年越しのうどん

@takanosukan

第1話

 職場では、変わり者と言われている。何でそう言われてしまうのか。自分では余り心当たりはないのだが、唯一、納得するネタは、毎年、この時期になると「大晦日に仕事をするのは好きだ」と、公言している事だ。気ぜわしさに終わりが見えて、今年一年、そして来年一年、思いを巡らす。そんな一日は悪くないと思うのだが、誰も頷いてはくれない。

 食品フロアを筆頭に各「お買い場」は戦場のような忙しさだが、多少の自虐的な感覚も含めて百貨店で働く者にとっては、充実した時間なのだろう。

 明後日、正月二日、今度は「初商」となり、これまた莫大な売り上げとなる。それ自体は有り難い事だが、その結果、例年、総務から余った未使用段ボールの類いが回ってきて、その処理に頭を悩ます羽目に陥いる。ブツブツ文句も言いたくはなるが、それも裏方なりに、売り上げアップに貢献した気にはなれるのだから、良しとすべきなのかもしれない。

 駅の階段を降りる。さほど大きな駅ではないから、数歩も歩き出せば「ふりさき見れば春日なる」ではないが、自然にオリオン座が視界に入ってくる。昔の東京と違って大気も澄んでいるから、朧気ではあるが「小三つ星」まで見透せる。白い息を思いっきり吐いてから、スーパーに突進だ。「年越しそば」は、何としてもゲットしなければならない。本日の最優先課題。

 時刻は5時半、閉店時間まで30分しかないから、店の人たちからはテキパキとした行動が求められている気がしてしまう。急ごう。もっとも、家族が居ないので正月だからと言って、特別な事は何もしない。そうだからこそかもしれないが、年々、人恋しさや寂しさも積もってくる。けれど、どういうわけか、年越しそばの習慣だけは残っている。例年、無意識な部分も含めて、そこに拘ってきた理由を探してはみるが、答えには行き当たらない。結果「まぁいいか。好きなんだから」で終わってしまう。

 全てを無視して売場に直行する。あった。最後の1個となっていた「赤いきつね」を手に取る。他のカップ麺の類いは山のようにあるのに。こんな日にあえて饂飩を選ぶ妙な方々もそれなりには居るのが面白い。

 おもむろに買い物カゴを取りに戻る。多少はホットして、何か獲物はないかと、売り場を徘徊してみる。再びカップ麺コーナーを通りかかると、小さな男の子が、ダダをこねている。赤、緑、キツネやタヌキ、うどん、そば、といった単語が行き交っている。そして、年越しと言う言葉も。もしかしたら、自分の行動が原因なのかもしれない。先程の状況でバックヤードの在庫も含めて欠品している可能性があるのは「赤いきつね」だけだったからだ。傍らでは、社員さんだろうか。しきりに、頭を下げているのもそれを裏づける。最後の1個は自分の買い物カゴの中に、だ。悪い事をしたわけではないが、その子の気持ちを想えば、後ろめたさが湧いてくる。

 大体、どんなに好きでも、美味しくても、うどんでは「年越しそば」にはならない。あの子と大差ない思考レベルは、大人としては「どうなんだろうか」とは感じる。けれど、一方で子供だとしても彼の率直さにも興味がある。近づいて行けば、具体的な会話も聞こえてくる。

