第26話 誕プレ
大学のオンライン授業が終わった午後。
僕は最寄り駅にやって来ると、百貨店や駅ビルに入っている専門店をぶらりと巡ってみた。
綾さんへの誕生日プレゼント、なにがいいかな?
当てはないけど、相手を思ってプレゼントを探す行為自体は楽しくもある。
ウキウキしながら最初に訪ねたのは、花屋さんだった。
けっして広くはないスペースながら、美しいブーケやフラワーアレンジメント、観葉植物などが彩り豊かに並べられている。
花もいいよね。見ているだけで疲れた心が癒されるから。
「でも、誕プレにお花って、どうなんだろう?」
たしかに、誕生日に花を贈るのは定番だし、綾さんだってきっと喜んでくれるに違いない。
でも、僕としては、もっと形に残るような実用的な物を贈ってあげたい気がする。
花が美しい時間は限られているし、綾さんが色あせた花でも飾り続けていたら申し訳ない。
とりあえず、候補の一つとして頭の片隅に残しつつ、次の場所へと移動した。
「バッグやお財布はどうだろう?」
ハイブランドのお店の前で立ち止まり、中の様子をそっとうかがってみる。
きらびやかな金色に輝く店内には、カップルだろうか、ちょっと怖そうな男性と派手な若い女性とが買い物を楽しんでいた。
僕とは住む世界がまるで異なるような、目には見えない厚い壁を感じ、足がすくむ。
綾さんが普段使っているような、ハイブランドの高級バッグにはとうてい手が届きそうにない。
将来、僕が社会人になって、初めてボーナスがもらえたら、その時には綾さんの好きなバッグを思い切りプレゼントしてあげよう。
僕はそんな未来への密かな誓いを立て、店先からそっと離れた。
「服……は、ないかなあ」
華やかに飾られた衣服を横目に見ながら、ショップの前を素通りする。
僕一人で綾さんの服を買い求めるのは、いくらなんでも難易度が高すぎる。
仮に僕が綾さんの服を買って渡したら、綾さんはどんな反応をするだろう?
……想像したら、なんだか「僕の好みの服を着てください」と押しつけているみたいで、ちょっと引く。メイド服でも渡そうものなら怒られそうだ。
でも、綾さんが僕に服を贈ってくれるなら嬉しいけどね。
なにせ僕には都会的なファッションセンスがないから。綾さんに格好いい服を見立ててもらえるなら、願ったり叶ったりだ。
今度は百貨店の化粧品売り場を通りかかる。
「コスメも分からないしなあ」
口紅なんかはどうだろう?
僕は、なにか形に残る実用的な物をプレゼントしたいと考えている。そういう意味では、口紅は条件を満たしているかもしれない。
でも、いったいどれがいいのかなんて、僕に見当がつくはずもなく。
口紅のことを考えていたら、ふいに綾さんの形のよい唇が浮かんできた。
僕、あの唇とキスをしたんだよね。しかも、一度きりではなく、何回か。
またいつか、綾さんとキスしたいな……なんて。
そう思ったとたん、綾さんの唇の感触がにわかによみがえり、顔が熱くなってしまった。
僕はいったいなにを考えているのだろう? それもこれも、慣れない化粧品売り場になんかやって来たせいだ。
僕は身体の火照りを感じながら、逃げるように売り場を後にした。
「あっ」
エレベーターに乗って階上へやって来るなり、僕は短い声を上げた。
ジュエリーショップがついに現れたのだ。
実は、僕が真っ先に思いついたプレゼントがジュエリーだった。けれども、きっと手が出ないだろうから、とこれまで目を背けてきたのだった。
しかし、こうして巡り会えたのも、なにかの縁。せっかくなので立ち寄ってみよう。
少しの汚れも許さないような白光きらめく店内に、恐るおそる足を踏み入れる。そして、ショーケースに飾られた輝かしいジュエリーたちをのぞきこんだ。
「うわぁ……あれ?」
案の定、ダイヤモンドが散りばめられたジュエリーなど、何十万円もするような商品もある。
けれども、ショーケースのなかには、僕のアルバイト代で十分まかなえるようなネックレスやイヤリングなども取りそろえてあるのだった。
「へえ、僕でも買えそうな物もあるんだ」
これまで彼女なんていなかったし、誰かにプレゼントする機会もなかったから、リーズナブルな商品もあるだなんて知らなかった。
僕の目が、ショーケースの端のほうに置かれたペアリングを捉える。
僕は指輪なんて普段まったくしないけれど、綾さんとの絆を感じられるようなお揃いの物の一つくらい、あってもいいよね。
この機会に思い切って買ってしまおうか? でも、指輪ってサイズとかあるのかな? 綾さんの指のサイズなんて知らないぞ。
僕はよほど見とれていたらしい。僕に忍び足で近づいてくる人影に、まったく気づかなかった。
「なにかお探しですか、お客様?」
聞き慣れた甘い声が、急に耳元でささやかれた。
僕はビクッとして、反射的に上体を起こす。そして、声の主の顔を見やって、驚きの目を見張った。
「あっ、綾さん!?」
「やあ、律くん」
なんと、綾さんがいつの間にか僕のとなりに立っているではないか!
