して、数フィート墜落したが、持ち直してはばたく。


 黄金の竜が翼をたたむと、獲物に肉薄した。喉に食らいつく。断末魔の咆哮。

 再び空気がさけた。幼竜が、八方に砕けちる。血雨が塔をうつ。かべに、幼竜のつぶれた死骸がくっ付いている。


 無数のひかりの粒子がへやを満たした。

 老人の周りをただよってから、間もなく消えた。

 竜は獲物のくびを咀嚼そしゃくしながら、雲間をかけた。すぐに、何も見えなくなった。


 

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