「お店の人も、困ってるんだから、こっちの小さい方にしなさい。これも赤いきつねでしょ」

「ヤダー。そんなのヤダー。ぜったいおおきいのがいい」

「本当に食べきれるの?」

「もう、おにいちゃんなんだからって、いつもいうじゃん。くえるよ。そんくらい」

「だから、無いものは無いのよ。しょうがないでしょ。だいたい、何度も言うけど、今日は年越しそばを食べる日じやないの。いくら好きでも「赤いきつね」はうどんでしょ」

「こっちがいい。こっちがいい。こっちがいいの」

「もう。じゃあ、こっちのにしなさい。お揚げ入ってるし」

「ほかのなんてー、イヤだー」

「なんでよぅ」

「あかいきつぬのおあげがいい」

「もう。全く」

 冷静になれれば、あれこれと、考えるべき事が多い状況だろうが、自分と同じような心に共感してしまえば、そうはいかない。つい言葉がでてしまう。

「あのう。これでよろしかったら、どうぞ」

 振り返った男の子の視線は赤いきつねを持った私の右手に注がれている。

「どうしよう」

 お母さんは、言葉を捜している。

「お母さんがおっしゃっていたように、今日は、緑のたぬきを買うべきでした」

「でも、それじゃぁ、申し訳ないです。この子には言って聞かせますから」

「出過ぎたマネかもしれませんが、子供の頃を思い出しました。ダダをこねてた自分の姿が重ってしまいました。躾もあるでしょう。母親としてのお考えもおありかもしれませんが」

「正直、迷います」

 寄り添っている店員さんも困り顔だ。余計なお世話だったかもしれない。

「何も言わずに、棚に戻せばよかったんですね。スイマセンでした」

「いや、そういう意味じゃありません」

「…」

「カンタ、どうする」

「あかいきつねがいい」

 お母さんのスカートをつかんで視線は床に落としてはいるが、ゆっくりと、しかしハッキリと呟いた。ここは、勢いでつながないと、状況はフリーズしてしまいそうだ。

「じゃあ、これ」

 思い切って、赤いきつねを差し出す。彼は両手で大事そうに受け取ってくれた。キラキラした笑顔だ。

「本当、もうしわけない。わがままで」

 恐縮しつつ感謝してもらえたが、私の事をお節介な人だと感じたかもしれない。そうだとしても、もう少しこの親子に関わりたかった。迷惑だろうが、口を開いてしまった。

「そうでしょうが、わがままされるのも幸せなのかもしれません」

「そうでしょうか」

「今だけかもしれませんよ。こんなやり取り出来るのは」

 息子の頭を撫ぜながら、応えが返ってくる。

「それはそうでしょうが、毎日となるとねぇ」

 日々の暮らしの中では、まだ、そんな余裕は持てないのかもしれない。若いからだろうが、明らかに言い過ぎだ。自分が少し嫌になる。

「そうですか。失礼な事を申し上げました」

「とんでもない。こちらこそ」

 店員さん、小柄なお母さん、そして自分もお互いに頭を垂れた。一件落着だ。

 家族。無い物ねだり、か。こんな歳末、褒められたものではないが、現実をエコバッグに詰め込んでいこう。

「おじさーん」

 さっきの子が駆け寄ってくる

「なんだい」

「おじさんはいくつ」

 小さいから、遊びの無いいきなりの直球だ。

「歳かい」

「うん」

「君はいくつなの」

「おととい。4さいになった」

「そうか。おじさんは、これ」

 右手を思いっきり開いて2回前後させた。

「えっ。5さいなの」

 目を丸くしている。無理もない。来年、こんなになっちゃったらか~なり悲しい。

「2回だから5 5」

「ごじゅうご?」

「そうだよな。まだ分かんないよなぁ」

「らいねんは、おじさんのはんぶんくらい?」

「そうじゃないんだなぁー。お母さんにきいてみな」

「わかった。きいてみる。ごじゅうご、だよね」

「…」

「あっ。よいおとしを」

 ぎこちない。生まれて初めてこの言葉を発したのかもしれない。

「お母さんに言われたのかい」

「うん。いってきなさいって」

「そうか。いい子だね。じゃあ、おじさんもだ。良いお歳を」

「じゃあ。バイバイ」

「じゃあね。バイバイ」

 男の子。カンタ君か。漢字は分からないけど、彼のお陰で「緑のたぬき」で正しい歳越しが出来る。さらに、それにプラスして、私にとってもっと大切な事は、来年も、そのまた次の年も、今日のお母さんとのやり取り、彼の表情、そして、そのお母さんの下に跳ねるように走って戻る後ろ姿を思い出せる事だろう。微笑みながらそんな幸せに浸れる。大晦日。好きな理由がもう一つ増えた。ありがとう、カンタ君。




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