「へーえ、律くんもこういうところに来るんだー。隅に置けないねぇ」
綾さんはニヤニヤしながら、茶目っ気たっぷりにからかってくる。まるで鬼の首でも取ったかのような、嬉しそうな得意満面の笑顔だ。
「ど、どうして綾さんがここに?」
「ママが買い物に行くって言うから、ついてきたんだ。そうしたら、律くんを見つけて。声をかけたってわけ」
「お母さんは?」
「地下で食品を買っているよ。私は本屋に用があったから、その帰り。で、律くんはどうしてここに?」
好奇に輝く綾さんの瞳が、まっすぐ僕を捉えて離さない。
言い逃れはできない、と僕はすぐに観念した。
「実は、綾さんの誕生日プレゼントを探していました」
正直な告白に、綾さんの表情が甘く緩む。
「うふふ、私への誕プレかあ。律くんは私のことが大好きだもんね。仕方ないね」
「自分で言いますか」
「で、アクセサリーを贈ってくれるの? ちなみに、律くん的にはどれがいいと思ったの?」
「それが、まだ決められなくて。でも……」
「でも?」
「ペアの物もいいな、って」
僕は綾さんから目をそらし、ぼそっと声をこぼした。もう顔が熱くて、綾さんをまともに見ていられない。
綾さんはいきなりぎゅっと僕の腕を取り、身体を寄せてきた。そして、嬉しそうにショーケースをのぞきこんだ。
「ふーん。律くんって、普段そんなことを考えてたんだ」
「か、考えはじめたのはつい最近ですけど」
「わっ、このペアリング、可愛い! でも、こっちのペアネックレスも素敵。ねえ、律くんはどっちがいいと思う?」
「綾さんならどちらも似合うと思いますけど」
「律くん、私とお揃いのネックレス、する?」
「うーん。ネックレスはしないと思います」
「じゃあ、指輪は?」
「指輪もしないんじゃないかな……」
「じゃあ、買う意味なくない?」
「大切にしまって、家宝にします」
「だから意味ないって」
綾さんは呆れたように苦笑する。
でも、実際に綾さんとお揃いの物を身につけて並んで歩く姿を想像すると、あまりの恥ずかしさに顔から火が出そうになった。
「律くんも身につけてくれるなら、買ってほしいな」
これでもかというくらいキュートな笑みを輝かせ、僕におねだりしてくる綾さん。
いけませんよ、お嬢様。
そんな可愛い顔するの、反則です。
僕はため息をつき、覚悟を決めた。
「と、特別な時だけですからね」
「うん。それでいいよ」
こうして、僕はシルバーのペアリングを購入した。
今の僕には少し背伸びしたくらいのリング。僕もこういうのを買うくらいには大人になったんだ。ちょっと感動。
でも、将来的には綾さんにもっと立派な指輪をプレゼントしてあげたいな、なんて。
ショップを出ても、綾さんは僕の腕を抱きかかえたまま、離れようとしてくれない。
上機嫌な笑みが絶えない綾さんを間近で眺めてみる。幸せって、こういうことを言うのかな。
「律くん、よく頑張ったね。えらいえらい」
「もう、子供扱いしないでください。でも、いいんですか? ほんとうに今日渡さなくて」
「うん。だって、誕プレなんでしょう? だったら誕生日にもらうよ」
「別に今でもいいと思うんですけど」
「ううん。プレゼントはやっぱり誕生日に欲しい。そのほうが、生まれてきた幸せをいっそう感じられるでしょう?」
綾さんが同意を求めるようにさらに強く僕の腕を抱き、僕を見上げて微笑みかけてくる。
綾さんの瞳は純粋に澄んで、宝石のように輝いていた。
やっぱり、僕の彼女は素敵な人だ。
この世に生まれてきたことに素直に感謝し、今ある幸せを身に染みて実感している。そんな綾さんに、過酷な運命を呪うような後ろ暗さは少しも見られない。
こういう、爽やかに生を
だから、綾さんの誕生日には、僕からも感謝を告げよう。
綾さん、生まれてきてくれて、ありがとうございます。
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